第4話

文字数 2,043文字

 集落の惨状は、想像を超えていた。
 血の海に横たわる仲間の屍は、首や手足を切り落とされ、あるいは引き千切られた者、内臓を引きずり出された者、体を真っ二つに切り裂かれた者。目玉を抉り出された者、耳を削ぎ落された者、顎を裂かれた者、頭を割られて脳がはみ出した者。中には、顔を潰されて誰なのか判別できない者もいた。
 餓虎とおぼしき屍は綺麗なものなのに、集落の仲間の殺され方は常軌を逸しており、あまりにもむごたらしい。そこここに転がるたくさんの屍に、むせかえるほど濃い血の匂い。まさに地獄絵図そのものだ。
 そして父と母は、洞窟の外で、母を下にして折り重なるようにして倒れていた。姿形は残っているものの、十を超える刀が付き立てられ、うち一本が、折れた父の予備の刀だった。それは、まるで意図してそうしたかのように、母の額に刺さっていた。
「ち、ちうえ……母上……」
 集落一の美しさと謳われた母の顔は血で染まり、恐怖に歪んでいて、生前の美しさは欠片も見当たらない。他よりも大きく立派で、自慢だった父の角は無残にも根元から折られている。
 父と母の屍を前に、紫苑は愕然と膝から崩れ落ちた。両手を地面につき、何かを乞うように身を乗り出す。抱えていた刀が地面に倒れ、大粒の涙がとめどなく溢れて頬を濡らした。
「何故……ッ」
 地面を引っ掻いて拳を握り、掠れた声で誰にともなく問いかける。
「何故ここまで……ッ」
 餓虎は特に残虐だと聞いてはいたが、何故こうまでする必要がある。何故これほど残酷なことができる。敵対していても、同じ鬼ではないか。それとも、奴らにとって敵は同族でもなければ生き物でもないというのか。
 顔を歪め、歯を食いしばっても漏れる嗚咽は、仲間を埋葬していた兵たちの手を止めた。四十名ほどだろうか。皆、悲痛な顔で俯いている。
 おもむろに柴と玄慶が両隣で膝をつき、父と母へ視線を向けた。
「守り切れず、すまなかった。勇敢に戦い、紫苑を生かしてくれたお前たちは、私の誇りだ。礼を言う」
 柴がそう弔いの言葉を述べて恭しく頭を下げると、玄慶をはじめ、全員が仲間の屍や墓へと(こうべ)を垂れた。
 いっそ圧巻とも言えるその光景は、しかしとても粛々としていて、かつ酷く清らかなものとして、目に焼き付いた。
 紫苑はしゃくり上げながら、改めて父と母へ視線を戻した。死んだ者は生き返らない。それがこの世の理だ。ならば、命を賭して守ってくれたこの命を守り切るために、強くならねばならない。強くなって、いつか必ず、皆の敵を討つ。そう、決めたではないか。
 紫苑はぐっと歯を食いしばり、姿勢を正して頭を垂れた。
 ――前を向かなければ。父上、母上、どうか見守ってください。
 しばしの黙祷のあと、紫苑は突き刺さった刀を一本一本、自分の手で引き抜いた。身動き一つしない体から、真っ赤な血がどろりと溢れ出た。袖で顔の血を拭き取り、目を閉じてやり、玄慶が掘ってくれた墓穴に父と母を並んで横たえて、土をかける。次第に見えなくなる姿に涙が溢れ、強く唇を噛んで堪えた。
 父と母の埋葬が終わった頃には、全ての仲間の埋葬も終わっていた。けれど、残党はいなかったようだが、先程の追手を含め、餓虎の一派をも丁寧に埋葬する玄慶たちを見て、目を疑った。
「何故奴らまで……!」
 険しい顔で噛み付いた紫苑に、柴は言った。
「紫苑。野鬼も、同じ鬼だ」
 短いたしなめに、紫苑は息をのんだ。このまま放置すれば、早々に山の獣たちが血の匂いを嗅ぎつけて肉を貪るだろう。食い散らかされ、ただの肉の塊となって腐り果ててゆくことは、想像に難くない。
 敵であれ同じ鬼なのにと思ったのは、自分なのに。それなのに、至極当然の報いだとも思う。
 どう割り切ればいいのか、分からなかった。奴らと同じ。けれど父母や仲間を殺した相手を弔ってやる気は起きない。
 白くなるほど拳を握って俯く紫苑に、柴はさらにこう付け加えた。
「弔ってやれとも、悼んでやれとも言わぬ。できるとも思っておらぬ。それは、仕方がない。当然のことだ。しかし、同じ鬼であれ、これが野鬼と我らとの違いだということだけは、覚えておけ」
 虚をつかれた。野鬼と、我らとの違い。
 野鬼は、鬼であれ人であれ、欲のままに殺して食い散らかし、そのまま放置する。埋葬する手があるのにだ。だから、そんな奴らとは違うのだと。同じ鬼だからこそ、敵であれ埋葬してやることで野鬼とは違うのだと証明し、自覚させるために、こうしてわざわざ葬っているのか。そこに、一片の悼みを感じるかどうかは、個々の問題だ。
 少なくとも、今の自分に悼む気持ちなど塵ほどもない。必要だとも思わない。けれど、奴らとは違うと、父や母、仲間を惨殺した奴らとは違うのだと胸に刻むためには。
「私にも、手伝わせていただけますか」
 屍を抱き起そうとした柴に告げると、彼は微笑んで小さく頷いた。
「では、そちらを頼む」
「はい」
 柴は両腕を、紫苑は両足を抱えて墓穴へと運ぶ。
 そんな姿を、玄慶が静かに見守っていた。
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