第8話

文字数 2,571文字

 敵側の背景がどうであれ、明日、戦うことになるのは確定している。ならば、余計なことを考えずに、少しでも多く訓練をしておきたい。
 視線を浴びながら、宗一郎は静かに目を伏せた。
「分かった。では……」
 と、側に置いていた大河の携帯が震えた。張り詰めた空気に響くバイブ音はことさら大きく聞こえ、大仰に肩が跳ね上がる。しまった、サイレントにするのを忘れていた。
一斉に視線が投げられ、大河は慌てて掴み取った。
「すみませんっ」
「いい。少し休憩だ」
 宗一郎の宣言に空気が緩む。
 弘貴が新しいジュースを取りに腰を上げ、宗史の報告の途中で船を漕ぎ、すっかり夢の中に旅立ってしまった藍と蓮を、華と夏也が和室へと運ぶ。樹たち他の者は、そうは言っても気になるのだろう。報告内容についてあれこれ話し始めた。
「できればサイレントにしておけよ」
「ごめん」
 宗史の溜め息交じりの注意に肩を竦めながらメッセージを開く。ざっと読んで、
「二年前のこと?」
 つい口から出た言葉に、宗史が缶を口元で止めた。
「省吾くんか?」
「うん。なんか、二年前のことで気付いたことがあるんだって。でも大したことじゃないから、時間できた時に連絡が欲しいって」
「大河と満流がすでに会っていたっていう、あれか」
宗史が問い返すと、耳ざとく聞き付けた各々が話や動きを止めた。再び大河に視線が集中する。
「そう。でも、大したことじゃないみたいだし、あとで……」
「大河」
 宗一郎が大河の言葉を遮った。
「すぐに連絡してみなさい」
「え、でも……」
 休憩中とはいえ会合の途中だし、と戸惑いを見せる。そんな気持ちを電話越しに察したのか、明が言った。
「大河くん。今はどんな情報でも貴重だ。省吾くんの推理が的を射ていたのは、君も知っているだろう。それに、ぜひ一度話してみたいと思っていたんだ」
 そっちが本音なのでは。画面の中の明と目の前の宗一郎は、にっこり笑顔を浮かべている。だからその有無を言わせない笑顔はやめて欲しい。
「分かりました……」
 大河は逆らう術もなく省吾へ電話を繋いだ。皆が聞き耳を立てているのが分かる。会話が聞こえていたらしい、華と夏也が和室から出てきて、静かに襖を閉めて席へ戻った。
「もしもし、俺。悪いな、わざわざ。大丈夫なのか?」
 コール三回で出た省吾は、開口一番謝った。メッセージの内容といい、ますます分からない。
「うん。会合の休憩中」
「なんだ。じゃあ、あとで良かったのに」
「大丈夫大丈夫。それで、何に気付いたの?」
 尋ねると、省吾は「んー」と口ごもり、念を押すように前置きをした。
「ほんとに大したことじゃないんだけどさ」
「うん」
「二年前のあの時、実は違和感があったんだよ。昨日お前から話を聞いて思い出して、何だろうってずっと考えてたんだ」
 ふぅん、と大河は相槌を打ち、二年前の光景を思い出す。何か変だっただろうか。
「で、何だったの?」
「さっき、クリーニングに出してた制服が返ってきて分かった。あの日、平日だっただろ」
「うん。……あれっ」
 やっと気が付いた。あの日は、学校帰り、島見学を兼ねてクラスメートと一緒に受験勉強をすることになったのだ。世間は平日、学生は学校がある。
「あいつ私服だったよね。学校さぼって独鈷杵を探しに来てたってこと?」
「いや、そうとも限らない。創立記念日で休みだったかもしれないだろ」
「ああ……うちの学校はなかったけどね」
「変なところで僻むなよ。で、そこから思ったんだけど、昴さんが持ってた文献に、うちの島の場所って正確に書かれてたのか?」
「どうなんだろう。あの文献って、あることを誰も知らなかったから見てないんだ。でも柴が復活した時は島に来てるわけだし、書かれてたんじゃないの?」
「そう、だよな……」
 同意しながらも、どこか納得いかない様子の声だ。
「何がそんなに引っかかるの?」
「んー……」
 こんなに省吾が考えあぐねるなんて珍しい。ただ、大したことじゃないと念を押す理由は分かった。満流は学校を休んでまで独鈷杵を探しに来ていた――だから? と省吾も思ったのだろう。こんな事件を起こした主犯が父親なのだから、咎めることはなかっただろう。父親の指示ならなおさらだ。
 では、何がそんなに引っかかるのだろう。小首を傾げていると、
「大河」
 宗一郎から声がかかり手を差し出され、大河は逡巡することなく答えを弾き出した。逆らわない方が身のためだ。
「省吾、ちょっと宗一郎さんに代わるね」
 えっ、おい大河、と動揺する省吾を無視して腰を上げ、携帯を差し出す。宗一郎は携帯を受け取ると、画面をタップした。スピーカーだ。
「省吾くん、はじめまして。宗史の父の、賀茂宗一郎だ」
「あ、どうも、はじめまして。井原省吾です。大河がお世話になってます」
「うん、お世話してるよ」
 さらりと返したおどけた答えに、硬い声だった省吾が短く笑った。その保護者のような言い方と、いかにも世話をかけているような返事はやめて欲しい。大河は照れ臭さから顔をしかめ、ダイニングテーブル組からはくすくすと密やかな笑い声が上がる。
「それで、省吾くん。二年前、楠井満流は学校を休んで独鈷杵を探しに来ていたかもしれない、という話だね?」
「はい。でも、だから何って話なんですけど……」
 言葉尻を小さくした省吾に、宗一郎が小さく笑った。
「構わない。些細な情報や違和感が、意外と重大なヒントになっていたりするからね。それで、文献がどうかしたのかい?」
「えーと、うちの島の場所や名前が正確に書かれていたのかどうかって話を……あの、すみません」
「うん?」
「もしかして、スピーカーになってたり……」
「ああ、全員が聞いているよ」
 当然のように、しかも楽しげに言わないであげて欲しい。沈黙した向こう側で、省吾が頭を抱えている姿がありありと想像できる。大したことじゃないと思っている話を、写真でしか見たことない人たちに聞かせるのは心苦しさと共に恥ずかしいだろう。
「休憩中だから気にしなくていい」
「はあ……」
 そういう問題じゃない。このずれた気遣いは、果たして本気なのかわざとなのか。そこここから憐みの眼差しが携帯へ向けられる。何にせよ、余計な口を挟まないに越したことはない。メッセージを寄越すタイミングが悪かった、諦めろ省吾、と大河は薄情にも幼馴染みを見放した。
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