第10話

文字数 4,240文字

 宗史の私服をドレッサーの上へ移動し、大河と晴は窓辺の椅子、宗史はベッドの上で体を起こした状態で、説明は行われた。
 訓練や朝食、掃除をしながら、色々考えた。今聞くべきこと、聞かなくていいこと、考えるべきこと、考えなくていいこと。
 そして、見なければいけないこと。
 昨日の会合で何があったのかは大体察しがついていたから、いちいち動揺することもなく、また余裕を持って情報の整理もできた。ただ、樹と怜司を加えた茂たちは一昨日聞いていたのに対し、宗史と晴は昨日というのがちょっと意外だった。樹と怜司は宗一郎から、茂たちは明から話したらしい。樹たちは昴を見張らせるためで、宗史たちは気持ちを考えた上でのことだろうか。ちなみに、潜伏場所を探りに出ていた柴と紫苑には左近が、展望台の件は隙を見て茂たちから話したそうだ。
 また、楠井親子や玖賀真緒のことも宗史へ伝えられた。
「じゃあ、夜の会合の日のあれって、北原さんのメモ帳を渡してたんだ」
「らしいな。今は父さんが持ってる」
 ふーん、と大河はアイスコーヒーが入ったグラスを持ち上げた。ストローに口をつけながら思案する。
 戻った左近が、宗一郎と明を呼んで廊下の先に消えた時のことだ。あの時すでに、二人は昴が内通者だと知っていた。だとすれば。
「昼間の哨戒を中止にしたのって、そのせい?」
「ああ。警察から昴を匿うためだと思ってたんだけどな」
「あ、そうとも取れるよね。んじゃ、あの時に話さなかったのは俺がいたから?」
「まあ、そうなる」
 昴の正体を知っているような素振りはこれっぽっちも見えなかったのに。当主ってのは涼しい顔で演技もできるのか。
「俺、聞いてたら顔に出てたと思う。やっぱりすっかり読まれてるなぁ」
 嬉しいのか悔しいのか。そのどちらとも取れる顔をして、大河は笑った。
 内通者がいると確定していたけれど、さすがに正体を知るとでは衝撃の大きさが違う。嵐の日に初めて全てを聞かされてなお、いつも通りの態度だった茂たちはさすがとしか言いようがない。昴に対してもそうだが、大河に対しても。疑われていたと、知っていたのに。
 なんかもう人としての格が違う気がする。支えにならなければなんて、おこがましかったかな。
「でもさ、夏也さんは? 大丈夫だと思うんだけど」
「怜司さんから報告をもらっていたらしいから」
 大河は一瞬首を傾げかけ、あっと思い出した。停電のことか。そっか、と呟いて、大河は意味もなくストローでグラスを掻き回した。エアコンの低い稼働音と、氷の涼やかな音が混じる。
 今、弘貴たちも茂と華から話しを聞いている。昨日の春平を思い出し、大河は顔を曇らせた。今朝もちょっとよそよそしかった。
「大丈夫か?」
 不意に静寂を破った宗史の声に、大河はついと顔を上げた。ベッドの上と正面から、宗史と晴が真っ直ぐこちらを見つめている。多分、昴のことを聞いているのだろう。
 大河はじっと二人を見つめ返してから、おもむろにテーブルに置いていた携帯を起動する。
「これ、昨日の朝に皆で撮ったんだ」
 そう言いながら例の集合写真を呼び出して、晴に向ける。携帯を受け取った晴が、へぇ、と感心した声を漏らした。
「なんでまた撮ることになったんだ?」
 宗史へ渡しながら晴が尋ねる。
「樹さんと怜司さんと紫苑の手合わせを、録画しとこうと思ったんだ。そしたらあとで繰り返し見られるし。結局、時間切れで撮れなかったんだけど。そしたら華さんが、集合写真撮ったことないわねって言って。それで」
 さすがにその場の思い付きだろうが、いつか昴がいなくなると分かった上で、あんな提案をしたのだ。茂はもちろん、ちょっと素直じゃなかったけれど美琴も、樹も怜司も賛成した。それがどんな意味なのか、昴は気付いてくれただろうか。
「いい写真だな」
「うん」
 大河は腰を上げ、戻された携帯を受け取った。画面に目を落としたまま、椅子に腰を下ろす。静かに息を吐き出して、言葉を選ぶようにゆっくりと語った。
「昨日はさ、栄晴さんのこととか、怜司さんのこととか、美琴ちゃんとか冬馬さんとか、下平さんも怪我してるし、挙げ句の果てに宗史さんと椿はむちゃくちゃするし、なんかもう、何から考えればいいのか分かんなかった」
 さらりと非難されて宗史はバツの悪い顔をし、晴が笑いを噛み殺した。
「でも、こうやって改めてちゃんと話しを聞いて、一つ分かった」
 大河は顔を上げて、困ったような開き直ったような顔でへらっと笑った。
「やっぱり、許せないや」
 相手がたとえ、昴だとしても。
 寮の皆の中で初めて言葉を交わしたのは、昴だった。
 皆と顔を合わせることなく客間に通され、そのまま離れへ行き、会合が始まった。これが終われば京都観光をして島へ帰れると、のんきに構えていた。そんな中で突然起こったひと騒動。
 初めは、すごく気の弱そうな人だと思った。けれど、公園の事件で印象が変わった。実際、昴はすごく強かった。手合わせや術の指導をしてもらい、霊符のお手本も描いてもらった。怪我をすれば心配してくれて、一緒に笑って、くだらない話で盛り上がる。
 影正を殺害した犯人が誰なのか知っておきながら、昴は知らない顔で一緒に笑っていた。許せるわけがない。
 草薙の件を含め、標的が犯罪者というのは、必要悪にも勧善懲悪にも思える。だがその裏で、矢崎家の母子は家族を亡くし、リンやナナは不安な日々を過ごし、智也と北原は怪我を負い、たくさんの者が鬼や悪鬼に食われて犠牲になった。それに、最終的にこの世を混沌に陥れるつもりなら、罪のない人々をも恐怖に陥れることになるのだ。
 大切な人を、また自分を傷付けた相手を恨み、復讐する気持ちは否定しない。この世を恨むのも仕方のないことなのだろう。でも、だからといって大勢の人間を犠牲にしていい道理などない。影正を殺されていい理由になんかならない。
 宗史は真っ直ぐ大河を見つめ、晴は伏せ目がちに視線を逸らした。
「でもさ」
 携帯をオフにしてテーブルに置き、コーヒーを一口飲んでから続ける。
「隗と同じで、許せないって気持ちと、早く止めてあげたいって気持ちがあって、それに悲しいって気持ちもある。俺さ、ここにきてそんなに経ってないけど、昴さんの全部が嘘だとは思えないんだ。もちろん主観だし、希望的観測で甘い考えだってことは分かってる。俺なんかには想像もできない目的があるのかもしれない。でも、あの嘘がどうしても引っ掛かるんだよね。ほら、お母さんの噂」
「ああ、北原さんが調べた」
「そう。だって、あんなの調べればすぐに分かることだし、普通は調べられるかもって思うじゃん。実際、北原さんが報告してたら捕まってた。それなのにあんな分かりやすい嘘つくなんて、おかしいよ。あの時咄嗟に出たんだとしても、内通者だって隠したいのならすぐに二人を襲うよね。それに、北原さんが襲われた時もメモ帳を盗っていかなかったんだよ? 不自然じゃない?」
 宗史が唇に手をあてがって思案した。
「確かに、昴は紺野さんが警察官だと知っていただろうし、事件を担当する可能性にも気付いていただろうな」
「そういや昨日、正体がばれてることに気付いてたような口ぶりだったな。特定できるような事件なんかねぇのに」
 昴は昨日、美琴も知っていたのかと口にした。こちらが正体に気付いていることを分かっていた証拠だ。いつから、どうしてと疑問に思ったが、あの嘘をついた時からだとすれば、腑に落ちる。
「てことは、初めからあの嘘を用意してたってことか?」
「可能性としては、なくはない。しかも、あんな嘘をついたことを、仲間は知らないかもしれない。知っていれば、大河の言う通りもっと早く紺野さんと北原さんは襲われていたし、メモ帳も奪われていた。昴の正体を知られるのは、向こうとしても都合が悪いだろうからな」
 昴の役目は、あくまでもこちらの内情視察だ。できるだけ情報は多い方がいいだろうし、仲間意識があるとはいえ、潜伏場所を喋らないとも限らない。
「てことは……」
 答えを濁した晴に、大河が頷いた。
「あれってさ、本当なら紺野さんも一緒に調べてたよね」
「紺野さんに、捕まえて欲しかったのか」
「俺は、そうじゃないかって思ってる」
 気持ちが変わっていればと、陽と一緒に願った。
 志季の報告では、敵側には仲間意識があるらしい。昴が失踪したのは二年前。入寮したのは一年前。その間の一年は、訓練をしていた。仲間と一緒に。失踪期間から考えて、平良と弥生。健人ははっきりしないが、仕事と訓練を並行していたのなら、時々一緒だったかもしれない。同じ目的を持つ彼らと一緒に過ごした一年。毎日笑いが絶えない寮の皆と過ごした一年。双方に、仲間意識を持ってしまった。
 昴の心は、揺れていたのではないか。紺野が事件を担当する可能性に気付いていて、でも、担当にならないように祈っていた。だからあんなに驚いて、仕方なく用意していた嘘をついた。
 晴が重苦しく口を開いた。
「もし当たってたとしたら、紺野さんと北原さんは責任重大だな」
「判断をゆだねたということになるからな。けど、紺野さんは昴さんを信じ、北原さんは紺野さんを案じた結果でもある。北原さんはおそらく気付いていないだろうが、かなり悩んだだろうな」
「あ、そっか。気付いてたら紺野さんに言うよね」
 多分な、と宗史は頷いた。いずれ昴が内通者であることは分かる。ならば、さらに罪を重ねる前に逮捕した方が二人のためになる。
 晴が渋面を浮かべて溜め息をついた。
「昴の奴……。馬鹿か、あいつは……」
「俺もそう思う。あんな回りくどいやり方してさ、馬鹿だよ、昴さん。でも、それだけ迷ってたんだよ。だからなおさら止めてあげたい。少なくとも、樹さんたちは同じ気持ちだと思う。じゃないと、写真なんか撮らない」
「昴が内通者だって知ってたわけだしな」
「そう。ただ、ここまで言っといてあれだけど、全部俺の想像だから」
 へらっと笑って、大河はおどけるように肩を竦めた。
 こんなの、勝手な憶測にすぎない。本当は、あの嘘には思いもよらない目的があるのかもしれない。それが何かはさっぱり分からないけれど、憶測が当たっていて欲しいと願い信じつつ、別の可能性も頭の隅に置いておかなければいけない。見るべきものから目を逸らしては、あの時と同じことを繰り返すから。
 昴は、本当はどんな気持ちでここにいて、どんな気持ちで影正の手紙を聞いていたのだろう。
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