第2話

文字数 2,890文字

 アヴァロンを辞めてからも、親しくしていたスタッフがいたこともあり、気が向けばふらりと立ち寄っていた。スタッフの中には冬馬を毛嫌いする者たちもいて、あれこれと愚痴を聞かされた。だったら辞めればいいと言うと、彼らは意味深な笑みを浮かべた。その意味が分かったのは、もっと後のことだ。
 半年後、冬馬が大学を辞め、バイトから正社員になったと小耳に挟んだ。バイトから社員になるには、店長の推薦状と功績、本社で人事課の面談が行われ、その結果を見て社長(オーナー)が判断する。それが冬馬に限っては、何故か社長自らが直々に面談を行ったそうだ。そのせいで「社長に目をかけられている」「社長のお気に入り」というレッテルが張られた。加えて聞いたのが、「次期社長候補」。
 社長は独身で子供もいない。ゆえに自分の後釜を探しているのではないかという噂がまことしやかに流れた。
 馬鹿馬鹿しい。当の本人である冬馬もそう言って一蹴した。同感だ。一年ほどで社員に昇格するのは珍しいらしいが、バイトから社員になったばかりで、勤務歴も浅い従業員を候補に入れるわけがない。普通の会社なら身内か副社長、役員の中から選ばれる。ただ物珍しかっただけだろう。けれど社長に子供がいないのは確かで、実力主義を謳っているのなら、一概に否定もできない。
 どちらにしろ冬馬に一歩先を行かれた感は否めなかった。同時に気付いた。あれだけ鬱陶しいと思っていた冬馬との比較を、自分がしていることに。
 けれど、その理由がよく分からなかった。
 アヴァロンにいた頃のように、やたらと比べられているわけでもないのに、何故――。
 ある日、あまりにも喧嘩早い良親に、店長が言った。
「お前、面接の時に上目指してるって言ってたよな。はっきり言って、このままじゃ無理だぞ。ホストクラブはチームプレイだ。敵ばっか作ってたらそのうち干される。今は指名客が増えてるけど、仲間との連携が上手くできないホストはすぐに客も離れていく。ちゃんと見られてるってことを意識しろ。お前、営業とか接客はできるんだからもったいないぞ」
 遠回しではなく、直球で「無理」だと言われたことに反発を覚えたが、この頃には順調に指名客を増やしていた。また一から新しい店で始めるのは面倒臭い。もったいないと言われた嬉しさと一瞬脳裏を掠った次期社長候補という甘言が、辞めてやるという心に歯止めをかけた。
 とにかく上を目指す。そのためにアヴァロンでの仕事も腹立たしい比較も我慢してきた。役職を貰ってもっと売り上げを上げて、せめて店長の位置まで登りつめたい。その向上心が自制心を生み、徐々に揉めることは無くなった。
 数カ月後、正社員になった。けれど、社長直々の面談はなかった。
 それから二年ほど経った頃、アヴァロンで店長の不正が発覚した。妥協主義で気が弱い印象しかなかっただけに、さすがに驚いた。だがそれ以上に驚いたのが、冬馬が店長に就任したことだった。しかも社長直々のご指名で。
 社長のお気に入り、次期社長候補という噂の真実味が増した。しかしそれは、同時に「誰にでもチャンスがある」ということになりはしないか。功績を上げれば社長の目に止まる。そうすれば、候補になれる可能性がある。おそらく冬馬は、社員雇用の際の推薦状と功績で社長の目に止まったのだろう。だとしたら自分もと思うのは当然だった。一介の店長ではなく、企業の社長。
 あの場所からは、どんな景色が見えるのだろう。
 アヴァロンのスタッフががらりと変わり、しばらく経ってから冬馬のおかしな噂が流れ始めた。クスリを売っている、売春斡旋をしているという、冬馬を知る者ならば笑い飛ばすような内容だった。案の定、反発して辞めた奴らの嫌がらせだったが、わざわざ否定してやる義理もない。そのうち噂を信じた輩がアヴァロンに集まるようになり、冬馬を取り囲んだ。何度かその光景を目にし、まるで若頭と子分のようだと言って爆笑した良親に、冬馬はうんざりした顔でぼやいた。
「いくら否定しても信じないんだよ。仕事にならない、鬱陶しい」
「あれって辞めた奴らの仕業じゃねぇの?」
 知らないふりをして何気なく言った一言に、冬馬が意外そうに目を丸くした。
「何だよ」
「……いや、別に」
 今思えば、あれは失言だった。暗に、お前はあんなことしない、と言っているようなものだ。余計なことを言った。
 けれど、その時の他愛のない会話をきっかけに、時折くだらない話をするようになった。冷やかしに事務所へ顔を出しては追い出されるというパターンが定着してきた頃には、何も恩恵を得られないと知ったのか、立て続けに湧いて出る噂の信憑性を疑ったのか、取り巻きの顔ぶれが何度か変わり、噂はすっかりネタと化していた。次第に過激になる噂について嫌がらせをした奴らに聞いてみたが、否定された。おそらく冬馬の仕業だろう、彼らは終息していく様に舌打ちをかました。
 数カ月後、ミュゲの店長が独立することになった。
「良親。お前、店長やってみないか」
 そう言われた時は、本気で夢かと思ってしばらく唖然とした。
「正直なことを言うとな、最初はセナさんに頼んだんだ。けど、純粋にプレイヤーだけがしたいから嫌だって断られた。まあ、あの人役職も蹴ったくらいだし、ほんとこの仕事好きだしな。あと他にも頼もうと思ったんだけど、俺の店に移るって言ってくれててさ。まあぶっちゃけ、消去法だ。お前、新人の頃は喧嘩早いし敵ばっか作るしでどうしようかと思ったけど、今は落ち着いてるし指名客も多い。役職も付いてるし、経営会議でも思ったことはっきり発言するしな。雑なところがちょっと心配だけど、まあ(りく)さんいるから大丈夫だろ」
 消去法でも何でもよかった。数人の反対意見はあったが、無事引き継ぎが終わり、あれほど夢に見た店長に就任した。
 反対していたホストたちが辞めると言い出した時、引き止めたのはナンバーワンのセナと内勤の陸だった。勤務歴が長く信頼も厚い二人が後ろ盾になっている。だからこそやっていけている。それは重々承知だった。ただ、冬馬と同じ位置に立っている、その事実が欲しかった。けれどやはり、冬馬の方が一歩先を行く。
 冬馬の不穏な噂が流れ始めた頃、一時アヴァロンの売り上げが落ち込んだがすぐに立て直してきた。それ以降、どうしても超えられない。冬馬は客層が違うのだからと言うが、違うからこそ越えたかった。
 いつまであの背中を追いかけなければいけないのか、その理由もまだ分からなかった。
 ある日、ツレから一本の電話が入った。譲二が傷害で捕まった、と。この頃、譲二はプロボクサーになったはいいが敗戦続きでずいぶんと荒んでいた。良親も減量期間を避けて会い、浴びるように酒を飲みながら朝まで愚痴を聞かされることがあった。そんな中、苛立ちから付き合っていた彼女に手を上げたらしい。初犯だが反省の色が見えず、さらに身勝手な理由と怪我の程度、プロボクサーという肩書が不利になり、実刑が言い渡された。
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