第13話

文字数 2,125文字

        *・・・*・・・*

「断る」
 午後七時。晴からの提案を、宗史が不遜な顔で一蹴した。
「そう言うと思ってたわ。あのな、宗」
「思っていたのなら聞くな」
「だから」
「なら聞くが」
 ことごとく言葉を遮られ、晴が小さく舌打ちをかました。険呑とした空気に、影唯と雪子がはらはらした顔で二人を見つめる。
「もしここを鬼や式神に狙われたらどうする。はっきり言って、俺一人では対処できないぞ」
 宗史にしては弱気な発言だが、それが現実だ。どれだけ強くても、人外の力に人は敵わない。晴がぐっと言葉を詰まらせ、苛立ったように頭を掻いた。
「さらに言うなら、奴らの実力はまだ判明していないんだ。悪鬼だけでなく、犬神もついている。確実に守るのなら、このままの体制でいくべきだ。違うか」
 睨むような視線と共に論破され、晴ががっくり肩を落とした。
「……おっしゃる通りで」
「よし」
 宗史も晴の気持ちは分かっているだろう。けれど、処分のこともあるし、自分より優先すべきと思っているのだ。有難いが、宗史のことも心配な大河からしてみれば、少々複雑でもある。
「一つ、よいか」
 口を開いた柴に視線が集まる。
「ここから、神社の正確な位置は分かるか」
 そんな問いから提案された柴の作戦は、全ての条件を見事に満たしていた。
「――なるほど、確かにそれなら」
「時間短縮にもなるな」
「ああ。よし、それでいこう」
 宗史は庭へ視線を投げた。
「時間が短縮できる分、出発を少し遅らせる。様子を見て決めるから、準備だけしておいてくれ」
「了解」
 一斉に返事をするなり、大河たち部屋着組は腰を上げた。柴と紫苑は鈴から神社の方角を聞き、晴と同じく続きの間で、大河は自室で着替えを済ませた。
 トイレに行って居間に戻ると晴が庭で一服しており、志季はその側で、宗史は縁側に腰掛けて空を眺めていた。柴と紫苑は着物だから少し時間がかかっているのだろう。雪子と鈴は後片付け、姿が見えない影唯は、浴室の方で物音がしていたから風呂の支度をしているようだ。
 大河は宗史の隣に腰を下ろし、倣うように空を見上げた。ひぐらしの鳴き声は感傷を誘い、赤とオレンジの夕焼けはとても美しいけれど、今日ばかりは少し不吉な色に見える。気持ち一つで、見慣れた風景がこんなに変わるなんて。
 憂い顔で空を仰ぐ大河を、宗史が一瞥した。
「……前に来た時も思ったんだが」
 おもむろに口を開いた宗史を振り向く。
「この島なら、(さくら)も落ち着いて暮らせるかもしれないな」
 どこか遠くを見つめるような眼差しには、わずかな哀愁が見えた。
 生まれた時から体が弱く、家から出られない。桜は、旅行どころか自分が住む京都の街にさえも、出掛けることができないのだ。自分たちが当たり前にしていることが、彼女はできない。でも、ここなら。自然に囲まれ空気も綺麗で、街の喧騒とは程遠いこの場所なら。そう、思ってくれたのか。
 大河は前を向き直り、再び空を仰いだ。
「新幹線とか、辛い?」
「長距離移動はちょっとな。人も多いし」
「じゃあ、式神は? スピード出せないだろうけど、ちょくちょく休憩入れてさ。あ、昼間は目立つから夜になるか。でも、星空が見られるよ。上空なら空気も綺麗だろうし、宗史さんたちが一緒なら安心してくれるんじゃない? 何だったら式神総出で護衛するとか」
 思い付くままの提案に、宗史がははっと短く笑った。
「そうだな。それも有りかもな」
 本気でそう言ってくれたのかどうかは分からないけれど、浮かんだ笑顔に大河は頬を緩めた。
 省吾はもちろん、風子もあれで面倒見はいい。桜はおっとりしていそうだから、ヒナキと気が合いそうだ。外で思い切り遊ぶことはできないだろうけれど、近くを散歩したり、一つ二つ野菜を収穫するくらいはできるかもしれない。
「いつか――」
 こうしている間にも空は暮れて、夕焼けは闇に飲まれてゆく。微かに吹いた風が、茶色がかった大河の髪を撫でた。
「桜ちゃんにも、見て欲しいな」
 この、穏やかで自然豊かな島を。
 屈託なく口にされた言葉に、宗史はゆっくりと目を伏せた。
「ああ、そうだな」
 まるで祈りを捧げるような、とても静かな声だった。
 宗史や晴、柴に紫苑、寮の皆、宗一郎たち、小田原や翔太、冬馬や紺野たちも。春は薄紅、夏は緑、秋は紅、冬は白。季節ごとに美しく色を変えるこの島を皆と一緒に眺めることができたら、どれだけ楽しいだろう。
 お前どんだけ吸ってんだよ、うるせぇ気合い入れてんだ、と小競り合いをしつつ、志季と晴がこちらへ向かってくる。大河の背後には、いつの間にか着替えを終えた柴と紫苑が佇んでいた。
「行くぞ」
「うん」
 腰を上げた宗史に続いて、大河も立ち上がる。
 台所から雪子と鈴が顔を出し、影唯が浴室から戻ってきた。志季は庭から回り込み、大河たちは室内から玄関へ向かう。
「鈴、頼むぞ」
「承知した」
 宗史に、鈴が強く頷いた。
 志季が合流し、大河は玄関先まで見送りに出た影唯と雪子に目を止める。
「じゃあ、行ってきます」
「気を付けて」
「気を付けてね」
 少し心配そうな顔をした両親に強く頷き、背を向ける。
 この世の全てのものの輪郭が曖昧になる逢魔ヶ時。これから先は、人ならざるものの時間だ。
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