第12話

文字数 2,369文字

 早く、と手招きをされ、大河たちは少しの不安と共に岩場を進む。
「ここ滑るから気を付けろよ」
 先を行く志季から注意が飛び、
「柴主、足元にお気を付け下さい」
「ああ」
 背後からは柴と紫苑の会話が聞こえてくる。
「志季たちはよく草履で平気だよね」
 いっそ楽しげに、飛び跳ねるように進み、省吾に追い付く志季を眺めながら、大河はひょいと潮だまりをまたいだ。
「慣れだろ、慣れ」
「あれで戦ってるわけだしな」
「あー、確かに。でもさぁ、戦闘中によく脱げないよね。足を振り抜いたら飛んで行きましたとかないのかな」
 その様を想像したのだろう、一瞬沈黙が落ちたと思ったら、三人同時にぶふっと噴いた。命をかけた戦いの最中、敵に蹴りを食らわそうとしたら草履が吹っ飛ぶなんて、面白すぎて戦闘意欲が削がれそうだ。敵の顔面に命中したらますます面白い。
「お前、そういうこと言うのやめろ。足元に集中できなくなんだろ」
「えー、だって。物理的に考えておかしくない? わらじみたいに紐で足首を固定してるわけじゃないのに」
「鼻緒をしっかり挟んでるからじゃないのか。足に力が入っているだろうし」
「そうなのかなぁ。でも、それはそれで指が攣りそうだよね」
「訓練不足だ。足の指が攣ったから戦いを中断なんて、間抜けすぎて泣けてくる」
「だからやめろって!」
 マジでやめて、と声を震わせて訴える晴に、大河と宗史の笑い声が響く。背後で、柴と紫苑が不思議そうに小首を傾げた。
「おーい、あったぞー」
 先行していた志季が、大きく手を振った。当たりを付けた場所よりもずいぶんと表側の方、行きすぎていたようだ。
 無駄話をやめ、足元に注意を払って辿り着いた場所は、記憶と少しだけ違っていた。
 ぽっかりと口を開けた洞窟は、大河の背丈もなく、幅も思っていたより狭い。足元は、日光が届く範囲にはアオサが生息し、奥へ行くほど岩がむき出しになっている。猫の額ほどの砂地を囲むように、というよりは、岩場の中に偶然砂地ができたと言った方が正しいだろうか。四畳、いや三畳あればいい方だ。
 大河はまだ少し湿った砂地に足を踏み入れて、洞窟の前に佇む省吾の隣に並んだ。真っ暗な口から、微かな冷気が流れ出してくる。奥へ視線を投げ、ぐるりと周囲を見渡す。
「こんなに小さかったっけ」
「子供の時の感覚だからな。場所も、もっと遠いと思ってた」
「俺も」
 行く手を阻むごつごつした岩場、落ちればびしょぬれになる潮だまり。さながら冒険家のように、互いを励まし合い、手を取り合い、必死に先へ先へと進んだ。そして見つけた、二人だけの秘密の場所。それまでの道のりはずいぶんと長く険しく、けれど心が躍る時間だった。
 でも今は、簡単に岩場を乗り越え、潮だまりをひょいとまたぎ、短時間で来ることができる。漁港から来たとしてもだ。洞窟や砂地も、子供から見ても狭くて小さい印象ではあったけれど、いざこうして改めて目にすると、さらに小さく見える。
 成長したからこその、寂寥感。あの頃感じた興奮と感動は、もう二度と味わえない。
 大河は少しの寂しさを振り払うように後ろを振り向いた。
「どう?」
 宗史たちはいやと首を横に振った。
「龍穴なら、霊気を感じるはずなんだけどな。何も感じない」
「俺もだ。志季、お前は?」
「いや、駄目だな」
「そっか……、俺も」
 もともと龍穴である可能性は低かったけれど、ちょっとだけ期待していた分、残念だ。
「どうする? 一応中に入ってみるか?」
「そうだな。報告をしないといけないし。大河、懐中電灯を」
「うん」
 大河はボディバッグを前に回し、懐中電灯を砂地に下りた宗史に手渡した。
 宗史は明かりを付けて、洞窟の中へ向けた。地面からゆっくりと、壁や天井を照らす。何の変哲もない、岩で囲まれた洞窟。
「俺が先行する。大河と省吾くんは……」
「行く」
「行きます」
 二人とも即答だ。思い出がたくさん詰まった場所ではあるけれど、もう、二度とここへは来ないかもしれない。できるだけ見ておきたいという気持ちは、省吾も同じらしい。
「分かった。柴と紫苑はどうする?」
「私が同行しよう。紫苑、見張りを」
「承知致しました」
 警戒しているのは敵襲か、それとも潮の満ち引きか。
「俺も残るわ。何があるわけでもねぇみたいだし、お前らだけでも大丈夫だろ」
 志季が休憩と言わんばかりに岩に腰を下ろした。
「分かった。じゃあ、晴、大河、省吾くんの順で。柴はしんがりを頼む」
「了解」
「承知した」
 この広さなら懐中電灯一本で十分明るいだろうが、念のために大河が携帯のライトを点けて、順に洞窟へ足を踏み入れた。
 一歩一歩踏ん張らなければつるんと滑りそうなほど、足元はぬめっている。どこかで水滴が潮だまりに落ちる音が反響し、しっとりした空気は奥へ行くほど冷たさを増して肌寒くなっていく。漁港や岩場などでよく見かけるフナムシ(Gにそっくりの海岸動物)は、海に沈むためか見かけない。
 寒い、狭い、生臭い、とぽつぽつ文句を垂れる中、途中、省吾が滑りかけて柴が咄嗟に腕を掴んだ以外は、特にこれといって何もなかった。
 高さも幅も狭くなり、全員が寒さに震え、足元がわずかに下り始めた頃、宗史が片手を上げた。
「止まれ」
 反響した声に、全員がぴたりと足を止めた。もう少し先ではさらに傾斜がきつくなっており、明かりが届かないくらい奥へと続いている。子供の頃も、おそらくここまで来たのだろう。見覚えがあった。
「これ以上は危険だな。戻ろう」
 一度ぐるりと明かりで周囲を確認し、ゆっくりと振り返った。倣うように、大河たちも慎重に方向転換して引き返す。
 ライトで省吾と柴の足元を照らしながら、大河は笑いを噛み殺した。二人とも上背があるため仕方ないのだろうが、天井が高くなるにつれて徐々に起き上がる二人の背中は、さながらコントのようだ。
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