第8話

文字数 5,648文字

 さて、ここからは刑事としての時間だ。紺野は頭を切り替えた。
 先程の朝辻の話によると、文献以外の宝物には一切手がつけられていない。となると、初めから文献が目的で宝物庫に忍び込んだことになる。ではその情報をどこから得た。朝辻は祖父から聞いて、比沙子以外には話していないと言った。
「豊さん」
「うん?」
「文献のこと、比沙子さん以外に知ってる人はいませんか」
 朝辻は顎に手を添えて難しい顔で唸った。
「そう言われてもねぇ。僕は、たまたま祖父と一緒に宝物庫に入った時に聞いたんだけど、誰が知ってるかまではさすがに。両親も亡くなってるし、もしかしたら叔母さんが知ってたかもしれないけど……」
 叔母は紺野の母方の祖母にあたる。父方の祖父の葬儀の時に「将一さん、お別れに来てくれたのねぇ」と言った人物だ。しかし、彼女も夫も――つまり母の両親――数年前に他界している。現在実家で両親と同居しているのは、父方の祖母のみだ。祖母同士で仲が良かったのは覚えているが、昴の力のことを知っていたわけだし、話題に出てもおかしくない。また母も同様で、陰陽師のことなど一度も口にしたことがない。ということは、知らなかったと考える方が妥当だ。
 朝辻の話から察するに、おそらく文献の存在は刀倉家のように代々受け継がれているわけではないようだ。興味本位から現代語に訳した者がいるにしても、大戦は史実として記録がない。面白おかしく書かれた物語りとして保管されていた。一族に霊感を持つ者はおらず、ゆえに「陰陽師の家系」であることも次第に忘れ去られ、ただの「ネタ」として時折伝えらえる程度になってしまった。朝辻の祖父も本気で言ったわけではないかもしれない。そう考えると、先祖の誰かが軽い気持ちで他人に話した可能性がある。それが巡りめぐって鬼代事件の犯人たちに伝わってしまった、ということになるのか。
 その巡りめぐった経緯が知りたいのだが、肝心な部分がぽっかり抜けしまっているのだ。犯人がどこから情報を得たのか探るのは困難か。ならば、そこから犯人に辿り着くのは無理だ。
「比沙子さんが誰かに話したということは……」
「さすがにないと思うけどなぁ」
「ですよね……」
 息子が宝物庫に忍び込んで書物を持ち出したかもしれないなんて、さすがに口外しないだろう。
 特に気分を害した様子もなく、聞いてみようかと言った朝辻に甘えて比沙子に尋ねても、やはり答えはノーだった。
 そもそも、何故あるはずのない大戦の記録が朝辻神社に残っていたのだろう。当主二人でさえ知らなかったとなると、晴明の命に背き、誰かが密かに書き記したことになる。目的は分からないが、敵側が柴と紫苑の封印場所を知っていたのだから、残した人物は陰陽寮に所属し、かつ晴明に反発していた人物。
「それはさすがに分かんねぇな……」
 当時、晴明に反発する人物がいたかどうかなど、それこそ明たちの領分だ。心当たりがあればとっくに探っているだろう。あと思い当たるとすれば、ライバルとされている蘆屋道満(あしやどうまん)だが、彼は陰陽寮にはいなかった。
「ん」
 そういえば、蘆屋道満は大戦時どうしていたのだろう。明たちの話には一切出てこなかったが。
 陰陽師そのものに興味がなかったため、知識が浅すぎる。あってもドラマや小説で見聞きしたことくらいで、しかも脚色がされているだろうからライバル説も創作かもしれない。明たちに聞くべきだろうか。
 深々と溜め息をつき、朝辻と比沙子のくすくすとした笑い声で我に返った。
「あ、すみません。つい」
 考察に夢中になってしまった。
「いや、いいよ。宮下さんも言ってたけど、誠一くん、立派な刑事さんになったよねぇ」
 感慨深そうに笑う朝辻に、比沙子がうんうんと頷いた。
「警察官になったばかりの頃は、疲れ切ってよく昴と一緒に社務所でお昼寝してたのに」
「そうだ、実はね、あの頃の写真があるんだよ。こっそり撮ったんだ」
 人が寝ている隙になんてことをしてくれてんだ、この神職は。
「あー、あれね。二人とも無邪気な顔で寝てたわよねぇ」
「本当の兄弟みたいで可愛かったんだよー」
 思い出話に花を咲かせる二人に、紺野はいたたまれない顔でもう一度溜め息をついた。どうしてこう、親や親戚というのは人の子供の頃の話を恥ずかしげもなく語るのだろう。
「誠一くん、写真見る?」
「いえ結構です」
 速攻で拒否すると、二人揃って残念そうな顔で「えー」と抗議の声を漏らした。ほんとにやめてくれ。
 どうやら自分の回りには緊張感が続かない人たちばかりらしい。紺野はすっかり逸れてしまった話題を無理矢理戻す。
「それより」
 わずかに語気を強めると、朝辻と比沙子は文献の話題など忘れたかのような笑顔で視線を向けてきた。脱力しそうになったがかろうじて堪える。
「文献は宝物庫に保管されていたんですよね」
「そうだよ」
「どんな状態だったんですか?」
 朝辻は逡巡した。
「確か、漆塗りの文箱に、書物と現代語訳が一緒にしまわれていたと思うけど。赤い紐がくくられてあったかな」
「文箱ごと無くなってたんですか」
「うん、そう」
 文箱だけでも残っていれば、何かしらの手掛かりがあったかもしれないのに。
「創建当初からここにあったんですか?」
「それが、はっきりしないんだよ。そもそも創建された年代も分からないから」
「分からない?」
「うん。戦火で焼けてるんだ。記録やなんかもほとんど一緒に消失したらしくてね。再建されたのは江戸時代に入ってから。でも、その頃にはもうあったみたいだよ」
「ということは、江戸時代より前……。家系図は?」
 名前が分かれば、明たちが所有する文献や書物と合致する人物がいるかもしれない。何せ向こうは正当な陰陽師家だ。記録は十分に残っているだろう。
「江戸時代からのものしか残ってないんだ」
「そうですか……」
 期待とは裏腹の答えに、紺野は嘆息した。記録がないのなら遡って追うのは難しい。
 朝辻神社に文献が残っていた理由も、残した人物も、盗んだ犯人も分からない。結局、全て謎に包まれたままだ。
「誠一くん、今日はこれからどうするの?」
「あー、そうですね……」
 紺野はうーんと喉の奥で唸った。例の事件の再捜査に行くには監視が邪魔だ。あの事件を調べさせないために三宅を殺害したのなら、今動くと誰が狙われるか分からない。犯人たちの狙いが犯罪者だったとしても、危害を加えない保証はないのだ。
「よかったら、お昼一緒にどう? お腹空いたままだと頭が回らないし、力も出ないしね」
「あら、いいわね。そうしたら?」
 笑顔で勧められ、紺野は申し訳なさそうに頭を掻いた。そう言われると無性に腹が減ってくる。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「決まり。蕎麦かそうめんか迷ってたんだよ」
 誠一くんはどっちが好き? と朝辻に聞かれながら、紺野は社務所へと向かった。
 社務所には、小さいながらキッチンが備え付けてある。成美の連絡先を教えてもらい、蕎麦を茹でて、自宅で比沙子が作った肉じゃがと一緒に昼食をいただいている最中に、下平からメッセージが届いた。龍之介の件は噂に留まらず、しかも警察内部に揉み消しに加担した者がいる。草薙と警察が繋がった。しかし、加担した人物が判明しない限り、草薙が鬼代事件と繋がっているという証拠にはならない。動けない現状に苛立ちが募る。
 苦い顔で片付けを終わらせた頃にはゆうに一時を回っていた。
 昼食は交代で摂るらしく、紺野と朝辻が社務所を出て授与所の前へ出ると、ぽつぽつと参拝者の姿があった。
 さてこれからどうしようか、と考えながら参道の方へ視線を投げると、監視二人が今にも死にそうな顔で灯篭の影に隠れていた。昼食は一人がコンビニに走っただろうし、トイレも駐車場の端に完備されている。問題はこの気温だ。ごくろうさん、と他人事のように心の中で呟き、紺野は授与所の前から拝殿に目をやった。
 親子だろうか、二礼二拍手一礼をしてお参りをする二人の女性参拝者を見てふと思い立った。この際だ、実家の方にも顔を出すか。
「豊さん」
 授与品の補充の相談をしていた朝辻と比沙子が同時に振り向いた。
「今から実家の方にも行ってきます」
「ああ、それがいいよ。(じゅん)ちゃんも心配してるだろうし」
 純ちゃんとは母の名前だ。純子という。朝辻と母は従妹のため気安いのは分かるが、母をあだ名で呼ばれるのは少々違和感がある。比沙子が言った。
「皆さんによろしくね」
「はい。じゃあ失礼します」
 軽く会釈をして参道へ向かう。紺野はふと足を止め、体ごと拝殿を振り向いた。
 どれだけ祈っても縋っても、結局は人の力で解決しなければならない。でもせめて、行き着く先が悲惨な結末になりませんようにと祈るくらいはいいだろう。
 深々と頭を下げた紺野を、朝辻と比沙子は微笑んで見つめていた。
 朝辻神社をあとにして、紺野は実家へ車を走らせた。
 突然帰った紺野を一番に出迎えたのは、てまりだった。察していたように玄関で行儀よく座っていたてまりは、紺野が扉を開けると待ち侘びたようにゆっくりと立ち上がって尻尾を振った。夏毛は冬毛に比べてもふもふ感が足りないが、それでも触り心地は優しいし、甘えるように顔を手に擦りつけてくるてまりは十分癒しになる。こんな事件の最中ならなおさらだ。玄関にしゃがみ込んでてまりの感触を味わっていると、母がリビングから顔を出して第一声、「あらやだ、あんた何してるの」と呆れ声で言った。自宅謹慎中であるはずの息子がいれば驚くのも無理はないが、もっと他に言うことはないのか。
 ひとまず入ったリビングでは、三年前に定年退職した父がダイニングテーブルに大きなパズルを広げていた。老眼鏡越しに視線を上げ、柔和な笑みを浮かべて「おかえり」と言ったその顔は、朱音のそれと似ている。
「あんた、出歩いて大丈夫なの?」
 朝辻と同じ心配をした母に同じ答えを返した紺野は、一息つくことなく祖母の部屋へ向かった。後ろからてまりがくっついて来る。
 一階の一番奥、小さな庭に面した和室が祖母の部屋だ。彼女は数年前から体調を崩しがちになり、何度か入退院を繰り返したあと、本人の希望で自宅療養に切り替えた。もう八十を越え、一日の大半をベッドの上で過ごすがゆっくりでも会話はできるし、食欲もある。
 襖越しに声をかけて開けるとひんやりとした空気が流れ出てきて、祖母が背を起こしたリクライニングベッドの上から笑顔で迎えてくれた。枕もとの横には、祖父の仏壇がある。てまりが足元をするりと抜けて部屋に滑り込み、ベッドの側でお座りをした。
「おかえり」
「ただいま。どうだ? 調子は」
 後ろ手で襖を閉めながら尋ねると、祖母はしわしわのやせ細った手でてまりの頭を撫でながらうんと頷いた。
「悪くはないよ」
「そうか」
 紺野は祖父の仏壇の前で正座をし、一度だけお鈴を鳴らして手を合わせる。祖父の将一は、生前は警察官をしていた。正義感溢れる人物で情に厚く、優しくも厳しい人だった。もしあの頃彼が生きていたら、早々に朱音と三宅を離婚させていただろうか。あるいは直接三宅と会って、諭してくれたかもしれない。そうすれば、きっと今頃――。
 紺野は不毛な考えにこっそり呆れた息をつき、その場でくるりと体勢を変えて祖母を振り向いた。
「ばあさん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「何だい?」
 祖母が頭から手を離すと、てまりが畳に伏せた。
「朝辻家のことなんだけどな、陰陽師の家系だって聞いたことねぇか?」
 率直な質問に祖母は虚をつかれた顔して、何度か瞬きをした。
「いいや? 初めて聞くねぇ。本当かい?」
「らしいぞ」
 ふうん、と相槌を打つ驚いた顔は、本当に知らないようだ。やはり母方の祖母からは何も聞いていないらしい。
「じゃあ、昴の力はそれかもしれないねぇ」
 そうかい、と言って祖母は一度瞬きをし、じっと紺野の顔を見つめた。
「――誠一」
「うん?」
 祖母は一拍置いて言った。
「昴を、頼んだよ」
 念を押すようにゆっくりと告げられた言葉に、紺野は瞬きをした。
「あ、ああ……」
 かろうじてそう答えると、祖母は皺だらけの顔にさらに皺を寄せてにっこり笑い、たどたどしい手付きでリモコンを操作してリクライニングを倒した。機械音に反応したてまりがひょいと顔を上げ、紺野は腰を上げて手を貸す。完全に倒れてから、夏用の布団をしっかりかけてやる。
 静かに目を閉じた祖母の顔をしばらく眺め、紺野は足元のてまりを見やった。
「てまり、行くぞ」
 小声で促すとてまりは立ち上がり、戸口へ向かう紺野のあとを追った。
 襖を閉めリビングへ向かう。警察といえど、さすがに八十を過ぎた祖母は疑わないだろうし、聴取されなくても、父と母から聞いているだろう。昴が失踪したことももちろん知っている。この二年、何度か同じことを言われたが、それにしても、今のは妙に重みがあった。
 死期が近い者は勘が鋭くなると言うけれど。
 紺野は廊下で足を止め、祖母の部屋を振り返った。そう長くはないだろうと医者からは言われている。本人も、もう十分生きたよと笑えるくらいには覚悟ができている。
 ――いや、そうじゃない。
 砂を擦るようなざわりとした心のざわつきは、祖母の死に対するものではない。
「……何だ……?」
 足元で、てまりが紺野を心配そうに見上げて小さく鳴いた。
 そのあと、もやついた気持ちのままリビングで二千ピースのパズルに挑む父をからかい、母に頼まれててまりの散歩に行った。監視役の二人は「何やってんだあいつ」と言いたげな顔をしつつもついて来た。六時頃に祖母も一緒に早めの夕食をいただいて、久々に家族団らんの時間を過ごし、七時を回った頃に実家を後にした。母のことだ、事件のことを聞いてくるかと思っていたが一度も口にしなかった。父から言い聞かせられたのだろう。
 帰り際、てまりが酷く寂しそうに一声鳴いた。
 そして自宅へ戻りしばらくした頃、一本の電話が入った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み