第6話

文字数 2,426文字

「大河を寮に行かせて大丈夫なのか? 何ならうちで預かっても」
「問題ない。向こうの方が人の目が多いからな」
 晴の心配を一蹴した宗一郎はただと続けた。
「先日のことで居辛いようであれば頼む。構わないか?」
「ええ、構いませんよ。大河くんがよければ」
 影正の件のことを言っているのだろう。確かに、かなり気まずい空気のまま別れてしまい、彼らがどう思っているのか分からない。大河は「お願いします」と明に頭を下げた。
「では、今日の会合はこれで終了だ。宗史、晴、お前たちは日々の訓練を怠ることのないよう、今まで以上に精進しなさい。陽、お前にもこれから前線に参加してもらう。大河、君については訓練の進捗次第、こちらで判断する。二人とも資質は申し分ない。期待している」
 宗一郎がそんな言葉で締めくくったのは、ちょうど昼時だった。
「……何だ」
「てめぇこそ何だよ。放せ、俺が先だ」
「何を言う。私が先だ」
「はっ。これだから耄碌(もうろく)したジジイは困るんだよ」
「何だと? 私を愚弄するとはいい度胸だ青二才が。今すぐ消滅させてやろうか」
「やれるもんならやってみろ」
 テーブルを挟んで口汚く罵り合い睨み合う志季と左近が奪い合っているのは、醤油だ。
「放せクソジジイ俺が先だっつってんだろーがッ!」
「敬うという言葉も知らん若造が粋がるでないわッ!」
「いつまでも古臭ぇ言葉使いしやがっていい加減脳みそアップデートしやがれ!」
「何がアップデートだ目新しいものばかりに影響されおってそれでも神の眷族か貴様!」
「てめぇみてぇなジジイが情報不足で詐欺に引っ掛かったりすんだよ自覚しろ!」
「神の眷族が詐欺なんぞに引っ掛かるか阿呆!」
 神の眷族が醤油取り合って喧嘩するのはいいのか。大河は二人を一瞥し刺身に手を伸ばした。
 当主二名に大河ら四名、そして式神六名。総勢十二名の昼食は、そんな式神同士の喧嘩から始まった。
 テーブルを二卓並べて作られた長いテーブルに、皆が思い思いに席についたところまではよかった。けれど、何故か大河の正面に左近、隣には志季が座ったため、落ち着いて食事をするどころではなくなった。救いは逆隣が宗史であることくらいだ。
「宗史さん、気にならない?」
「慣れろ。言うだけ無駄だ」
 えー、と大河は不満を漏らしながら唐揚げをゲットすべく箸を伸ばす。と、椿が麦茶のポットを持って背後に膝をついた。
「宗史様、大河様、お茶をお注ぎします」
「ありがとう、椿」
「ありがと」
 いいえ、と椿は二人が差し出したグラスに麦茶を注ぐ。ふと、大河は明の言葉を思い出した。
「そう言えばさ、明さんが言ってた、式神が証人ってどういう意味なの?」
「ああ、言ってなかったか。式神は契約を交わした術者を観察することができるんだ。陽は、明さんの指示で閃か鈴が常についてる」
 神の眷族というくらいだからできても驚きはしないが。
「……どこから?」
 首を傾げて椿を見やる。
「そうですね……言うなれば、天から、ですか」
「天界とか、そういう意味?」
「はい。大河様が、会合の時にお怒りになられたことも存じております。ありがとうございました。とても嬉しかったです」
「うわ、見られてたんだアレ。えっ、てことは、トイレとか風呂とか男の事情とか……!」
「見るわけないだろ!」
「見ておりません!」
 揃って顔を真っ赤にした二人に全力で否定された。一瞬二人は顔を見合すと、椿がふいとそっぽを向いて立ち上がり、宗一郎の元へ去って行った。とたん、宗史にものすごい形相で胸倉を掴まれた。
「どうしてくれる。気まずくなっただろうがッ」
「ご、ごめん、つい……」
 威圧感が半端ない視線から逃げるように視線を逸らす。
 まったく、と宗史はぼやきながら胸倉から手を離した。と、ほっとして前を向き直った大河の視界を何かが覆った。避ける間もなくゴッ、という鈍い音が響いたと思ったら脳みそが微かに揺れ、目の前が真っ暗になった。体がふらりと後ろへ傾ぎ、そのまま卒倒した。
 部屋が水を打ったように静まり返り、そして、
「大河!?」
「志季ッ!」
「左近ッ!」
 宗史の慌てた声と、晴と宗一郎の怒声が同時に響き渡った。さらに晴と宗一郎が勢いよく立ち上がり、それぞれの式神の元へ怒りと共に歩み寄る。
「い……った……」
 大河は額を押さえながら体を起こした。額が割れたかと思った。一体何が起こったのか。
「良かった、何ともないか?」
「う、うん。何がどうなったの」
 いきなりことで把握できなかった。大河は軽く頭を振って何ともないことを確認する。
「志季の肘が当たったみたいだ。左近と喧嘩してて」
 明と陽、椿も駆け寄ってきた。右近は「何か冷やすものを持って来よう」と部屋を出て、閃と鈴は「頭は割れていないか」と覗き込んできた。無表情だが心配してくれているようだ。
「……ああ、そう……」
 あれからずっと喧嘩していたのかあの式神たちは。それだけでもう呆れる要素は十分なのに、目の前では神の眷族様が二人揃って正座でこんこんと説教されている。なんというか、実に人間臭い。
 それはともかく。大河は椿を見やった。島で紫苑と戦った時、確か水を扱っていたはずだ。
「椿ってさ、水の神様の眷族?」
「え? ええ、そうですが……」
 脈絡のない問いに戸惑う椿に、大河は突然両手を合わせて拝んだ。
「んじゃ、水の神様が怒ったのかなぁ。すみませんもう言いませんごめんなさい」
 ああと宗史と椿が同時に察した。先ほどの会話のことを言っているのだろう。もし水神の怒りを買ったのなら受けるのは水難だと思うのだが、そこに気付かないのは大河らしいと言えばらしい。宗史と椿は顔を見合わせて苦笑いを浮かべ、何のことかと明と陽は首を傾げた。
 志季と左近が主の説教から解放され、大河に頭を下げたのは十分ほど後のことだ。

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