第13話

文字数 3,882文字

 右京警察署を出て、迷うことなく府警本部へと戻る。
「とりあえずあの事件を調べ直す」
「分かりました。それにしても、また謎が多い事件ですね」
「だな。侵入経路は、まあ向こうに鬼がついてるからどうにでもなるだろうが、骨ごと一刀両断できるくらいの凶器と人体を焼き尽くす手段ってのは、やっぱあれか?」
「霊刀と陰陽術、ですか」
「そうとしか考えられねぇんだよなぁ。術の説明聞いとくべきだな」
 香苗が寮に入る前に起こっていた地震の例もある。地震を発生させるほどの力と人体を燃やし尽くすほどの炎がもし起こせるのならば、陰陽術はかなり危険な代物だ。
 西京区で購入した水は、置きっ放しにしていたせいですっかりぬるくなっている。紺野は残りを飲み干して、ドリンクホルダーに戻した。
「被害者二人の関係性は、白骨遺体の身元が判明しねぇと何とも言えねぇが……」
 先程の北原の疑問がやはり気にかかる。
「殺害方法は同じでも、遺体の扱い方が違うんだよな」
「炭化するまで燃やすって、相当ですよね」
 北原は赤信号で車を停め、こちらもぬるくなっている水に口を付けた。
「ああ。白骨遺体の方も、何か恨みを買ってたんだろうな」
「でも田代の方は放置するって、やっぱり何か意味がありそうですね」
「そうだな」
 紺野は腕を組み、顎に手を添えた。
 もし捜査の遅れが狙いなら、一体よりも二体だ。それに、向こう側に鬼がついているのなら、いっそ二体とも燃やして骨を砕き、川に流して痕跡だけを残した方がよほど時間が稼げる。遺体が見つからない状態で立件はできないし、鬼代事件との関係も隠せる。それをしなかったということは、つまり隠す意思がない、ということか。
 心臓を抉るという殺害方法で鬼代事件との関連性を示唆した上で、遺体を隠蔽できる手段を持っておきながら一体は燃やし、一体は放置。そこにどんな意味がある? 何故、田代だった――。
「そうか、犯歴だ」
 不意に顔と声を上げた紺野に、北原が振り向いた。
「どういうことですか?」
「いいか、田代は殺人を犯した事実がある。だが無罪だ。ああいう判例は昔から色々議論されてるだろ」
 平たく言うと、罪を犯しておいて無罪はおかしい、しかし責任能力がないのだから、という議論だ。ああ、と北原が苦い顔を浮かべた。
「だとしたら、もしかして……」
 ああ、と紺野は確信したように頷いた。
「見せしめだ」
 殺人を犯しておきながら無罪となった田代への復讐と、同じような者たちへの見せしめ。そう考えると、田代の遺体を燃やさなかったのも、遺留品を残した理由も納得がいく。かつて殺人を犯し無罪になった男が、無残な姿で遺体となって発見された、などとニュースになれば、過去の事件にも法律にも焦点が当てられる。もしや、それが狙いだろうか。
「……でも……」
 ペットボトルをドリンクホルダーに戻しながら言い淀んだ北原を急かすように、後続車からのクラクションが響いた。北原は慌てて信号を確認して発車させた。
 浮かない顔で前方を見つめる北原の横顔を一瞥し、紺野は小さく息をついた。
「難しい問題だからな。遺族からしてみれば、そりゃどんな理由があっても許せねぇだろうし」
「ええ、分かってます……田代を庇うつもりはないんですけど……」
 北原の気持ちは分からなくもない。薬物乱用や酩酊で心神喪失し罪を犯したとしても無罪にはならないが、もしそうだったとしたら、もっと分かりやすく犯人を憎めただろうに。
 母親の介護と仕事に忙殺され、精神を病むまで追い込まれた結果、行きついた先が殺人だった。同情の余地はある。けれどそれは第三者の意見だ。被害者や遺族からしてみれば、加害者の背景など関係がない。「犯人にものっぴきならない理由があったのだから許してやれ」と言われて許せる人間はいないだろう。あるのは、大切な人を奪われたという事実だけ。
 紺野は盛大に息を吐いた。
「俺たちが気に病んでもしょうがねぇ、割り切れ」
「あ、はい。そうですね、すみません」
 そう言って北原は表情を引き締め、ハンドルを握る手に力を込めた。
「じゃあ、白骨遺体の方は犯罪者ではないってことですか?」
「多分な。露見してねぇってだけで犯罪まがいのことをしてたかもしれんが、恨まれてたのは間違いねぇ」
「見せしめにする必要がないから、捜査を遅らせるために燃やしたってことになりますね」
「身元が判明すればはっきりする」
「……近藤(こんどう)さん、忙しくなりそうですねぇ……」
 そこに目を向けるか。だが、確かに白骨遺体の身元に関しては科捜研の鑑定スピードにかかっている。急かされるのは間違いない。それに近藤のことだ、面白がって専門外の鑑定に首を突っ込むかもしれない。同情なのか呆れなのか分からない北原の声色に、紺野は渋面を浮かべた。難解な事件ほど楽しむ近藤からしてみれば、心躍る事案だろう。あの不気味な笑みが目に浮かぶようだ。
「今あいつとかかわりたくねぇ」
「同感です……」
 と、紺野の携帯が着信を知らせた。確認すると、自然と目が据わった。噂をすれば何とやらだ。
「お前が近藤の話なんかするから電話来ちまったじゃねぇか」
「えっ、それ俺のせいなんですか!?」
「お前のせいだ」
 容赦ない肯定に口を尖らせて「理不尽」とぼやく北原を無視し、紺野は通話ボタンを押した。
「やっほー、僕だよー」
 ほら見ろご機嫌だ。開口一番浮かれまくった挨拶に思わず力が抜ける。
「何だ。お前、今忙しいだろ」
「うん、超忙しい。でも休憩くらいいいでしょ。ていうか面白い事件だねぇ、やりがいがあるよ」
「だから……っ」
 不謹慎なことを言うな、と指摘すれば確実に機嫌を損ねて口を閉じる。無駄なやり取りをするより、ここは黙って聞き流す方が正解だ。紺野はぐっと唇を噛んで嘆息した。
「で、どうした」
「あれ、不謹慎なこと言うなーとか言わないんだね」
「言ったら不機嫌になって用件言わないだろ、お前」
「学習してるねぇ」
 近藤はけらけらと笑い声を上げた。
「それより何だ。何か分かったのか」
「うん。亀岡の件じゃないんだけどさ、ほら、少女誘拐殺人事件のカメラ映像確認した時、画面が真っ暗になったでしょ」
「ああ、あったな」
 思いもよらなかった話題だ。
「あれ、気になったから調べてみたんだよ。一部分を拡大鮮明化して解析してみたら、やっぱり布だった。高級な着物とか風呂敷に使われてる縮緬(ちりめん)って織物」
 着物か風呂敷。
 あの映像に映っていたパーカーの女は、カメラに向かって指をさしていた。まるでそこに誰かいて、レンズを隠せと指示するように。やはり着物だろうか。だが、あの高さにいるとすれば鬼だろうと思っていたが、鬼代神社で採取された足跡はスニーカーだった。稀に、浴衣にスニーカーを合わせている若者は見かけるが、平安時代の鬼が着物にスニーカーを合わせるだろうか。着物だと仮定するなら、考えられるのは。
「ちょっと紺野さん、聞いてる?」
 おーい、と呼びかけられ、紺野は我に返った。
「ああ、悪い聞いてる」
 近藤はどこか呆れたような息をついた。
「どうせ聞いても教えてくれないから詳しくは聞かないけど、何か参考になった?」
 余計な皮肉は聞き流すに限る。
「ああ、なった。わざわざありがとな」
「……お礼言われるのは嬉しいけど、そう素直に言われると気持ち悪い」
「どっちなんだよ!」
 素直に受け取っておけばいいものを、天の邪鬼にも程がある。お前は、とぼやくと笑い声に混じって近藤を呼ぶ声が届いた。すぐ行く、と近藤が答えた。
「じゃあね」
「ああ」
 通話はすんなりと切られ、紺野も画面をオフにしてポケットにしまう。
「近藤さん、何か分かったんですか?」
 北原に伝えるとやはり同じように推測したようで、
「式神、ですかね?」
 とあまり歓迎しない様子で言った。着物であの高さに登れるとしたら、おそらく人ではない。鬼を除外すると、着物姿の人外は式神くらいしか思いつかない。梯子を使えば別だが、わざわざ夜中に梯子を抱えて出歩けば目立つ。そんな面倒なことをするくらいなら、カメラの位置を確認して避けるはずだ。あれは、その場で気付いて咄嗟に隠したように見えた。
「多分な。犯人側の人数が分かってきたな」
「ええ……」
 現在分かっているだけでも、鬼、犬神事件のパーカーの女、カメラを隠した式神だろう人物、警察の内通者、そして菊池雅臣と千代の六名。加えて、寮に潜んでいる可能性が高い内通者を入れると七名。
 だが、内通者が一人とは限らないし、式神の主が誰かも分からない。さらに、アヴァロンの噂を流した人物も特定できておらず、蘇生術が行使されているのならば、鬼が一匹だとは限らない。おそらく、もっと増える。
 人数的には土御門・賀茂家側の方が有利だが、果たしてそれで勝てる相手なのかどうか。悪鬼を従えることができる千代がいる以上、犯人側の戦力は計り知れない。
「これから、どうなるんでしょう……」
 北原が不安気に呟いた。
 非科学的な力には、非科学的な力で対抗するしか術はない。現実問題、犯人たちと直接対峙するのは彼ら陰陽師だ。最終的には、彼らにしか止められない。
「分からん。けど、俺らにできることがある」
 刑事だからこそできること。刑事にしかできないこと。それを一つずつ探り、真実を暴くしかない。
「はい」
 北原が、力強く頷いた。
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