第12話

文字数 4,474文字

「で?」
 本日の哨戒地域である中京区に向かう車内で、宗史からの通話を切った樹に、怜司は端的すぎるほど端的に尋ねた。
「どれに対しての『で』なの?」
「全部だ」
「大雑把すぎない?」
 樹は処分対象から外されたスポーツドリンクの蓋を開けながら、肩を震わせた。スポーツドリンクには大量の糖分が含まれているが、甘味ではない。しかし、絶賛処分中の樹にとっては唯一の甘味だ。
 一口二口飲み下すと、樹はそうだねぇといつもの飄々とした口調で言った。
「会合での発言を聞く限りでは、皆らしい発言しかしてないし、行動も特に気になるところはなかった。大河くんが見た部屋も、宗史くんが言うようになくはない。そもそも、全員が年単位で寮にいるんだし、ちょっとやそっとでバレるようなマネはしないだろうね」
「相当な役者だな」
「いっそ転職すればいいのに。有名になれば陰陽師より断然稼げるでしょ」
 しらっとした顔で皮肉を吐きながらペットボトルをホルダーに戻した。
「それより気になるのは、公園襲撃事件のことかな」
「辻褄は合ってるけどな」
「内通者がいるって知らないと気付けないけど、知らなくても気付くことはある」
「隗か」
「そう。一掃するって発言が本気にしろ脅しにしろ、あの時はこっちの戦力を削ぐいい機会だった。大河くんたちが到着するまでに、最短で五分。三鬼神って言われるくらいの強さなんだから、四人全員が無事だったのはどう考えても不自然。昴くんと香苗ちゃんのどっちかが内通者だとしても、三人は確実に殺されてた。他に目的があったとしてもね」
 こういう話をする時の樹は、躊躇いがない。だからといって一切の情がないわけではない。覚悟の現れか、それとも、事務的に話すことで自分を戒めているのか。
「やっぱり、内通者は一人か?」
「寮の人数からして二人も三人もいらないでしょ。内情を探るだけなら一人で十分。むしろバレる危険性が高くなる」
「当主陣と宗史くんたちは、当然気付いてるだろうな」
「だろうね。宗一郎さんたちは情報を全部持ってるし、早い段階から気付いてたと思うよ」
「大河は気付いたと思うか?」
「さあ、どうだろう。昨日といい会合での発言といい、少しは脳みそが活性化してるみたいだけど、気付いたようには見えなかった」
 樹は、呆れたような、憂いたような息を吐いた。
「渋谷健人のこともあるし、僕たちから話すことはないと思うけど、どうかな。自分で気付くかもしれない」
「そうなると危険だな」
「だね。影正さんの手紙がどう作用するかによるかも」
「手紙か……。まさか、知ってたとは思わなかった」
「うん、僕も」
 先見のことは、もちろん知識として知っていた。けれど、俗に言う予知夢みたいなもので、占術とはまた別物だ。的中率が高いとは聞いていたが、所詮夢だろうと軽んじていたのは確かだ。まさか本当だったとは。もし影正が抗っていたら、どうなっていたのだろう。彼が言うように、抗うことさえも運命のうちで、やはり彼の死は免れなかっただろうか。
 影正は、どんな気持ちで十七年間を生きていたのだろう。
「まあ、様子を見るしかないよね」
「そうだな。他には?」
「皓のことも気になるけど、今のところあの時以外で目立った動きをしてないからねぇ。柴と紫苑も分からないって言ってるし、何とも言えないかな。紺野さんたちからの情報も不確定すぎる」
「菊池や平良の身辺からは何も探れないみたいだしな」
「正体を隠すつもりがないみたいだから、当然だろうね。てことは、他に仲間がいる。何人いるかまではさすがに分からないけど、紫苑が破れないほどの結界を張った術師が首謀者である可能性が高い」
「結界を張っておいて姿を見せなかったからな。そいつを探れば潜伏先が分かるかもしれない」
「可能性としては有りだね」
「柴と紫苑が復活させられた理由は?」
「それねぇ……」
 珍しく樹が腕を組んで渋い唸り声を上げた。
「さっぱり分かんない」
「さすがのお前もお手上げか」
「だって何の情報も無いんだもん。どう考えても僕たちにとって有利になるだけだよ?」
「宗一郎さんたちも、さすがに掴めてなさそうだったな」
「うん。でも、邪魔になるって分かっておいてわざわざ復活させたってことは、絶対に何か意味はあるはずなんだ。向こうには朝辻神社から盗んだ文献がある。僕たちが知らない情報が書かれてるかもしれない」
「そういえば、盗んだ奴もまだ分かってないんだよな。そもそも、その情報をどこから手に入れたんだ」
「さあ。昴くんなら簡単だろうけど、本人は違うって言ってるし証拠もない。紺野さんの言うことが本当なら、朝辻家から漏れたとは考えられない」
 紺野は会合で、朝辻家には霊感を持つ者がおらず宮司すら信じていなかったと言った。しかもどうやら忘れっぽい人のようだった。吹聴して回った可能性は低いだろう。
「朝辻家と繋がりがある奴を探るって手があるけど、繋がりがあるなら堂々と見せてくれって言えば済む話だし」
 樹は低く唸り、あっと声を上げた。
「影綱の日記」
「そうか、柴と紫苑の封印場所が書かれてるくらいだ。陰陽寮にいたことは間違いない。朝辻家のことが何か書かれてるかもしれないな」
「柴と紫苑が復活させられた理由も分かるかも。独鈷杵の在り処もだけど、刀倉家に攻撃系の術が伝わってない理由も謎なんだよね。島からでもさすがに今日には届くでしょ」
「進展がありそうだな」
「宗一郎さんと明さんならすぐに読めるだろうし、楽しみ」
 多少気分が上がってきたらしい、樹は顔を緩ませた。
「他に気になることと言えば、やっぱりあれか。事態が大きく動く」
「ああ、あれね」
 あっさりとした口調に、怜司は樹を一瞥した。
「分かったか?」
「多分だけどね。怜司くんも見当くらい付いてるでしょ」
 柴と紫苑の証言から導き出された答えは、知ってしまえば実に簡単だった。陰陽師だけではない、その手の話に興味がある者なら誰でも一度は耳にしたことのある情報だ。だが。
「安易じゃないか?」
「安易だね。だから多分最終的な狙いはあれじゃないんだと思う。成功すれば良しって感じじゃないかな。向こうには隗と皓がいるから、柴と紫苑の行動パターンや性格は分かる。僕たちと合流することくらいは考慮してるだろうから、狙いがこっちに漏れることも、そこから僕たちが推理することも想定内だろうね。でも、それは宗一郎さんたちも分かってると思うよ」
「すでに手を打ってるってことか」
「間違いないね。でないと、内通者がいる会合であんな話ししないでしょ」
 怜司はうんざりした息をついた。
「結局、最終的な狙いは何なんだ。この世を混沌に陥れることが目的なら、あれ以上のうってつけはないだろ」
「僕もそう思うんだけどねぇ、さすがにそこまでは分からない」
 もし推理が当たっているのなら、時間がない。手を打っているにしろ、事態が動いてから全ての情報を皆に伝えるのでは、間に合わないのではないのか。
「宗一郎さんたちは、一体どこまで分かってるんだろうな」
「さあねぇ。少なくとも、僕たちよりはずいぶん先が見えてると思う。もしかして、首謀者も見当が付いてるかもしれない」
 それでも教えないのは、やはり内通者がいるからか。
「せめて僕たちには教えてくれてもいいのにねぇ」
 樹は膨れ面をしてペットボトルを取った。内通者ではないと判断したのなら全て話せと思わなくもない。けれど、宗一郎たちにも考えがあるのだろう。ここは当主陣を信じるしかない。
 ほんとに僕たちのこと信じてるのかなぁ、とぼやく樹の横顔を一瞥する。
「草薙は?」
 端的に問うと、樹はペットボトルから口を離した。
「物凄く怪しいとは思うけど、決定打がないから何とも言えないかな」
 まるで他人事のように告げ、樹は再び口を付けた。
 宗史から伝えられた情報の中に、冬馬たちに関するものもあった。それを、樹は眉一つ動かさずに聞き、分かったとだけ答えた。草薙親子が事件に関わっているのかいないのか不透明な今、宗史も伝えないわけにはいかなかったのだろう。報告をしなければ取り返しのつかないことになる可能性があることは二人ともよく分かっているし、何より、樹が妙な気を使われることを好まない。何かあって、あとから知らされれば激怒するのは目に見えている。
 良親と対峙した時、よく耐えたなと思った。あの時、樹はかろうじて激怒一歩手前で踏み止まっていた。良親から情報を引き出す必要があった以上、殺すわけにいないと分かっていたからだ。だが、もしまた草薙親子、あるいは敵側が冬馬たちに手を出せば、次こそは容赦しないだろう。
「ていうかさ」
 ペットボトルをホルダーに戻しながら、樹が振り向いた。
「事件のことも気になるけど、あれ、気にならなかった? ご飯の時の」
「ああ、あれか」
 気が付いたのは夕食の時だった。何やら春平と昴と香苗が、夏也の行動をちらちらと窺っていたのだ。
「何なのあれ」
「春は大河のことも気にしてたな」
「あ、やっぱり? 部屋に籠ってる間に何かあったのかな」
「だろうな」
「尋問してもいいけど、さすがに香苗ちゃんは可哀相だし、春くんと昴くんは口が堅いからなぁ」
「香苗を尋問したら確実に泣かれるな」
「女の子を泣かすわけにはねぇ。それに、華さんにバレたら今度こそ内臓粉砕される」
 樹はぶるっと体を震わせた。樹を怖がらせる女性など華以外にいるのだろうか。
「なんかもう事件の真相より気になるんだけど」
「事件を気にしろ」
「これ以上の推理は無理。情報待ち。あ、甘い物食べたら出てくるかも」
「一日ももたないのか、お前」
「僕のエネルギー源だもん」
 樹は憂いを帯びた息をつき、遠い目をして前を見据えた。
「十日かぁ……長いなぁ……」
 これほど憂いた顔をする樹を見るのは初めてだ。というか、甘味を禁止されたくらいでこんなに悲しげな顔をする男も珍しかろう。
「日が変わったからあと九日だろ」
「九日かぁ……長いなぁ……」
 人がせっかく気を使ってやったのに無駄にした。再び息をついた樹に白けた視線を投げ、怜司は中京区を哨戒する時にいつも使用するパーキングに車を入れた。
 タイヤがアスファルトを擦る音が車内に響く。
「ねぇ、怜司くんが黙っててくれればさ」
「断る」
 何を言われるか聞くまでもない。容赦なく一蹴すると、沈黙が流れた。
「怜司くんがさ」
「嫌だ」
 またもや容赦なく言葉を遮ると、樹は目を据わらせて怜司を睨んだ。
「ケチ」
「お前、反省してないだろ」
 空いているスペースに車を入れ、停車する。
「してるよ。でもせめてアイスくらい対象外にしてくれてもよくない? この時期なんだしさぁ」
「この時期だからスポーツドリンクが対象外になったんだろ」
「飽きる! 飽きた!」
「レモン味とかあるだろ」
「大して変わんないよっ」
 子供のように膨れ面でシートベルトを外して車を降りる樹に、怜司は溜め息をついた。処分が開始されてから数時間でこれだ。さて、何日耐えられることか。
 ケーキやチョコ菓子の商品名を羅列する樹に、恥ずかしいからやめろと怜司の苦言が飛んだ。
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