第18話

文字数 3,809文字

 服とか汗で湿って気持ち悪くて、あー分かる、と騒がしくリビングを出ていく大河たちを見送る。すると美琴も腰を上げた。
「あの、あたしもシャワーいいですか」
「ああ。今日はいつもより霊力を使ったし、終わりにしよう。お疲れ」
「ありがとうございました、お疲れさまです」
 じゃあ、と小さく会釈をして、美琴はリビングを出た。
 樹が呆れたような感心したような息をつきながら縁側に腰を下ろした。
「大河くんはころころとよく表情が変わるねぇ。ほんと、犬みたい」
 ペットボトルを煽りながら感想をこぼした樹に、宗史は苦笑した。どうやら同じ印象を抱いたらしい。
「樹さん樹さんって駆け寄ってきた時はまさにそれだったよなぁ」
「お前、すっかり懐かれたじゃないか」
 晴と怜司のからかうような口調に、樹は渋面を浮かべた。
「出来の悪い犬に懐かれてもねぇ」
「酷ぇ言い草だな」
「そのうち忠犬に化けるかもしれないぞ」
「怜司さんも酷ぇな!?」
「何言ってるの、厳しく躾けてもせいぜい番犬止まりでしょ」
「あんたら大河を何だと思ってんの?」
 毒を吐き出す樹と怜司、律儀に突っ込みを入れる晴の会話を聞きながら、宗史は着信を知らせた携帯に視線を落とした。宗一郎だ。
 大河と美琴の独鈷杵成功の報告と、影綱の独鈷杵、日記の報告についての返信だ。
 大河については「了解」と、まるで当然であるかのような一言で終わっていたが、美琴については少々驚いていた。影綱の日記については、到着次第回すようにと指示があった。そしてもう一つ。
 もうそれ悪口だろ、と突っ込みたくなるような会話で盛り上がる三人を見やり、宗史は躊躇なく会話に割って入った。このまま放置して大河に聞かれでもしたら、さらに収拾がつかなくなる。
「父さんから返信がありましたよ」
 三人同時に振り向いた。
「お、何だって?」
「できるだけ早く美琴の独鈷杵を作るように、だそうだ」
「だったら明日にでも行くか? 哨戒もあるだろうし、できれば午前中がいいんじゃね?」
「そうだな、そうしよう」
「じゃあ、今日中に美琴と相談して大体の形と大きさを決めておく」
「はい、お願いします」
「それにしても、学生組は美琴ちゃんが一番だったかぁ。優秀だからもしかしてとは思ってたけど、まさかイメトレしてたとはねぇ」
 両手で後ろ手を付きながら言った樹の言葉に、宗史は側に置いたままの返却された独鈷杵に視線を落とした。
 確かに、美琴は優秀だ。陰陽術、体術、知識、全てにおいてバランスが良い。
 弘貴たちより遅く入った茂、樹、怜司。美琴より遅い昴が、彼らより早く独鈷杵を会得したのは、霊力量や資質の関係もあるが、何より訓練時間の差が大きい。学生らは、勉強はもちろん、学校行事や友達付き合いなどでどうしても訓練時間が限られる。しかし成人組は、一日中訓練に没頭できる。
 その差を、美琴は見事に埋めてみせた。たった一年で。
 成人組と比べれば未熟ではあるが、それでも学生組の中では頭一つ分抜きん出ているのは確かだ。もしこのまま成長を続けてくれれば、必ず重要な戦力になる。だからこそ、内通者かどうか分からない今、訓練を止めるわけにはいかない。
 普段の接触は少ないものの、弘貴たちへの辛辣な態度とは打って変わって、指導を受ける時の姿勢は驚くほど素直だ。褒めれば恥ずかしそうに俯いてきちんと礼を告げ、指摘したことも素直に聞き入れ、分からないことがあれば躊躇いなく聞いてくる。加えて部屋での自主トレと真言、霊符の予習。樹と同じ、努力家だ。
 ただ、そうなると疑心も濃くなるのは必然だ。時間が限られる学生でありながらも、たった一年で独鈷杵を扱えるほどの資質。そして努力。
 それらが、嘘だとは思いたくない。
「で? 大河の霊刀の強度はどうだったんだ?」
 話題を変えた晴の声に我に返った。そうだねぇ、と樹が逡巡した。
「悪鬼と対峙する分には問題ない。けど、僕たちを相手にするなら脆弱すぎる。一撃で折れるね」
 それはつまり、敵側に自分たちと同等の陰陽師がいた場合、相手にならないということだ。
「つっても、あれ以上強度上げるの難しいんじゃね? かなり息切れしてただろ」
「そうなんだよね。実戦で使って動けなくなったら洒落にならない。大河くんの霊力量、やっぱり普通の独鈷杵じゃ無理だよ」
「例の影綱の日記、早めの解読が必要になってくるな。宗一郎さんからか?」
「ええ。その後に明さんに回します。日記の厚さを見る限り、二人なら一日二日あれば読み終わるかと」
「ねぇ、日記に霊符なしで式神召喚する方法とか書かれてないの?」
「お前それまだ諦めてねぇのかよ」
「当たり前でしょ」
 晴の呆れた指摘に胸を張って答えた樹に、宗史は苦笑した。晴に同感だ。あの召喚は牙個人の問題だと説明したはずだが、ただ樹なら仕方がないと思わなくもない。
「それは書かれていなかったみたいですよ」
 諭すように答えると樹は、なんだぁ、とつまらなそうに唇を尖らせた。
「じゃあ大河くんに召喚させるしかないか」
 もっと訓練厳しくしようかな、と樹は大河が聞いたら恐れ慄くことを真剣な顔で呟いた。この表情は本気だ。
 と、背後から藍と蓮が駆け寄り、木刀の側にしゃがみ込んだ。ダイニングテーブルを占拠していたミシンなどは片付けられ、テレビボードの方へ移動されている。キッチンの方から米を研ぐ音がした。携帯の時計を確認すると、六時近い。そろそろ哨戒組が戻ってくる時間だ。
「藍ちゃんと蓮くん、木刀振ってみる?」
「うん」
「振る」
「じゃあ持ち上げられるようにならないとね」
 ここにも教育者がいたか。双子は将来立派な陰陽師に成長しそうだ。
 樹と一緒に、おもちゃにする気満々で木刀を物色する藍と蓮を眺めていると、大河たちが戻ってきた。
「やっぱりちょっとだるいなぁ」
「明日起きたら確実に筋肉痛だな」
「ちゃんとマッサージすれば楽になるよ」
「やっぱり揉みまくるしかないか」
 どうやら無理がたたったようで、大河が左手で右腕を鷲掴みにして揉んでいる。いくら剣道をしていたからと言っても、竹刀より重い刀を、しかも片手であれだけ振り回せば筋肉も悲鳴を上げるだろう。
 大河たちは濡れた髪のまま縁側に戻り、置きっ放しにしていたペットボトルをそれぞれ煽った。
「大丈夫か?」
 振り向いて、背後に腰を下ろした大河に尋ねる。
「ちょっと重い感じがする」
「肩は?」
「それは平気」
「筋肉疲労だろうな。腕出せ」
「うん、ありがと」
 言っている以上に辛いのだろう。素直に右腕を出してきた。二の腕を両手で挟むようにして掴み、手のひら全体を使ってゆっくりと手首まで揉んでやる。
「あー、気持ち良い。宗史さんマッサージ上手いね」
「このくらい誰でもできる。知識があるわけじゃないから、適当だぞ」
「でも気持ち良いよ」
「そうか。夜、ちゃんと湯船に浸かって血行を良くしておけよ。明日痛むぞ」
「はーい」
 緩み切った顔で返事をする大河の側では、蓮が大包平に挑もうとしていた。
「それいくのか? 男だな、蓮」
「よっ、蓮男前」
「藍ちゃんに格好良いところ見せなきゃね」
 どう聞いても茶化しているとしか思えないおかしな声援を送る大人たちに、弘貴と春平が笑い声を上げた。対して藍と蓮は真剣な面持ちで木刀を見据えている。
 小さな両手で柄を握ってぎゅっと両目をつぶり、歯を食いしばる。真っ直ぐに伸ばした両腕が小刻みに震えている。わずかに浮いた切っ先に、お、と皆から期待の声が上がった。だがすぐに下ろされ、残念な声が漏れた。今度は二人で挑戦する藍と蓮に、晴たちがまたおかしな声援を送った。子供の純粋な真剣さを茶化すなと言いたい。
 キッチンでは、シャワーから戻った美琴が麦茶を取り出し「すぐに手伝います」と夏也に声をかけている。
「どうだ?」
 手を離すと、大河は腕を振って感覚を確かめた。
「すごい、かなり楽になった。ありがとう」
「どういたしまして」
 笑顔で礼を言い、晴たちに混じって声援を送る大河を一瞥して、宗史はふいと塀の向こうに視線を投げた。
 今この時も、柴と紫苑はどこからかこちらの様子を監視しているのだろうか。
 まだ日差しを注ぐ太陽、他愛ない会話に響く笑い声、敷地に入ってくる車の走行音、包丁がまな板を叩く音。一見して平穏な夏の日常を過ごす自分たちの姿を、どんな思いで見ているのだろう。
 と、晴の携帯が着信を知らせた。
 木刀の切っ先をしらっとした顔で押さえるという、大人気ないいたずらをしていた晴が指を離した。とたん浮いた切っ先に、藍と蓮が一瞬呆気に取られた。だがすぐ原因に気付いて、頬を膨らませ晴の背中を木刀でつつく。
「痛い痛い、悪かったって――ああ俺、どうした?」
 晴は笑い声と共に腰を上げ、背中を庇うようにして後退しながら庭へ避難した。
「――は?」
 笑みを浮かべたまま、間の抜けた声色で呟いて凍り付いた晴に視線が集まった。
「晴、どうした」
 腰を上げながら宗史が尋ね、大河たちは互いに顔を見合わせた。
「晴」
 もう一度名前を呼ぶと、晴はゆらりと視線を上げ、呟くように告げた。
「陽が……攫われた……」
 蝉の鳴き声が、妙にうるさく耳に響いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み