第3話

文字数 2,722文字

 ぐっと奥歯を噛み締めた時、先行していた紫苑が叫んだ。
「見えたぞ!」
 大河と宗史と晴は上半身を起こして肩越しに振り向いた。月明かりがわずかに差し込んでいるとはいえ、鬼の視力で見えても人の視力ではまだ確認できない。
 目を凝らす間に距離は一気に縮み、社の全貌が姿を現した。
 周囲をぐるりと木々に囲まれた広場は、頭上を枝葉に覆われて上からは見えない。その中央、木漏れ日のように差し込む月明かりに照らされて、社は静かに建っている。雨風にさらされて全体的に色褪せ、柱や壁の下部分は黒々と変色して苔生している。二本の向拝柱(こうはいはしら)を貫く頭貫(かしらぬき)には注連縄が渡され、紙垂(しで)や小ぶりの鈴や鈴緒がぶら下がっている。よく台風で倒壊しないものだと不思議に思うくらいの古社だ。
 維持費は自治会費から捻出されるため賽銭箱は設置されていないが、参拝した際のお供え物は、生もの以外なら扉の前に置くことが許されている。今日も誰か参拝したのだろう、カップ酒がひと瓶置かれていた。参道と言える道はなく、地面がむき出しの広場から、鳥居を境に四十段ほどの石段が下へと続く。
 柴と紫苑が飛び込んだのは、社の目の前だ。
 木々の間を抜け、草履で地面を滑りながら盛大に砂煙を上げる。完全に止まる前に、大河たちが肩から飛び下りた。とたん、晴の携帯から志季の怒声が響く。
「晴ッ!」
 一連の動きが、ほぼ同時だった。
 柴と紫苑はその場で強く地面を蹴って飛び上がり、晴が真言を唱えながら左手を構え、携帯をポケットに押し込んだ。
「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク――」
 胸ポケットから霊符を取り出しゃがみ込み、地面に叩き付ける。柴の御魂石へ行使した、不動明王の大呪結界だ。
「大河、行け!」
「はい!」
 そして、宗史は霊刀を具現化しながら頭上を仰ぎ、大河は社の扉へと走った。真言を唱えるごとに、晴の霊気が急激に高まっているのを感じる。
「サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン!」
 恵比寿様ごめんなさいお邪魔します! 大河は心の中で謝罪しながらカップ酒を避け、引き戸を引っ張り開けた。山の中で木造だからだろうか。少しひんやりした空気に、古い木と土と、わずかなカビ臭さが鼻をつく。天井は手を伸ばせば届く高さで、広さは十二畳ほどと狭く、畳ではなく板張りだ。靴を脱いでいる余裕などない。ごめんなさいごめんなさい、ともう一度謝りつつ土足のまま足を踏み入れる。
帰命(きみょう)(たてまつ)る、縛鬼滅鬼(ばっきめっき)永劫封緘(えいごうふうかん)千古幽隠(せんこゆうおん)――」
 左右に窓はないが、戸口を開け放しているからか、薄暗くはあっても真っ暗ではない。目も慣れている。
 正面に置かれた祭壇は、床からそう高くない。社の壁まで届く横長の台の前に、祭事の時に神饌などが置かれる階段が三段。そして台の上は、手前に空間を残してもう一段高くなっていて、中央の枠組みの中に御扉(みとびら)、左右は板で塞がれている。階段横に背の高い燈籠やろうそく立てが並んでいるが、神前幕はなく全体的に質素だ。
 大河は祭壇まで一気に駆け寄り、階段を上った。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 カッ! と一瞬だけ、開け放した扉から眩い黄金色の光が社の中に差し込んだ。背後から強烈な光に照らされて、思わず目を細める。
 島の地図に書き込まれていたバツ印は、神社を中心に尚が霊符を土の中に埋めた場所だ。神社から、霊符を媒体に五枚の霊符へと霊力を送り込み巨大な結界を形成する。もちろん一枚でも可能だが、ここまで巨大になると、形成するまでの速度と強度、消費する霊力に多少の差が出る。今回の場合、晴の霊力に霊符にこもった尚の霊力が上乗せされた形になる。
 つまり、尚が島へ来たのは、集落への被害を防ぐ結界を一秒でも早く、また強固に張るための下準備だった。だから志季がわざと神社近くに姿を現し、敵をぎりぎりまでおびき寄せた。計画通りなら、全員結界内だ。
 ただ難点がある。柴と紫苑は非常に居心地が悪く、さらに若干力が削がれるらしい。しかし隗や皓も条件は同じで、また悪鬼は動きが鈍くなる。
「オン・アキシュビヤ・ウン!」
 立て続けに結界の真言を唱える晴の声が届いた。時間を稼ぐため、神社に結界を張っているのだ。どこからかメキメキと木の折れる音がした。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・アハンハタエイ・ソワカ!」
 宗史の水天の真言が高らかに響いた。しかも上級の略式だ。おそらく悪鬼が襲ってきたのだろう、よほどの数らしい。急がなければ。
「すみません、開けさせてもらいます」
 再度、黄金色の光が戸口から差し込む。無事に結界が張られたらしい。引く波のように吐き気がおさまっていく。
 何度目かの謝罪と断りを入れ、御扉の取っ手に手をかける。勢いよく左右に開けると、左右と奥の壁に白い布がぶら下がっており、雲が左右に広がったような台座に収められた、まん丸な鏡が祀られてあった。台座はかなり古いが、鏡にはわずかな傷も、一点の曇りもない。暗闇の中だからこそか。神々しい輝きを放っているように見えて、思わず気圧された。
 瞬間、外から風船が割れたような甲高い破裂音が連続して鳴り響いた。宗史が水天で悪鬼を貫いて、水が弾けた音だ。立て続けに剣戟の音が響く。宗史と晴が誰かと剣を交えている。見惚れている暇も、驚いている場合でもない。
 大河は気を取り直して腰を折り、慎重にご神体の台座を両手で掴んで持ち上げた。手前の開いた空間の右側に置いてから、両膝をついて両手を伸ばす。とたん、バリッ! と感電したような音が響いた。誰かが結界を破ろうとしている。急げ。
 確か、手前の板を左にスライドさせてから、上の板を右にずらして開ける。影唯が言っていたように、とても動くようには見えないが、考えてもしょうがない。
 諦めたとは思えないが、結界への攻撃音が止んだ。
 今のうちに。大河は御扉の下、手前の板の表面に両手を添え、押し込むように左へぐっと力を込めた。すると、カタン、とごくわずかに何かが外れる音がして、一センチほど板がスライドした。
「動いた……!」
一見固定されているように見えるが、窓とサッシのようになっているのだろう。手前の板に溝があり、御扉の枠組みと左右の板が嵌めこまれているだけらしい。さらに社の壁との間に隙間があるのだ。由緒ある神社ならともかく、島民以外に知られていない神社でこれだけ古ければ、歪みや軋みで多少の隙間なら見落とされる。しかし問題は上の板、ご神体が置かれていた床部分だ。壁に囲まれているため、つかえて開けられないのでは。
 そう思いつつも板の上に手を置いた時、ガラスが割れるような硬質で甲高い音が響き渡った。
 結界が破られた!
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