第9話

文字数 2,474文字

 帰ったら皆に撮っていいか聞いてみよう、と一人ごちる大河を眺め、省吾は躊躇いがちに口を開いた。
「あのさ、大河」
「うん?」
「昨日のことで、ちょっと気になってることがあるんだけど」
「何?」
「俺たちを襲った人、深町弥生だっけ。あの人、何でこんな事件に関わってるんだ?」
「え?」
 よほど意外な質問だったのか、大河は驚いたように瞬きをした。
「何で?」
 問い返されて理由を話すと、大河は憐みにも似た、悲しげな色を目に浮かばせた。
 本当は、知らないままの方がいいのだろう。大河たちが頑なに犯人の動機を話さないのは、それだけの理由があるからだ。昴や雅臣の過去は、話す必要があったから話したにすぎない。しかし、あの時見た彼女の苦しそうで切なげな眼差しが、どうにも気になるのだ。この事件を起こした犯人が、どうしてあんな目をするのか。
 大河の反応から見て、間近で見たはずの影唯は聞いていないのだろう。図らずとも雅臣の過去を知って、聞きづらいと思ったのか。それとも、大河たちの配慮を尊重したのか。
 やがて、大河が観念したように息を吐いた。
「気分が悪くなる話しだけど、いい?」
 前置きをするほどのことらしい。至極真剣な目を見つめ返して、省吾は唇を結んで頷いた。
 おそらく、かなりの部分が省かれていただろう。大河は、時折考え込むような仕種を見せた。それでも、話す方も聞く方も、精神的に耐え難い内容だった。
「――証拠はないけど、俺たちとしては確信してる。母親に義理の父親を殺させたのは、弥生だ」
 大河がそう締めくくると、省吾は息を吐きながら、両手で顔を覆って背中を丸めた。これは、確かにしんどい。大河たちが話さないはずだ。
「だから、あんな……」
 弥生は、身を呈して守ろうとした影唯と雪子に、あんな顔をしたのか。義父に裏切られ、母親に信じてもらえなかったから。
 省吾は小さく呟くと、深く息を吐き出して体を起こした。
「さすがに、風子たちには聞かせたくないな」
「うん。聞かれても、話すつもりない。この手の事件が実際にあることは知ってるだろうけど、でも、この件は知らなくていいと思ってる」
「そうだな……」
 ネットで検索すれば、過去から現在まで、性犯罪事件は山のように出てくる。しかし弥生の件に関しては、自分たちが話さなければ知らずに済む。実際、母親の事件はこちらでは報道されていない。危機感を覚えさせるには知る必要があるのだろうけれど、情報が溢れる今の時代、いやでも耳に入ってくる。ならば、話さずに済むのなら、それでいいのだろう。発信する方も受け取る方も、取捨選択は大切だ。
「省吾。さっきの宗史さんたちに報告するけど、いい?」
「ああ、うん」
「ありがと」
 大河たちにとって、犯人たちの様子や動向は重要な情報なのだろう。
「他に何かある?」
「もう一つ。その悪鬼を取り憑かせるってやつ。誰にでもできるのか?」
「はっきり分かってないんだけど、多分。でも、宗一郎さんから注意しろとは言われてるし」
「そうか……」
 また厄介な力を持っているものだ。省吾は短く息を吐いた。
「他には?」
「あ、いや。ないかな」
「じゃあ、そろそろ下りようか」
「ああ」
 言いながら腰を上げた大河に続いて、省吾も立ち上がる。部屋を出て、あの洞窟まだ残ってるのかなぁ、と言いながら廊下を進む大河の横顔を、省吾はちらりと一瞥した。
 雅臣と弥生の動機を聞いた時、少なからず同情心が湧いた。他の犯人たちも、おそらく悲惨な過去を抱えているのだろう。もちろん、だからといってこんな事件を起こして許されるわけがないし、影正を殺されていい理由にはならない。
 大河は弥生の動機を、気分が悪くなる話だと言った。彼女に同情しているのだ。しかし、彼女は影正を殺害した犯人の一人。憎まないわけがない。
 憎しみと、同情と。
 大河は、一体どんな気持ちでこの事件と向き合っているのだろう。
 そんな感傷的な省吾の気持ちとは裏腹に、居間の襖を開けるとおかしな光景が広がっていた。
「はしゃぎすぎだろ」
 一斉に向けられた視線に、大河が至極冷静に突っ込んだ。
 続きの間の襖は開けられ、柴は両手にダンベルを持ち、腹筋ローラーを使う紫苑は体がくの字に曲がり、志季はプッシュアップバーで腕立て伏せ、影唯は晴の指導のもとトレーニングチューブをお試し中、雪子は両手でハンドグリッパーを握っている。これほど筋トレグッズが似合わない連中も珍しかろう。
「終わったか?」
 そんな中、唯一筋トレグッズを持っていない宗史の手には、筆が握られている。目の前には長細い和紙、側には硯。
「うん。ていうか、何やってんの皆」
 何ごともなく続きを始めた晴たちを横目に、大河が呆れ顔で腰を下ろした。その隣に、省吾も笑いを噛み殺して胡坐をかく。続けるんだ。
「使い方を説明していたらいつの間にかこんなことに」
 宗史が手の平を上に向けておどけてみせた。
「柴たちには意味ないんじゃないの?」
「だと思うけどな。まあ、楽しそうだしいいんじゃないか?」
「まあね。鈴は?」
 意外とムキになる質なのか、これ硬いわねぇ、と顔を歪ませてハンドグリッパーを握る雪子に苦笑し、大河は麦茶のポットを抱えた。省吾と自分の分に注ぐ。
「海の様子を見に行かせた。裏山なら人目につかないから」
「あ、なるほど。そんで、宗史さんは? 護符?」
「影正さんの道具を貸してもらったんだ。風子ちゃんとヒナキちゃんにも渡しておこうと思って。島にはもう用がないから大丈夫だと思うが、念のためにな。普段でも使えるし」
「ああ……、そっか、ありがと」
 ん、と軽く返事をして、宗史は和紙に筆をつけた。
 今、一瞬不自然な間が開いた。昨日の一件で「大河の幼馴染み」全員の顔が知られたことになる。宗史は大丈夫だと言ったけれど、気休めだ。犯人たちも独鈷杵を狙っていたのなら、再度奪いに来る可能性がある。大河が持っているとはいえ、省吾たちを人質にしないとも限らない。宗史たちは、それに気付いていたのだ。
 省吾は強く奥歯を噛み締めた。やっぱり、風子を止められなかったのは失態だった。
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