第6話

文字数 4,433文字

 府警本部の正面玄関をくぐり、紺野は受付で晴から届けられていた白い二重封筒に入った護符を受け取った。監視の目が気になったが、封筒の一つや二つ構わないだろう。
 護符がそのまま入っているのだと思っていたが、感触からしてどうやら律儀にお守り袋に入れてくれたらしい。顧客に渡すために常備しているのだろうか。
 ちょうど一階で止まっていたエレベーターに乗り込む。行き先は分かっている。監視の二人は別のエレベーターか階段を使ったようで、紺野は一人、封筒を開けて中を覗き込み――そっと蓋を閉じた。
 見間違えだろうか。
 神社仏閣によって、趣向を凝らされた可愛らしい物や変わった形のお守りがあるのは知っている。だがお守りの鉄板といえば、朱や紺や白の布地に厄除けや健康祈願などと刺繍されているものだ。それなのに何故、手の中にあるお守りは恐竜柄と車柄なのだろう。そもそもどこで買った。
 恐る恐るもう一度封筒の中を覗く。
「……これを、肌身離さず持ち歩くのか……?」
 三十五にもなるいい年をした男が。紺野は頬をひくつかせ、ぼそりと一人ごちた。子供がいれば自然だが、いかんせん未だ一人身だ。もし同僚に見つかった日にはどう言い逃れしろと。
「明の野郎、絶対面白がってんな」
 諦めの溜め息と共にそう吐き出し、紺野は車柄のお守りを掴み取った。もうどちらを持っていてもらしくないのなら、どちらでも構わない。
 内ポケットに押し込もうとして、ふと気が付いた。これは手作りだ。売っている物ほど細かくないが綺麗に刺繍が施され、ずいぶんと丁寧に作ってある。どういう経緯なのか分からないが、寮の誰かが作ったのか。
 紺野はお守りを見つめ、丁寧に内ポケットに収めた。
 監視とはいえ、何の用もなく府警本部の一課でうろうろするわけにはいかないだろう。紺野は、やっと解放された気分で一課の扉をくぐった。
 するとさっそく一課長からお呼びがかかった。手回しのいいことだ。
「聞いたぞ、紺野」
 神妙な面持ちで見上げられたが、紺野は、はあそうですかと軽く流した。そんな顔で見られてもどうしようもない。
「お前、頼むから大人しくしてろよ?」
 一課長の心配はそちららしい。紺野は後ろ手を組んで姿勢を正し、
「分かっています」
 と真剣な顔と誠実な声で返した。だが、
「頼むから大人しくしてろよ?」
 一課長はもう一度同じ台詞を吐いた。どれだけ信用がないのだろう。それともフリだろうか。
「監視が付いているので動けません」
 一課長はむむと眉間に皺を寄せ、盛大に溜め息をついた。
「分かってるならいい。さっさと帰れ」
「はい、失礼します」
 紺野が背を向けると、一課長はもう一度溜め息をついて書類に目を通しはじめた。
 北原のデスクにこっそり封筒を置き、出勤簿を書き込み、もう一度一課長を確認してからこそこそと緒方(おがた)の元に駆け寄った。雑然と積み上げられたファイルや書類の山がこんな時は役に立つ。
「緒方さん」
 紺野が身を縮めて隣の席の椅子を引くと、緒方はパソコンから目を上げた。
「なんだお前。自宅」
 しー、と唇に指を当てて言葉を遮りながら腰を下ろすと、緒方は呆れ顔をした。悟られてしまったようだ。
 どうやって深町仁美の娘の顔を確認するかと考えた結果、結局こうなった。
「被疑者の娘と連絡つきましたか」
「いや、まだついてないけど……」
「実は、こっちで探してる被疑者がいるんですが、一向に身元が分からなくて。もう何でもいいんでとりあえず確認したいんです。お願いできませんか」
 緒方は、やっぱりな、とぼやいた。
「お前が大人しく待機するわけねぇか。それにしても、えらい切羽詰まってんな」
「似顔絵を作成したんですが、かなり曖昧なんです。手がかりも少なくて」
 緒方は顎に手を添えて唸り、視線を上げた。
「もし同じ人物だったら、こっちにも情報寄越せよ?」
「分かりました」
 緒方には悪いが、ひとまず約束するしか術がない。すみません、と心の中で両手を合わせる。紺野は携帯で似顔絵を呼び出し、緒方は内ポケットからメモ帳を取り出して、挟んでいた一枚の写真を引っこ抜いた。
「名前は深町弥生(ふかまちやよい)。今二十一だ」
 似顔絵と写真を並べて見比べる。高校の卒業写真だろうか、ブレザーに赤いネクタイを締めている。髪の長さは違うが、センター分けの黒髪に少し吊り気味の目。
「似てるようにも見えるけど、曖昧すぎだろ、これ」
「夜だったので、はっきり見えなかったそうです。一応、写真撮らせてもらってもいいですか」
「ああ」
 紺野はカメラを起動して写真に収める。緒方が言うように、特徴は一致するが断定はできない。
「でもなぁ、もしかしたら亡くなってるかもしれねぇぞ」
「は?」
 意外という言葉が薄れるほど予想外な話に、携帯を内ポケットに入れる手が止まった。
「どういうことですか?」
 怪訝な表情で尋ねると、緒方は背中を丸めて身を小さくした。紺野も顔を寄せる。
「連絡がつかねぇって言ったろ。あれ、被疑者の携帯に登録してあった弥生の番号にかけたんだけど、解約されてもう別の奴が使ってたんだよ。あと、通帳に給料の振込があったからそこを当たったんだが、二年半前にバイトを辞めてからは働いてた形跡がない。捜索願いは出されてねぇし、近所や同級生にも聞き込んだんだが、一年半か二年前くらいから連絡がつかなくなったってこと以外はまったく手がかりなしだ。所在がさっぱり分からん」
「行方不明ってことですか?」
「そう」
 雅臣、平良、健人に続いてまた行方不明だ。当たりかもしれない。
「でも、それだけで亡くなってる根拠にはならないですよね」
 緒方は渋い顔をした。
「胸くそ悪い話だぞ、いいな」
「はい」
 不穏な前置きをした緒方に、紺野は神妙な面持ちで頷いた。
 胸くそ悪い話なら刑事になってもう山ほど聞いている。けれど、緒方がわざわざそう前置きをした理由は、すぐに分かった。
「本当ですか、それ……」
 愕然として呟いた紺野に、緒方は小さく頷いた。
「証拠もばっちり揃ってるし、被疑者の証言も取れてる。ただ、まだパソコンの方にもあるみたいなんだよ。何重にもロックがかけられてるから鑑識じゃ手に負えないらしくて、科捜研に回したところだ」
 緒方はうんざりした様子で嘆息した。緒方や捜査員たちが気疲れするはずだ。
「じゃあ亡くなってるっていうのは、自殺してるかもしれないと」
「ここまで所在が分かんねぇとな……。考えたくないけど」
 悲痛な顔をして、緒方はもう一度息をついた。
 長年刑事をしていると、そんなことで、と思うような動機や、鬼畜としか思えない罪を犯す者がいる。この事件においてもそれは例外ではない。ただ一番強く感じたのは、歪み切った狂気。廃ホテルで感じた、吐き気がするほどのおぞましさに似ている。
 もし弥生が犯人の一人だとしたら、下平の「悪鬼を取り憑かせるため」という推理は当たっているだろう。しかし、決定打がない。他に何か手掛かりがあればいいのだが。
「まあ、まだ親戚の方も残ってるし、引き続き探すけど……」
 どうだろうな、と緒方は付け加えた。
「分かりました。また何か分かったら教えてもらってもいいですか」
「ああ、お前もな」
 はい、と頷いて紺野は腰を上げた。と、
「あっ、紺野お前まだいたのか! さっさと帰れ!」
 一課長の怒声が響いた。しまった見つかった。大急ぎで椅子を元に戻す。
「はいはい、すぐ帰ります」
「はいは一回!」
「はい!」
 子供のように叱り飛ばされ、失笑する緒方にじゃあと会釈をして、紺野は逃げるように一課から飛び出した。小走りに廊下を駆け抜ける紺野の後ろから、監視役の二人が追った。
 府警本部を出て、自宅への道を辿る。
 捜査本部にいる北原と仕事中の下平への報告は、夜にならないとできない。今できるのは、明だけ。明は、昴に伝えるだろうか。昴はどう思うだろう。
 自宅待機の体を取るために、途中のスーパーに寄って食材を買い込んだ。両手いっぱいに荷物を抱えて出てきた紺野を見て、監視役の二人は意外そうに目をしばたいた。
 帰宅し、ひとまず食材を適当に冷蔵庫に詰め込んだ頃には、六時を回っていた。何もなければそろそろ北原は上がりだろうが、下平の方は冬馬を連れて良親の自宅へ行くはずだ。となると、いつ連絡が取れるか分からない。こちらの状況を簡単に説明しておいた方がいいか。
 紺野はソファに腰を下ろし、下平に簡単なメールと深町弥生の写真を送った。しばらくして送られてきた返信は「夜電話するから大人しくしてろ! 動くな!」だった。北原に言った言葉を自分が言われてしまい、思わず苦い笑いが漏れた。
 このまま大人しくしておくか否かは置いておいて、次は明だ。気が重い。
 仕事かあるいは何かあったのか、一度かけた時は通じず、イライラしながら十分ほど待った頃、明から着信があった。仕事だったらしい。
 例の事件の再捜査のことは、まだ話せない。そうなると協力者の見当がついたことも話すわけにはいかず、ごくシンプルに、犯人側に三宅を恨む奴がいる可能性があると説明した。朝辻からもたらされた男のこと、深町弥生のことを含め、まるで他人事のような報告を明は一言も口を挟むことなく聞き、最後に「分かりました。その女性の顔写真を送ってください」と言った。昴に話すのかと聞くと明は珍しく困ったような間を開けて、宗一郎(そういちろう)と相談して決めると言った。
「あと一応言っとくけど、ここまで来て放棄するつもりはねぇからな」
 そう宣言すると、明は小さく笑った。
「ありがとうございます、心強いです」
 何やら殊勝な台詞を吐いたその声は、いつもと比べて少し覇気がなかった。
 大丈夫か、と尋ねようとした時、一歩先に明が言った。
 野田香苗が父親に連れ戻され、現在、宗史(そうし)の指揮の下、寮の奴らが動いているらしい。おそらく敵側の罠ではなく偶然だろうということだったが、気になって聞いてみた。
 香苗を見つけたのは右近(うこん)であることや保護した時の状況。あの日、聞き込みに応じてくれた主婦らの心配は、当たっていた。
 明と宗一郎が判断したのなら問題ないだろう。一応解決したら連絡だけくれ、と頼み電話を切った。
「……あいつ、大丈夫か?」
 なんだか妙に疲れていたようだった。占術や祈祷などがどんなものか想像はつかないが、術のように霊力を消費するのであれば、疲労は免れないだろう。占術にもレベルがあって、よほど高度な術が必要な依頼だったのだろうか。それに加えて三宅の件だ。心身ともに疲れるだろう。
 携帯の時計はすでに七時を回っていた。外はまだ明るいが、北原からの連絡もないし、下平からいつ電話がかかってくるか分からない。自宅待機初日から動いたとなると、監視の目がさらに厳しくなるかもしれない。今日はこのまま大人しくしていた方が得策か。
 紺野は明に弥生の顔写真を送ってから、着替えようと腰を上げた。
 下平からグループメッセージの招待があったのは、それから三十分後だ。
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