第6話

文字数 2,860文字

 庭の端で取っ組み合う大河と樹を横目に、夏也がふと茂と同じく空を仰ぎ見た。気付けば灰色の雲はすっかり黒い雲に取って代わられ、昼間だというのに薄暗い。
「香苗ちゃん、雨が降る前に洗濯物を入れてしまいましょう」
「はい。風はありますけど、湿気がすごいですよね。乾いてるといいんですけど」
「微妙なところですね。乾いていなかったら離れの方へ運びましょう」
「分かりました」
 打ち合わせが終わると、夏也は茂と怜司を見やった。
「では、あとはお願いします」
「ああ。いつも悪いな、よろしく」
「二人とも、よろしくね」
「はい」
 怜司と茂に頷いて縁側へ戻ろうと足を向けた時、玄関のチャイムが鳴った。ちわー、と軽い男の声が届いた。この区域の配達担当者だ。
「私が行くので、香苗ちゃんは洗濯物をお願いします」
「はい」
 夏也はそのまま玄関の方へ回り、香苗は縁側から室内へ入った。
「そういや」
 作業を再開しながら、晴が怜司と茂に尋ねた。
「最近、弘貴と美琴が揉めたって聞かねぇけど、どうなんすか?」
「ああ、それなんだけど」
 苦笑を漏らした茂に晴は手を止めて見やる。
「不思議だよね。大河くんが来てからぱったりなくなったんだよ」
「そう言われてみれば、最近見てないな」
「へぇ、何で?」
「僕もはっきりとは分からないんだけど、大河くんに触発されたのかな?」
「ああ、なるほど」
 晴は、くくっと喉の奥で笑って作業を再開した。弘貴も美琴も負けず嫌いだ。大河の成長を目の当たりにしてプライドが刺激されたのだろう。揉める暇があったら訓練しようという方向に意識が向いたようだ。
「いい傾向じゃないすか」
「そうだね。でも、その代わり一切口をきかないんだよねぇ」
「確かに、近寄りもしてない気がしますね。お互いにそれがいいって判断したんでしょうか」
「反りが合わない相手は確かにいるけど、もう少し仲良くしてくれてもいいと思うんだよねぇ。一緒に暮らしてるんだし」
 どうにかならないかなぁ、と溜め息交じりにぼやく茂は、仲が悪い兄妹に頭を悩ませる父親のようだ。晴は微笑ましそうに目を細めた。と、
「何度言わせる気!? 足元ガラ空き!」
「うわっ!」
 樹の鋭い指摘と大河の悲鳴が響いた。いつの間にか取っ組み合いが体術指導に変わっている。
 大河が勢いよく足を払われて後ろに尻もちをついた時、夏也が荷物を抱えて戻ってきた。
「大河くんに、筆と墨が届きました」
 茂に頼まれて怜司が手配した筆と墨だ。
「お、来たか。つっても、まだ使えねぇだろうな」
「これを見て気合が入ればいいけどな」
「言えた。おーい大河、荷物届いてるぞー」
 樹に引っ張り起こされる大河を呼んだ時、香苗が慌ただしくリビングに駆け込んできた。
「あの……っ」
 皆が一斉に振り向くと、真っ青な顔をして叫んだ。
「藍ちゃんと蓮くんがいません!!」
 一瞬、時間が止まったような感覚に陥った。
 言葉の意味を理解するのにコンマ数秒、全員が動きを止めたところに和室から華が飛び出してきた。
「どういうこと!?」
 華の叫び声に弾かれたように、皆が道具を放り出して一斉に縁側から室内へ雪崩れ込む。
 華が詰め寄って肩を掴むと、香苗が目をつぶり小さく悲鳴を上げた。
「香苗ちゃん、いないってどういうこと!?」
「う……っ裏庭の窓がっ、開いてて……っトイレに行くって聞こえたから……っそっちもっ、確認して……っ」
 香苗は体を竦め、俯いてたどたどしく告げた。声と自分のTシャツを掴んだ両手が震えている。
「華さん、落ち着きなさい。香苗ちゃんのせいじゃないんだから」
「大河くん、二人の靴確認してきて」
「はいっ」
 茂が華の肩を掴んで引き離し、樹の指示に大河が飛び出した。華は、あ、と掠れた声を漏らし、俯いて「ごめんなさい」と小さく呟いた。顔は青ざめ、胸の前で組んだ両手が小刻みに震えている。一方、大丈夫かい? と茂が香苗を気遣う。
「二人の靴あります!」
 玄関から叫び声が届き、後から大河が駆け込んできた。
「二階の部屋も全部確認してきて」
「はい!」
 再び大河がリビングから飛び出すと、樹は香苗を振り向いた。
「香苗ちゃんも一緒に行って。それと擬人式神の用意。できるね?」
「は、はい……っ」
 少し震えた声で、しかし大きく頷いて、香苗もリビングから飛び出した。
「晴くん、志季を捜索に出して」
「了解。志季!」
 すぐさま晴は霊符を放つ。瞬時に白い煙が渦巻き、ちらりと着物の柄が覗いた。
「志季、聞いてたな? 行け」
「了解!」
 煙の中から返答が聞こえるや否や、四散させながら志季が飛び出した。一旦庭に出て、屋根の方へと高く飛び上がった。
「出た可能性の方が高いけど、裸足で出たのかな」
「確か、裏庭にも双子用のサンダルがあったはずだよ。香苗ちゃん、動揺して確認し忘れたんじゃないかな。見てこよう」
「うん、お願い」
 茂が小走りにリビングから出た。
「でも何で裏庭から出たんだ? 今までこんなことなかったろ」
 怜司が怪訝そうに告げると、華の側に寄り添っていた夏也が言った。
「昨日、猫を追いかけて庭から出ようとしたんです。多分それではないかと」
「なるほどな」
「やっぱりサンダルなくなってるね」
 茂が渋面を浮かべて戻ってきた。ならば、大河たちの報告を待つまでもない。樹が三人の顔を見渡しながら告げた。
「晴くんは宗史くんに報告を、怜司くんは弘貴くんたちに、しげさんは昴くんたちに、戻って周辺を捜索するよう伝えて。僕は明さんに」
「了解」
 四人が一斉に携帯を操作し始めた。明の番号を呼び出す樹に、華がすがるような目で訴えた。
「樹、あたしも……っ」
「駄目」
 食い気味に却下され、威圧的な視線に華がびくりと体を震わせた。
「今の華さんに冷静な判断ができるとは思えない。夏也さんと一緒にここで待機。絶対に動かないで――ああ、僕。双子がいなくなった。今志季が捜索に出てる。念のため式神どっちか寄越して。うん、よろしく」
 箇条書きのような報告を済ませると、あっさりと通話を切った。
「すみません、私の責任です。油断しました、すみません」
 珍しく動揺しているのか、すみませんを繰り返した夏也の背中を、連絡を終えた怜司が軽く叩いた。
「反省は後だ。とにかく華さんの側にいろ。離れるなよ」
 夏也はきゅっと唇を結び、はいと頷いた。佇んだまま震える華の肩を抱き、ソファへと促す。
「樹、宗が椿こっちに送ってすぐ来る。それと左近送ってもらうよう連絡しとくって」
「分かった。明さんも閃を送ってくれる。じゃあ晴くんは大河くんとスーパーの方を、しげさんは香苗ちゃんと駅の方をお願い。僕と怜司くんは公園の方に行く」
「了解」
 晴、怜司、茂の硬い声が揃った。樹は庭の方へ視線を投げ、眉を寄せた。
「天気、保ってくれればいいけど……」
 二階から、香苗が駆け下りてくる足音が響いた。
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