第3話

文字数 6,684文字

 式神の分も麦茶を配り終えた夏美が部屋を出た。
「では、さっそく本題だ。宗史と晴、陽には重複する話もあるが、昨日までに紺野さんたちから届いた新たな情報もある。それを含め、これまでの一連の事件の経緯を整理しておこう。なお、ここでの話は一切他言無用だ」
 やっぱり何かある。大河は表情を引き締めた。
 宗一郎の続きを引き継いだのは明だ。
「事の発端は、鬼代神社(きしろじんじゃ)の事件だ。何者かによって鬼代神社が襲撃され、千代(ちよ)の骨が盗まれ宮司の矢崎徹(やざきとおる)さんが殺害された。この事件に関しての新しい情報は、現場となった鬼代神社の事件当時の状況と、鑑識と解剖結果だ」
 あの日、事件が起きたのは午前二時頃。そして報道されたのが同日正午だ。
 宗一郎と明は、一報を受けてすぐに閃と右近を現場に向かわせた。だが現場はまだ規制線が張られ、殺害現場となった本殿にはまだ多くの警察官が出入りしていて、中に侵入するどころか容易に近付けなかったらしい。夜中も見張らせたが状況は変わらず、そうこうしているうちに明の元に紺野たちが聴取に訪れた。
 明は紺野から受けた報告を淡々と語った。指紋、下足痕から割り出された身長、監視カメラや目撃者、現場の状況に至るまで。矢崎徹の遺体から心臓が抉り取られていたという説明で、大河が思わず驚きの声を上げて口を押さえたが、明は気にした様子もなく続けた。
「その後、滋賀県の山中にて紫苑(しおん)の封印が解かれる。これについては、発見された四人の男女の仕業なのか、それとも別人なのかまだ分からない。紺野さんたちに調べてもらっている途中だ」
 紫苑の件については滋賀県警の管轄になるため、容易に手が出せないのだろう。意識不明で発見されたという男女四人の聴取が確認できれば、その時の状況が判明する。
「次に、向小島(むこうこじま)で柴が復活した件だが、特に新しい情報はない。続いて先日の公園に現れた鬼についてだが――大河くん」
「え?」
 唐突に話を振られ、大河は顔を跳ね上げた。
「鬼代神社を襲った犯人について、新しい情報を聞いた今、どう推理する?」
「え……と……」
 どう推理すると聞かれても、素手で屋根と神棚を破壊し、影正(かげまさ)と同じ殺し方をしたとなれば、答えは一つしか出てこない。
「鬼、ですか」
「そう」
 明はすんなり頷いた。
「鬼代事件後に復活した柴と紫苑は除外。残るは先日の鬼だ。身長は百七十から百八十センチの男。鑑識結果とも合致する。性別と身長だけで断定はできないが、殺害方法から見ても、おそらく鬼代神社を襲った鬼と先日襲ってきた鬼は同じと見ていい。それと、現場周辺の防犯カメラなどの映像は期待できない。奴らの身体能力なら建物を伝って移動できるからだ」
 何だか今とんでもない推理をぶち込んでおいてさくっと進めた気がするが、気のせいだろうか。とにかく、さくさくと進む話に置いて行かれないようにしないと、と大河は背筋を伸ばした。
「次に、少女誘拐殺人事件についてだが」
 唐突に告げられた事件の名前に首を傾げた。
「大河くん。先日の、この事件の犯人が自殺したという報道を覚えているか?」
「ええ、覚えてますけど……寮で見たニュースですね」
 何か関係があるのだろうか。
「あれは嘘だ」
「…………は?」
 間の抜けた声が出た。さくっと進めるにも程がある。明の言葉の意味が理解できず、思考ごと固まった。
「こちらも紺野さんたちからの情報だが、厳密に言うと、犯人が死亡したことについては事実だ。だが、自殺したという部分は嘘だ。実際には、何者かに噛み殺された」
「噛み殺された?」
 殺害方法としては不自然な言葉に、思わず反復した。
「首筋から鎖骨辺りにかけて、噛み千切られた跡が残っていたそうだ。歯形は動物、大型犬の物と酷似していたらしい。傷口から唾液は採取されず、部屋は密室で、住人以外の痕跡は一切残されていなかった。周辺の防犯カメラや目撃者も無し。噛み千切られた肉片も見つかっていない――以上から、犯人は犬神だと断定した」
「犬神って、犬を殺して使役するっていうアレですか?」
「そう、よく知ってたね」
「ゲームのキャラで出てきたんで」
「ああ、なるほど。今時では、ネットで検索すればすぐにヒットする情報だ。素人でもやろうと思えばできる。だが、動物を使った術は非常に強力なため、すでに平安時代から禁術とされている。それに加えて、呪詛は術者にかかる負担が大きい。素人が行使すると、必ずその反動で何かしらの支障が出る」
「支障?」
「例えば、精神とか」
 大河はごくりと喉を鳴らした。つまり心を病むとかそういう意味か。
「人を呪うということは、それだけ覚悟がいるということだ。人を呪わば穴二つ、と言うだろう?」
 人を呪い殺すために穴を掘れば、報いを受けて自分の穴も掘らなければならない、と言う有名なことわざだ。大河は無言で何度も頷いた。まあそれは置いておいて、と明は一枚の紙を滑らせるようにテーブルに置いた。これまでの事件と出来事が日付ごとに記載されている。

7月13日 鬼代神社襲撃
  14日
  15日
  16日
  17日 滋賀県にて紫苑復活
  18日 橘詠美(たちばなえいみ)の遺体発見
  19日 深夜一時頃、詠美の母親外出
  20日 橘詠美マスコミにて身元を公表
  21日 向小島にて柴復活
  22日 少女誘拐殺人事件犯人死亡
      外壁に札を貼り付ける母親を目撃
  23日 公園にて襲撃 
      橘家にて犬神を確認

「犬神を使役していた術者についてだが、これは判明している。最後の被害者の母親だ。被害者が発見された翌日の深夜、母親が大きなキャリーバッグを持って外出しているのが確認されており、同じ頃、飼い犬を見かけなくなったと近所の住民が証言した。そして犯人が殺害された日の朝、母親が自宅の外壁に大量の札を張っているところが目撃されており、さらに先日、自宅で紺野さんと北原さん、哨戒中の右近が犬神を確認している。彼女は娘が可愛がっていた犬を犬神にして使役し、犯人を噛み殺させ、その後も犬神を自宅で飼っていたらしい。犬神は行使した術者、または家に取り憑き子々孫々仕えると言われている。だが犬神は怨霊、悪鬼だ。式神同様、犬神より霊力の弱い術者は殺される。にも関わらず彼女は犬神を使役していた」
 明は一旦言葉を切り、宗史と晴に視線を投げた。
「ここからは、宗史くんと晴、陽も初めて聞く話だ。いいね」
 三人は神妙に頷いた。
「これまでの経緯から、彼女が強い霊力を持っている可能性が大きいと考えたが、家族はそんな話は聞いたことがないそうだ。ただ、犬神が見えていたのなら多少の霊感はあったんだろうね。そこで、紺野さんたちに外壁の札の写真を送ってもらった。これを」
 そう言って明がテーブルに広げたのは、数枚の写真だ。大河たちは前のめりで覗き込む。
「これは……護符?」
 宗史が言うように、写真には住宅の外壁に張り付けられているおびただしい数の護符が映っていた。
「でもこれ、でたらめばっかじゃねぇか」
「いや、そうでもない。よく見ると何枚か正しいものが紛れて……っこれ……っ」
 宗史は弾かれたように顔を上げ、宗一郎は無言で頷いた。二人のやり取りに、晴が何か察したように写真を手元に引き寄せ食い入るように見た。
「……おいこれ……俺らが使ってる護符じゃねぇか」
「えっ?」
 続けて陽が写真を引き寄せる。何が何だかよく分からない。三人の様子に首を傾げる大河に明が説明した。
「大河くん。会合で昴が話していたことを覚えているかな。霊現象の相談に乗ってくれる陰陽師がいると」
 そう言えば、紺野に文献のことを追及された時そんなことを言っていた。それがきっかけで寮に入ることになったと。
「はい。覚えてます」
「詳しい説明は省くが、私たちは、紹介状を持っている人から仕事を受けている。その約半分が除霊の依頼だ。中にはまだ不安だから護符が欲しいという人もいる。陰陽術で使う護符は強力だからね、一般の人が持っていても差し支えない護符を作って渡しているんだ。つまり、私たちが使っている護符が一般人の手に渡ることは決して有り得ない。ちなみに、門外不出だからネットや書籍に載ることも一切ない」
「じゃあなんでここに……」
 大河は言葉を切って写真に視線を落とした。陰陽師のみが使用する護符が一般人の手に渡っていた。それはつまり、
「この人、陰陽師と繋がってる……?」
 ということになる。
 誰が、と考える時間を与えられる間もなく、明が続けた。
「犬神を行使、使役していた人物は彼女ではなく、別の人物であり陰陽師であると考える。彼女と接触し、犯人へ復讐したいのならと犬神のことを教える」
「ちょ、ちょっと待った。なら顔見てるんじゃねぇの? どっかで会ってるなら防犯カメラだってあるし」
 晴の質問に、大河たちが明に視線を戻す。
「残念だが、彼女は精神を病んで話ができない状態らしい。近々故郷の沖縄に引っ越すそうだ。携帯電話やパソコンなどの通信記録には何も残されていなかった。防犯カメラと固定電話、その他何かしらの証拠がないか、こちらも調べてもらっている」
 一瞬見えた突破口を見事に潰され、そして母親の現状を聞いた大河たちは思わず口をつぐんだ。
「精神を病んでって……」
 ぽつりと呟いたのは陽だ。眉尻を下げ、悲しそうに目を細めている。
「術者が彼女ではないのなら、事件の影響だろうな……」
 宗史が静かに答えた。理不尽に娘を殺された母親の心境は察するに余りある。故郷に戻り、少しでも良い方向へ進むことを祈るしかできない。
 続けよう、と明の落ち着いた声が重苦しい静寂を破った。
「接触を図った後、陰陽師が犬神を行使、使役し、彼女の指示に従えと命じる。殺害後、護符を使って結界を張り、犬神を閉じ込めてしまえばずっと一緒だとでも言い包めたんだろう。彼女は、紺野さんたちの前で犬神に一人にしないでと訴えていたそうだ。復讐は果たされ、娘が可愛がっていた犬と一生共に過ごすことができる。一石二鳥だ。その陰陽師は、私たちが把握していない陰陽師なのか、それとも寮の者の中にいるのかまでは分からない」
「……っ」
 さらりと告げられた予想外の被疑者に、大河が勢いよく顔を上げた。
「だが、あくまでも可能性の話しだ」
 先手を打つようにそう締めくくられ、大河は消沈して俯いた。
 どうしていきなりそうなる。理解できない。どうして寮の皆まで疑われるのか。こちらで把握していない陰陽師がいる、では駄目なのか。
 大河は拳を握った。今日の話は少し気が重い。
「一連の事件に陰陽師が関わっていると断定したのは、もう一つ理由がある。大河くん、宇奈月影綱(うなづきかげつな)の日記に記されていた、封印された鬼は誰か覚えているかい?」
 落ち込みかけた気分を無理に引っ張り上げるように問われ、大河は慌てて思考を切り替えた。
「え、と……誰って、柴と紫苑……あれっ?」
 おかしい。数が合わない。大河は困惑した表情で明を見やった。
「そう、柴と紫苑だ。他の鬼は根こそぎ調伏されたと記録がある。だが実際、もう一匹の鬼が現れている。それはつまり」
「おいちょっと待て。それはねぇだろ」
「そ、そうですよ、明兄さん。それは有り得ないんじゃ……」
 言葉を遮ったのは晴と陽だ。怪訝な視線を投げる晴と、テーブルに両手をついて信じられないといった表情で見つめてくる陽を、明は冷静に見つめ返す。
「私を止めたということは、可能性として少しでも考えた証拠だな? 事実として捉えろ」
 強い口調で諭され、晴は小さく舌打ちをかまし、陽は表情を固くして俯いた。明が大河に向き直った。
「反魂という言葉を聞いたことは?」
「あ、はい、あります。反魂の術ですよね。死者を蘇らせる術だって」
「そう、それが一般的に知られている術だ。だが、そんな術は存在しない」
「え? ないんですか?」
「ああ。反魂香(はんごんこう)というお香を焚き、死者の姿を映すというものはあるが蘇らせるものではない。もう一つ、泰山府君祭(たいざんふくんさい)という術で晴明が死者を蘇らせた話も有名だが、それも創作だ。宮中でのみ執り行われた祈祷のことを指す。自然の理を乱すような術は、この世に存在しない。よって、調伏された鬼がこの世に存在するはずがない――なかった、と言った方が正しいか」
 と言うことはつまり――
「敵側の陰陽師が、その術を作りだした……?」
「そう考えるしか、辻褄が合わない」
 新たな術を編み出す。そんなことができるのか。しかも、死んだ者を蘇らせる術を。
「で、でも、調伏されたら魂は消滅するって……」
 影正は確かそう説明していたはずだ。それなら、いくら蘇生術を編み出したからと言って蘇るはずがない。矛盾している。
「完全に調伏すれば、の話だ」
「完全に?」
「我々が所有する文献に、調伏したはずの悪鬼が再び現れたことがあるとの記述が残されている。悪鬼を調伏した陰陽師は、病に侵され万全ではなかったらしい。つまり、調伏したように見えても消滅するまでに至らない場合がある、ということだ。大戦の最中(さなか)で鬼を調伏したのなら、霊力が十分でなかった可能性は十分考えられる」
「要するに、体は消滅したけど、魂は消滅できなかったってことですか?」
「そういうことだ」
 確かに、そう考えれば辻褄は合う。あれ、ともう一つ矛盾を感じだ。
「でも、千代は体を荼毘に付されたって……」
「ああ、それは特殊な例だ。千代の場合、人に取り憑くことで生き長らえていた。器である肉体が酷く損傷したり老化すれば、別の体に乗り移っていたと考えられる。つまり、大戦中に肉体が死亡し自ら放棄したか、もしくは何らかの理由で無理矢理引きずり出されたかのどちらかだったんだろう」
「ああ……なるほど……」
 大河はあんぐりと口を開けたまま呆けた。
「陰陽師としての知識が豊富で、陰陽師しか使用しない護符を所持している者、つまり陰陽師が関わっているとしか考えられない。君はその条件に当てはまらず、宗史くん、晴、陽は式神たちが証人だ。だが、寮の皆は条件に当てはまり、証人はいない。もちろん、私たちも彼らがこの事件を引き起こしたとは考えたくはない。だが、証拠がそう示している以上、受け入れざるを得ない」
 ああ、そうか。
 大河の心情を見透かしたように、諭すような口調で厳しい見解を語りながらも、少しの本心を吐露した明を見て、大河はやっと理解した。
 大河を除いたここにいる式神を含め全員、大河より寮の皆を見て共に過ごしてきた時間は遥かに長い。信頼しているからこそ積み重ねてきた時間がある彼らを、疑いたくはないだろう。だが、陰陽師として彼らを育て束ねてきた宗一郎たちには責任がある。もし彼らがこの事件に関わっているとしたら、これ以上罪を重ねる前に止めてやりたいと思っているのかもしれない。けれど誰か分からない現状では、疑うしか方法はない。
 だが、それを自分が受け入れなければならないのか。同じように寮の皆を疑わなければならないのか。
――今の自分が一番後悔しないと思う選択をしなさい。
 不意に影正の言葉を思い出した。後悔しないと思う選択――どっちだ。自分は今、どうしたい。
「大河」
 唇を噛んで俯いていると、宗一郎が沈黙を破った。
「何も、彼らの全てを疑えと言っているわけではない。お前は彼らのことをまだ何も知らないだろう。結論を急ぐことはない。これから知っていく上で、どうするか自分で決めなさい」
 そうだ。自分はまだ、皆のことを何も知らない。知らないのに疑うことはできない。裏を返せば、信じることもできない。もちろん信じたいとは思う。影正が死んだ時、側にいてくれたことにも気付いていた。皆、優しかった。けれど。
「ただし、少しでも疑わしいと思った時は、速やかに我々に報告すること。例外は認めない。お前や他の者たちの安全のためでもある。できるか?」
 人の命がかかっている以上、容易に判断はできない。影正のような犠牲者は、もう出したくない。
「はい」
 表情を引き締めた大河を見て宗一郎が微笑んだ。
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