第12話

文字数 3,195文字

 くすくすと小さな笑い声が漏れる中、宗史は息をついて視線を巡らせた。
「柴、紫苑、悪いが話があるから残ってくれ。他になければこれで終わりです。今日は本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」
 お疲れ様、と挨拶が飛び交う中、さっそく独鈷杵の訓練組が顔を突き合わせた。
「独鈷杵すぐに選びたいけど、明日にしようか。時間かかりそうだし」
「うん、あたしもそうする」
 おや、と反応したのは宗史だけではない。香苗がタメ口だ。大人組みと式神から一斉に視線を向けられ、大河はどこか誇らしげな笑みを浮かべた。何があったのかは知らないが、良い傾向なので特に突っ込む必要もない。
「えー、俺すぐ選びたい」
「独鈷杵は逃げませんよ。今優先すべきは、明日のために早く寝ることです」
 ほら、と夏也に急かされて弘貴がふてくされた顔で腰を上げると、春平と香苗も立ち上がった。
「大河、お前も早く寝ろ」
「うん。でもその前に、柴、紫苑。今日はどうする?」
 それがあったか、と晴が呟いた。大河が尋ねると、柴が首を振った。
「今日はいい」
「そう? 大丈夫?」
「ああ」
 大河はふうんと相槌を打ち、首を傾げながら立ち上がった。
「宗史さん、晴さん、気を付けて帰ってね。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「よく休めよ」
 笑みを浮かべると、大河も笑顔で背を向けた。おやすみ、と口々に言って騒がしくリビングを出ていく学生組を見送る。
 残ったのは大人組みと柴と紫苑、そして式神二人だ。華と夏也はキッチンに入り、放置していた洗い物に手を付ける。紫苑が切り出した。
「して、話とは何だ?」
「聞きたいことがある。二人は剣術ができるか?」
 具現化、剣術の両方で一歩先に行っているのは大河。こちらは樹が専属で指導に付いているから問題ない。美琴は、具現化は問題ないが、剣術の方は弘貴たちと同じく一からのスタートになる。ならば、いっそ五人まとめて剣術指導を柴と紫苑に任せれば、指導組の個々の訓練時間が確保できる。
「ああ」
「あれ、そうなの? 僕、素手だと思ってた」
 即座に突っ込んだのは樹で、うんうんと皆が追随する。あれだけの強さなら誰でもそう思う。
「鬼同士の縄張り争いは、絶えず行われていた。柴主が三鬼神の座に就かれてからは激減したが、全ての鬼が配下に置かれていたわけではない。そういった輩から、幾度となく三鬼神の座を狙って奇襲を仕掛けられていたのだ。数が多いのなら武器があった方が手っ取り早い」
 その時の記憶を思い出したのか、紫苑は忌々しそうに眉根を寄せた。悪鬼相手に術のみで応戦するよりも、霊刀と併用した方が効率はいい。それと同じ理屈か。
「いつの時代にもいるんだね。そういう組織に属さない奴って。否定はしないけど」
「そういう奴らは、意気揚々と襲った挙げ句返り討ちに遭うのがお決まりのパターンだ」
「そうそう。柴だって、伊達に三鬼神名乗ってるわけじゃないんでしょ?」
「当然だ」
 樹と怜司の軽口を、紫苑が強く肯定した。
「こともあろうに柴主のお命を狙うなど愚の骨頂。腹心である私自らが返り討ちにしてくれたわ!」
 紫苑は自慢げに胸を張った。袋叩きどころか容赦なく切り捨てたのだろう。
「あの時代って、容赦ないですよね……」
「今なら確実に過剰防衛だよねぇ」
 昴と茂が苦笑いでぼやいた。
 話の軌道を戻したのは柴だ。
「教えるのは構わないが、しかし、人の剣術とは異なるやもしれぬぞ」
 話が早い。
「それでも構わない。できるだけ短期間で使いものになるようにして欲しい」
 柴は逡巡し、こくりと頷いた。
「承知した。引き受けよう」
「ありがとう。よろしく頼む」
 二人が頷くと、宗史は肩の荷が下りたような息をついて腰を上げた。
「じゃあ、俺たちは帰ります。右近、悪いが護衛を頼めるか」
「承知した」
「閃、こっちも頼むわ」
「ああ」
「それじゃあ、僕たちもそろそろ出ようか」
「ああ」
 茂たちの見送りを断り、右近と閃は縁側から外に出て、樹と怜司、部屋に下がるという柴や紫苑と共にリビングを出る。担当どうしようか、とさっそく話し合う茂の声を聞きながら扉を閉めた。
 影綱の日記を手に、律儀に見送りをしてくれた柴と紫苑に挨拶を交わして玄関を出ると、扉を閉めるなり樹が渋面を浮かべてぼやいた。
「渋谷健人の件もあるのに隗と遭遇するなんて、タイミング悪すぎ」
 さすがに気付いたか。神妙な面持ちで、玄関前でそれぞれ足を止める。
 車で寮に来た時は離れの駐車場に入れるが、今日は正面に停めた。ただし寮の車の出し入れの邪魔にならないように、晴のバイクと共に庭側へ寄せてある。
「報告の間も様子がおかしかったな。どうするんだ?」
 怜司が眼鏡の奥から窺うような視線を投げられ、宗史は腕を組んで逡巡した。これ以上、大河の精神的負担を増やすのはまずい。本人の割り切り次第ではあるが、吐き出すだけでもずいぶんと楽になるはずだ。
「様子を見るほどの余裕はないですね」
「大河くんのことだし、聞けば話すでしょ」
「これ以上抱え込んで暴走なんてことになったら、最悪だしな?」
 嫌味と共に一瞥した晴を、樹がバツの悪そうな顔で睨んだ。
「僕は自分の許容量くらいわきまえてるよ」
 ぷいとそっぽを向いた樹に苦笑が漏れる。樹の意見も晴の懸念ももっともだ。
「明日、話を聞いてみます。それと、明日の哨戒の前に土御門家へ寄るようにと父から言付かりました」
「何かあったの?」
「みたいです」
「今からじゃ駄目なのか」
「大河も一緒にということでしたので。俺たちは仕事の帰りに合流します」
 ふうん、と樹が相槌を打った。亀岡の事件や深町仁美の事件については電話報告だった。それなのに、今回に限ってはわざわざ一同に会しての報告。何か別の目的がある。
「分かった。それにしても、皆にこそこそしなきゃいけないのは面倒だよねぇ」
「内通者の問題があるからな。俺たちがどのくらい情報を掴んで推理してるのか、晒すのはまずいだろ」
「そのことだけどさぁ、僕たちに言ってないことまだあるよね。例のこと以外で」
 恨みがましい目付きで見られ、宗史は苦笑し、晴は素早く視線を逸らした。
「実のところ、俺たちも知らないことがあると思います」
「そうなの?」
 変えた矛先に目をしばたいた樹と怜司にええと頷く。何となく予想はできるが正解なのかまでは分からない。さらにそれだけでなく、当主二人はまだ色々と隠していることがある、と踏んでいる。大戦や鬼の封印、刀倉家のことなど、前科があるだけにどうしても疑ってしまう。
 樹が呆れた溜め息をついた。
「まあ、あの二人のことだから何か考えがあるんだろうし、別にいいけど。手遅れにならないうちに教えてくれればさ。じゃあ僕たち行くから、気を付けて帰ってね」
「はい。お二人も気を付けて」
 樹と怜司は背を向けてひらりと手を振り、さっさと車に乗り込んだ。窓越しにもう一度会釈をして車を見送ると、晴が大きな溜め息をつきながらバイクへと向かった。
「ほんと、タイミング悪すぎだな。宗、話し聞くっつっても、いつ聞くんだ? さすがに全員の前じゃ話さねぇだろ」
「真言を覚えるのに部屋に籠るだろうから、その時だな」
「あ、なるほどな」
 バイクに跨り、ハンドルに引っ掛けていたヘルメットを取りながら、晴がぼそりと言った。
「……あいつら、食ってきたな」
 ドアに掛けた手が止まった。
「……ああ」
 獣なのか、それとも何か見つけたのか。二人の着物からは、わずかに生水の臭いがした。川で血を洗い流したのだろう。
 気を取り直すようにもう一度晴が息をついた。
「じゃあな。さっさと帰って報告しねぇと寝る時間なくなるぜ」
「ああ。そうだな」
 ヘルメットを被ってエンジンをかけると、ひらりと手を振って門を出た晴を見送って、宗史は車に乗り込んだ。
『彼は諸刃の剣だ。気を付けなさい』
 会合の日、帰り道で宗一郎に告げられた言葉が脳裏に蘇った。
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