第24話

文字数 4,224文字

 ただ、社内ではそうはいかなかった。もちろんそんな者ばかりではなかったけれど、蔑まれる日々は続き、すれ違いざまに「変態」「気持ち悪ぃ」「近寄んな」だのと暴言を吐かれる。その際、一緒にいた横山と川口が相手に掴みかかり、ちょっとした揉め事に発展。周囲にいた男性社員らが止めに入ったものの、お前らもお仲間じゃねぇの、と二人にも飛び火した。結果、これ以上迷惑をかけられないと言って、都筑は会社を辞めた。
「そもそも、メールじゃなくてファックスってとこが卑怯だよな。送信元が記載されてなかったもんだから、どこから誰が送ってきたのか分からなかったんだ。ただ、一人だけ心当たりがあった」
 都筑には、都筑渚(つづきなぎさ)という三つ年上の従姉がおり、彼女も草薙製薬に勤務していた。所属はマーケティング部。美人で快活、親しみやすく心優しい性格の女性だったという。彼女とは自宅が近かったこともあり、都筑を本当の弟のように可愛がり、また彼の性癖も知っていたそうだ。自身の性癖を後ろめたく思っていた都筑を、彼女はいつも気にかけていた。容姿が似ているため二人が従姉弟同士であることは社内でも知られていたが、あまりにも仲が良いことから、付き合っているのではないかともっぱらの噂だった。都筑の噂が広まった時、彼女は揶揄する連中に言い放ったそうだ。
『だから何? 何かあんたたちに迷惑かけたの? 新に余計なこと言ったらぶん殴るわよ』
 と。
 そんな彼女に執拗に付きまとっていたのが。
「草薙龍之介だ」
 飛び出した名前に、怜司は心底不快気に顔を歪めた。
「つまり、二人が付き合っているという噂を真に受けて、別れさせようとした。しかし調べるうちに都筑さんに同性の恋人がいると分かり、暴露したってことですか」
「多分な。でも、証拠がないからどうにもできなかった」
「都筑自身にも嫉妬してたんだと思うぜ。付き合ってないって分かったんだから、普通そこまでする必要ねぇだろ。あいつのことだ、ここぞとばかりにネタにして嘲笑ってたんだろうよ。ほんとクソだな、クソ以下だ」
 怜司以上の渋面を浮かべて、川口は悪態をつきながら鶏の唐揚げを口に放り込んだ。怜司自身、龍之介のことを直接知っているわけではない。だが、香穂のことはもちろん、栄明からの情報だけでも、二人の推測は正しいだろうと思える。
「でも、今までそんな話は聞いたことありませんが」
 同じ二課の被害者だ。それだけのことがあったのなら、龍之介の話題が出た時に聞いてもおかしくない。
「禁句になってるからな」
「禁句?」
 ああ、と横山は頷き、川口と共に悲痛な顔を浮かべた。
「自殺未遂したんだよ、都筑」
 自殺という言葉が胸に重くのしかかった。自然と息がつまり、膝に置いた拳に力が入る。
 都筑は、自分の性癖をはじめ、同性の恋人がいることや同棲していることを家族に言っていなかったらしい。けれど、会社を辞めてから連絡が途絶えたため、心配した両親が突然自宅を訪れた。そこへ恋人が帰宅。どう説明しても理解を得られないまま、両親は都筑の元を立ち去ってしまった。
 そのことがきっかけとなり、彼はさらに精神的に追い詰められ、自殺を図った。
 横山と川口は、渚を通して都筑の恋人と面識があったそうだ。その時、横山は電話に出られず、川口は会社で渚からの連絡を受けた。思わず「都筑が?」と漏らした川口の声を耳ざとく聞いたのは、都筑を煙たがっていた連中で、彼らはニヤついた顔で寄ってきた。
『何、あいつどうしたの。まさか自殺したとか?』
 彼らからしてみればただの皮肉だったのだろうが、皮肉にならなかった。川口は激怒し言い放った。
『あいつが死んだらあんたらのせいだからな』
 まさかのことに驚き、彼らは――都筑を蔑み嘲った連中はそれ以降口を閉ざした。内容が内容だけに、都筑が自殺を図った噂は静かに、しかし着実に回った。多少なりとも罪悪感を覚えたのだろう。次第に誰も話題にしなくなり、いつしか禁句となった。
「一命は取り留めたけど、あれから引きこもりになった。今は専業主夫。元々自分の性癖を後ろめたく思ってたし、思慮深いっていえば聞こえはいいけど、要は深く考えすぎるわけだろ。なかなか良くならなくてさ。ちょっと散歩するくらいならできるようにはなってるけど」
「そうですか……。恋人とは、まだ?」
 ああ、と横山は頷いて、どこか物悲しげな、けれど酷く柔らかい眼差しをした。
賢次郎(けんじろう)さんっていうんだけど、あの人のおかげだよ。献身的に都筑のこと支えてさ。ああいうのを間近で見ると、つくづく性別なんて関係ないよなって思う。不謹慎だって分かってるけど、でも、あんなに好きになれる相手に出会えるって、やっぱ羨ましいよな」
「そうそう。愛は国境も性別も超えるんだぜ。愛は偉大だよなぁ」
 焼き鳥片手に力説されても説得力が薄い。けれど今となっては、妙に納得してしまう自分がいる。
 うんうんと自分の台詞に納得する川口はともかく、横山は、年上の彼女に酷い振られ方をしたと聞いた。そんな経験があるのなら、なおさら二人の関係は羨ましいだろう。何もなければ、さらに良かったのだろうが。
 ふと、思った。もしかしたら。
「その賢次郎さん、ファックスを送った相手を恨んだでしょうね」
 話を聞く限り、犯人は龍之介で間違いない。
「ああ。今でもかなり恨んでる。都筑の前で話題にできないから、時々三人で飲みに行って吐き出させてるんだ。ああいうのって、溜め込むと良くないだろ。賢次郎さんだけじゃない、渚さんもな」
 そうですか、と曖昧に相槌を打つ。二年半経っても未だ恨んでいるのなら。
「だからさ」
 川口がぺろりと平らげた焼き鳥の串を皿に置いた。
「原因が何であれ、もし香穂ちゃんが本当に自殺だったら、お前かなりしんどいんじゃねぇかなって思ってさ」
 言葉の意味を理解しきれず、怜司は首を傾げた。つまり、どういうことだ。
「賢次郎さんと同じで、吐き出した方がいいと思ったんだよ」
 横山のフォローが入った。
「あの頃のお前かなりまいってたから、とりあえずそっとしておいた。けど、それまでも心配だったけど、特にここ最近は心ここにあらずって感じでさ。ちょっと危うい感じしたから。都筑のこともあったし、このままにしとくとヤバいんじゃないかって思って誘ったんだ。余計な世話かもしれないけど」
「お前、変に冷めてるとこあるけど、可愛い後輩には変わりねぇ。放っておけねぇだろ」
 はにかんで笑った横山と川口に、怜司は目を丸くした。
 二人は怜司と香穂が付き合っていることを知った上で、彼女の自殺を疑っていた。疲弊した怜司を見て、自殺だったとしても原因は彼自身ではないと判断した。そこで都筑のことが頭に浮かんだ。龍之介の話を振って反応があればビンゴ。飲みに誘う算段を付けた。怜司が隠したため、彼らからしてみれば原因は分からずじまいだが。
 それと、横山が言うここ最近とは、おそらく香穂と会い始めた頃のことだろう。自分では普通にしていたつもりだったが、心ここにあらずに見えたのか。しかも危ういほど。
 つまり、気遣ってくれたのか。自分を。
 怜司は居心地が悪そうに二人から視線を逸らし、おもむろに首筋に手を添えた。ちょっと熱い。
「……ありがとうございます」
 ぼそりと告げた礼に、横山と川口は満足そうに笑った。
 都筑たちへの情といい、この二人は信用できる。ただ、確認しておきたいことがある。
 怜司は息を吐いて気を取り直し、顔を上げた。
「今、渚さんはどうしてるんですか?」
「ああ。都筑が辞めてから馬鹿息子がエスカレートしてさ。さすがに耐え切れなくなって半年経たずに辞めた。そのあと念のために引っ越して、今は別の会社で働いてる。あの馬鹿何するか分からないからな」
「そうですか……」
 今はいないのか。
「それと、川口さん。一つ聞きたいことがあるんですけど」
「うん?」
 だし巻きを口に放り込んだ川口が首を傾げた。
「前から不思議だったんですが、やけに他の課の話に詳しいですよね。どこからの情報なんですか?」
 川口は目をしばたいてもぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込んだ。
「あれ、俺言ってなかったっけ。経理部に腐れ縁の奴がいるんだよ。小中高と一緒で大学は別だったんだけど、まさか就職先が被るなんてな」
 まさに腐れ縁だよな、と笑って横山が焼き餃子をつつく。
 経理部。怜司は逡巡し、内ポケットから携帯を出しながら腰を上げた。
「すみません、ちょっと電話してきます」
「え?」
「すぐに戻ります」
 え、あ、おい、と戸惑う二人を置いて、怜司は個室を出た。携帯を操作しながら早足で出入り口へ向かう。
 龍之介に恨みを持つ賢次郎と渚。経理部の腐れ縁。危険が伴うため全員が協力してくれるとは思わないが、交渉の余地はある。それと横山と川口。付き合っていることをずっと黙っていてくれた。他に漏らすことはない。
 栄明は、また会食などで繋がらないかもしれない。郡司に電話をすると、何故かその栄明が出た。帰宅する途中らしく、着信相手が怜司であるため、運転中の郡司の代わりに栄明が出たらしい。
 怜司はかいつまんでいきさつを説明した。栄明はふむと低く唸り、
「分かった。里見くんが信用できると判断したなら、信じよう。こちらのことは全部話してもいい。君に任せる」
 そう言って承諾してくれた。
 ありがとうございますと電話を切り、個室に戻ったのは十分後くらいだろうか。扉を開けると、テーブルに並んでいた料理の半分以上が食い尽されていた。しかも残り一切れのだし巻きをいい年をした男二人が奪い合っている。追加しろよ。
 怜司は嘆息して席に腰を下ろした。まずはこの力のことを信じてもらわなければ始まらないが、さて、何か視えるだろうか。
「何か急ぎの用があったのか?」
 敗北し代わりにたこわさをつまんだ川口が尋ね、効きすぎたわさびに顔をしかめた。だし巻き独り占めするからだ、と横山から嫌味が飛ぶ。だから追加しろよ。
 怜司はええまあと曖昧に返事をし、目を伏せて深呼吸をした。何ごとかと、横山と川口がきょとんとした顔で見つめている。
 できれば、二人に縁のあるものがいいのだが。そう思いながら瞼を持ち上げ、視えたそれに思わず何度も瞬きをした。横山はともかく、川口の方は果たして知り合いなのだろうか。
 いや、ここで詮索する必要はない。本人に聞けばいい話だ。怜司は気を取り直し、二人を見据えた。
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