第17話

文字数 3,268文字

 急いで庭に下り、皆の元へ駆け寄る大河を見送って、宗史は茂の側に膝をついた。
「しげさん、半紙のストックってどこにありますか? それと筆ペンをお借りできますか」
「ああ、大河くんの護符かい?」
「ええ」
「和室にあるんだ、持ってくるね。筆ペンはテレビボードの引き出しに入ってるよ。藍ちゃんと蓮くんに慣れてもらおうと思って」
「分かりました」
 さすが教育者だ、すでに英才教育は始まっていたか。
 茂が和室に入り、宗史はしゃがみ込んで引き出しを漁る。と、ソファで庭の様子を眺めていた宗一郎と明の会話が耳に入ってきた。
「大河は、陰陽師としての自覚が出てきたようだな」
「ええ。加えてあの霊力量と成長速度。あまり期待をかけるとプレッシャーになると分かっていても、期待してしまいます」
「そうだな。しかし、少々自己評価が低いのではと思っていたが、もしやあれが理由か?」
「おそらく。意外でしたね」
 やはり、皆思うことは同じか。
 思いがけず知ってしまった、大河の過去。よく笑い、素直で真っ直ぐで人懐こい。そんな性格の大河がいじめに遭っていたなんて、考えもしなかった。今は明るく笑っていても、自己評価が低いという形でトラウマが残っている。初陣の時もやけに渋っていたし、島で省吾と喧嘩した時も自分のことを馬鹿だと言っていた。買い言葉だとばかり思っていたが、本当にそう思っているのかもしれない。
 いじめの原因は、もしかして霊力だろうか。
 しかし、例えそうだとしても、樹が言ったようにあの成長の速さの理由が「自分の霊力を受け入れているから」だとしたら、そうさせたのは、きっと省吾たちだ。性格や目的があることも影響しているのだろうが、そもそも省吾たちがいなければ今の大河ではなかっただろう。それほどまでに、大河にとって省吾たちの存在は大きい。
「まあ、これから術を覚えていけば自信も付くだろう。それにしても……」
 珍しく宗一郎が渋い声で口ごもり、宗史は見つけた筆ペンを持って立ち上がった。二人に視線を投げると、縁側を眺めたまま明は苦笑し、宗一郎は複雑な表情をしていた。視線を辿り、ああ、と口の中で呟いた。藍と蓮だ。
 宗一郎が大きく溜め息をついた。
「まったく、あれほど哀愁を漂わせる五歳児も珍しい」
 そうぼやきながら宗一郎は腰を上げた。
「どうしたんだい?」
 茂が半紙を持って戻ってきた。宗史は苦笑いを浮かべて、視線で促した。その視線を辿った茂からも苦笑が漏れた。
 大人たちが大人気なく大騒ぎをしながら抉れた地面を埋める様子を眺める藍と蓮の背中からは、得も言われぬ哀愁が漂っている。楽しげにする皆に混ざりたいのだろうが、宗一郎から処分が出ている。家から出るな、という言葉の意味をきちんと理解している証拠ではあるが、なるほど、確かに子供にこんな背中をさせてしまうのは大人として罪悪感を覚える。
 宗一郎は藍と蓮の背後で膝をついた。
「藍、蓮」
 名前を呼びながら、二人の頭に手を置いた。藍と蓮がゆっくり振り向いて、大きな目で見上げた。切なく揺れる瞳に、宗一郎がわずかに戸惑ったのが後ろから見ていても分かった。
「私は、明日から三日間と言ったんだ。それに、庭は家の一部だ。出ても構わない」
 行って来なさい、とでも言うように二人の背中を軽く押した宗一郎に、藍と蓮は無言で頷きかけて、
「はい」
 と返事をして庭へ下りた。もどかしげに靴を履き、皆の元へ駆け出す小さな背中を見やってから、宗一郎は腰を上げた。
 深い溜め息を吐きながらソファへと戻ってくる宗一郎が、不快気に眉を寄せた。
「何だ」
 俯いて肩を震わせる明への問いだ。宗史は茂から半紙を受け取り、ローテーブルにつく。茂は縁側に戻り、どっこいしょ、と掛け声を呟いて腰を下ろした。
 筆ペンの蓋を開け、一度静かに深呼吸をしてから、ゆっくりと筆先を下ろす。
「いえ、さすがの貴方も子供には弱いのだなと思いまして」
「お前、私を何だと思っている。さすがに子供には甘くもなる」
 付けかけた筆先を思わず離してしまった。誰がどう甘いと、と問い質したい。むやみやたらに厳しかったわけではないが、甘かったとはとてもではないが思えない。宗史はもう一度深呼吸をして、改めて筆を下ろす。集中しなければ。
「しかし、予想していたより覚醒が早かったな」
「ええ、そろそろかとは思っていましたが。以前、宗史くんの報告にもありましたし」
 大河が京都に戻ってきた翌日の報告だ。藍と蓮が遠くの方を見つめて首を傾げていた、と。あれは、柴と紫苑の気配を感じ取ったのだろう。何かいる、だが感じ慣れない気配に首を傾げていたのだ。不確定すぎて報告書にはそこまで書かなかったが、やはり二人もそう捉えていたか。
「本来ならば訓練を開始してもいいのだが」
「今は控えた方がいいですね」
「ああ。樹も言っていたが、霊力を引き出せばそれだけ狙われる可能性が高くなる。事件が終わるまで待つか、それとも」
「自然と引き出されるか」
「危険性を鑑みれば事件が終わるまでとは思うが、こればかりはな」
「何がきっかけになるか分かりませんからね」
「ああ。ただまあ、惜しいと思わなくもない。早々に訓練を初めて可能性を見極めたいところだ」
「せっかちですねぇ。そう急がなくても逃げやしませんよ」
「……その口調、だんだんと栄晴に似てきたな」
「おや、そうですか? それは光栄です」
「年々図太くなっていくところもそっくりだ」
 宗一郎の嫌味混じりの溜め息と、明の小さな笑い声が届く。
 不意に会話が途切れ、宗一郎のふっと息を吐き出すような笑い声が聞こえた。
「双子を見ていると、宗史と桜の小さかった頃を思い出すな」
 徐々に筆を持ち上げ、筆先を滑らせるようにして離す。綺麗な払いが描けた。いきなり何を言い出すんだこの人は、と頭の隅で突っ込みつつ、次の部分へと筆をつける。
「ああ、小さい頃の二人はよく似ていましたからね。双子のようでした」
「そうだろう? そういえば、宗史は桜が生まれる前は寂しがり屋だったな。いつも私の後ろを追いかけていて、仕事で数日家を開けて帰ると、大泣きしながら出迎えてくれたものだよ。その日はずっと私から離れなかった。風呂も寝る時も一緒だ」
 いつの話だそれは記憶にない。というかこんな所でやめろ。筆を握る手に力が籠る。
「もうそれが可愛くて仕方なかったよ。新しい術を覚えた時も、真っ先に私に見せに来るんだ。褒めると嬉しそうに笑って抱きついて」
「父さん!」
 たまらなくなってつい声を荒げた。おかげで順調に描けていた線が歪んだ。じろりと視線だけを向けると、宗一郎は悪びれもなく言った。
「何だ、聞いていたのか? 集中力は大河の方が上だな」
 わざとあんな話題を出しておいてどの口が言うか。ニヤついた顔がその証拠だ。
「すぐ側で自分の子供の頃の話をされれば誰だって」
「へ――、宗史くんって寂しがりだったんだ。可愛い」
 不意に割って入ってきた樹の声に、宗史はぎょっとして振り向いた。視界と聴覚が狭くなっていたせいで気付かなかった。樹がソファの背後から背もたれの上に両腕を置き、前のめりの体勢でニヤついている。しかも後ろには大河たちが集合し、皆揃いも揃って笑いを堪えている。片付けを任されたのか、昴と双子がいない。
「子供の頃の話です! 父さんもここでそんな話をしなくてもいいでしょう!」
「流れからそうなっただけだ。わざとじゃない」
 よくもぬけぬけとそんなことが言える。
「大河っ!」
「はい!?」
 背を向けて肩を震わせていた大河が、跳ねるように振り向いた。
「部屋借りるぞ!」
「あ、うん、はいどうぞ」
 タメ口と敬語が混じった返答を聞き、宗史は半紙と筆ペンを鷲掴みにして足音も荒くリビングを出て行った。
 荒々しい足音が遠ざかり、やがてこれまた荒っぽく扉を閉める音が響いた。宗一郎が実に楽しげにくつくつと笑った。
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