第9話

文字数 2,344文字

 夏也が二本のペットボトルを持って戻ってきた。
「小さいサイズですが、足りるでしょうか」
「いいよ、助かる。ありがとう、もらうね」
 はい、と頷いて、夏也は先に飲みかけのペットボトルの蓋を開けて差し出した。それを受け取ると、近藤は大きくあおって一気に喉に流し込んだ。その間に、夏也は新品のハーフサイズのペットボトルを開ける。
「それいつ買ったの?」
 弘貴が小首を傾げた。
「ああ。缶積みゲームの景品です」
「えー、俺チョコ一つだったのにー」
 悔しげに唇を尖らせる弘貴に、和んだ笑い声が上がる。
「やってみて思ったのですが、あれ、集中力を上げるのにいいかもしれませんね」
 茂がぽんと手を叩き、春平と弘貴はそうかと顔を見合わせた。
「確かにそうかもしれないねぇ」
「僕も一度やりましたけど、思った以上に難しかったです」
「俺も俺も。でも、うちってペットボトルは山ほどあるけど、缶ってないよね」
「皆に協力してもらおう。一人一缶飲めば十分だと思うよ。柴と紫苑もいるし、宗史くんたちにも頼めば」
「そっか、帰ったら早速頼んでみる!」
 集中力不足に悩んでいた弘貴にとって、いい訓練になるだろう。意外なところから解決策が見つかった。よっしゃ、と拳を握って気合を入れる横で、夏也と近藤がペットボトルを交換する。
 近藤が一口だけ口を付け、改めて春平と夏也を見上げた。
「えーと、春平くんと夏也ちゃん?」
 例の写真が渡っているらしい。名前を言い当てられて、二人がはいと頷いた。
「ごめんね、巻き込んじゃって。さっき二人から聞いたんだけど、お祭りに行ってたんだよね。気分台無しにしちゃった」
「いえ、そんなことありません。帰ってる途中だったし、無事で良かったです」
「そうですよ。気にしないでください。近藤さんがご無事であることの方が大事ですから」
 春平と夏也が首を横に振ると、近藤はくすりと笑った。
「皆、優しいなぁ。ありがとね。ところでさ、さっきの赤い鳥なんだけど、聴取で犯人が言っちゃうと思うんだよね。どうする?」
 あー、と春平たちから迷った声が漏れる。
「僕、つい反応しちゃったから、ごまかせないかもしれないよ?」
「あ、俺も。あんな巨大な朱雀初めて見たからびびった」
「あれ、そうなの?」
 うん、と弘貴が頷き、春平たちも便乗する。
「じゃあ、見たことにした方がいいかもしれませんね。僕たちも心霊スポットに来たという体ですし、特に問題にはならないでしょう。まあ、ここの所有者の方は迷惑かもしれませんが」
 茂の提案に、春平たちが頷く。
「了解。――でさ」
 突如、近藤の目がきらりと輝いた。
「その朱雀、式神だよね。誰?」
「ああ、左近ですよ」
「やっぱり!」
 茂が答えるや否や、近藤は勢いよく身を乗り出した。
「どこにいるの? もう一回見たい!」
 目がきらきらと輝いている。意外と元気そうで何よりだが、この手の目は見覚えがある。同じタイプなのかなぁ、と少しの親しみ覚えつつも、春平は顔を引き攣らせて身を引いた。
「そう言われても、もう引き上げたんじゃねぇかなぁ」
「こっちと関係ないみたいだしねぇ」
「えー」
 弘貴と茂が苦笑いで建物の方を見上げると、近藤は見るからに残念そうに肩を落とした。
「なんだぁ、もう一回ちゃんと見たかっ」
 不意に近藤が言葉を切った。険しい顔で素早く腰を上げ、春平と弘貴を前のめりの体勢で横へ押しのけた。
「わっ」
 そして勢いよく飛び出したと思ったら、次の瞬間――ゴッ! と鈍い音が響いた。
 春平たちが遅れて振り向いた時には、近藤が足を振り上げ、タトゥー男が中腰でエビ反りになっていた。どうやら、襲いかかった男に気付いて顎を蹴り上げたようだ。男は、がっと呻き声を上げ、背後で悶絶していた仲間二人の上に仰向けでどさりと倒れ込んだ。ぐほっと仲間二人が苦悶の声を吐き出す。
 あの時、タトゥー男はうつぶせで他の二人に下敷きにされて催涙スプレーを浴びた。露出している首筋や腕、頭はもろにかかったはずだが、顔にかからなかった分、まだ動きやすかったのだろう。それでもかなり痛かったはずなのに。
 足を下ろし、近藤が顔をしかめて嘆息した。
「ほんと、しつこ――」
「ああっ!」
 最後まで悪態をつくことなく体がふらりと傾いで、春平たちが慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
「すみません、僕たちが油断したから。さっきかけとけばよかった!」
 春平、弘貴、夏也の心配と茂の謝罪に、近藤は「あははは」と笑った。
「へーきだよー」
 目が虚ろだ。大丈夫には見えないが、ペットボトルはしっかり握っている。
 近付いてくるパトカーのサイレンを聞きながら、春平がペットボトルを預かり、弘貴と茂で近藤を助手席まで運ぶ。ふと、何を思ったか、夏也が弘貴の尻ポケットから催涙スプレーを引っ張り出した。
「ん、あれ? 夏也さん?」
 引き抜かれた感触に弘貴が戸惑い、全員が振り向くと、夏也が男たちの側で足を止めた。そしてぎょっと目を剥いたタトゥー男へ向かって、躊躇いなくプシュッと催涙スプレーを吹きかけた。
「うあっ!」
「しつこいです。大人しくしていてください」
 顔を覆いのたうちまわる男に冷たく言い放ち、夏也はくるりと踵を返した。軽くではあったが、顔面に浴びたため今度こそ動けないだろう。
 戻ってくる夏也の表情は一見いつもと変わりないが、その目には苛立ちの色が浮かんでいる。これはかなりご立腹だ。
「あはは。夏也ちゃんやるねぇ」
 戦慄する春平たちとは反対に、近藤は弱々しく、けれど楽しげにけらけらと笑った。
 と、道路に停めていた寮の車の後ろに、二台のパトカーが滑り込んできた。サイレンの音が消え、制服姿の警官がそれぞれ一人ずつ降りてくる。遠くではまだサイレンが響いているから、かなりの数が集まりそうだ。
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