第11話

文字数 1,684文字

      *・・・*・・・*

 携帯がないため、自分がどこにいるのか、あれからどのくらいの時間が過ぎたのかも分からない。次第に上がる気温と顔の痛みに耐えながらひたすら待つだけの時間は、一時間にも二時間にも思えた。
 徐々に朦朧としていく意識の中で、昔の記憶が蘇った。

 自分が女の子に間違われる容姿なのだと自覚したのは、いつだっただろう。
 今は亡き祖母に買ってもらった水色のランドセル。好きな色を選んでいいのよと母に言われて、素直に選んだ色だった。澄んだ青空色のランドセルは、お気に入りだった。
「男が水色のランドセルとか、気持ち悪ぃ。お前女かよ」
 クラス替えがあった五年生の時だ。唐突にクラスメートからそんなことを言われ、面食らった。男の子の色、女の子の色なんて概念はなく、初めて一緒のクラスになった奴で名前も覚えていない。そんな奴に何故突然絡まれるのか、理解できなかった。
 机を囲み、にやにやと薄笑いを浮かべた男子三人を見上げてぽかんとしていると、近くの席の女子が言った。
「今どき色で男とか女とか、だっさ」
 四年生の時も同じクラスだった彼女は、同じ水色のランドセルを使っていて、それをきっかけに時々話すようになった。可愛らしい見た目とは裏腹に、活発で誰にでも分け隔てなく優しい、クラスの人気者。
 子供のいじめは、ほんの些細なことがきっかけになる。しかし、人気者の彼女が不敵に言い返したことで教室には同意の空気が広がり、いじめに発展することはなかった。
 あとから知ったことだが、絡んできた男子三人のうちの一人が、以前から水色のランドセルの女子のことが好きだったらしい。要は、好きな女子と同じ色のランドセルを使っていることが気に入らなかったのだ。もしかすると、同じクラスになる前から目をつけられていたのかもしれない。
 子供らしい嫉妬といえばそうだが、馬鹿馬鹿しいとも思った。同じ色だから何だというのだ。
 しかし、彼女が庇ったことが裏目に出てしまった。彼女とクラスメートたちに嫌われる勇気はなかったらしい、こそこそと人目につかないように嫌がらせをしてくるようになった。机の引き出しにゴミが入っていたり、プリントがなくなっていたり。
 不快ではあったけれど、そもそも人目を避けて嫌がらせをするには限界がある。学校で一人になることなどなかったし、くだらない、誰かに相談するほどでもないと思っていた。それに、この程度だと担任に相談しても良くて注意止まり。最悪、気のせいだとか言ってまともに取り合ってくれない。実際、暴力を振るわれたり、金銭をせびられたりということはなかった。
 唯一頻繁だったのが下校時だ。だが学校周辺には観光スポットがあり、下校時間は人通りが多い。さすがに手を出されることはなかったけれど――。
「知ってるか? 千早って、女の名前なんだってよ」
「マジかよ。俺前から思ってたんだよな。女みたいな名前だなってさぁ。だからあいつ女みたいな顔してんだな」
「ニューハーフなんじゃねぇの?」
「ニューハーフって元は男だろ? んで、男が好きなんだよな」
「うえー、気持ち悪ぃー」
 ある日、友人と別れたあと、聞こえよがしにそんなことを言われた。
 ニューハーフの人に謝れ。大体、男だとか女だとか言うわりには、男らしくないことをする。とは思うものの、反撃しようものなら調子に乗って手がつけられなくなるので、とにかく無視し続けた。
 だが、さすがに気になった。千早は女の名前なんて話し、初めて聞く。もしそれが本当だったら、どうして母はそんな名前をつけたのか。知らなかったのか。あるいは、本当は娘が欲しかったのではないかと、悲観的な考えが脳裏を掠った。
 家事と子育てと仕事。三足のわらじを履いて、それでもいつも優しい母を疑うのは嫌だった。けれど、一度芽生えた疑心と不安は消えることなく、パソコンのキーボードを叩かせた。
「千早」とは、古くは神事の際に用いられた衣装のことを指すらしく、主に女性が着ていたそうだ。そこから、現代では女性の名前という認識が強く根付いている。
 疑心と落胆が、胸一杯に広がった。
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