第13話

文字数 6,030文字

 同日午後、大学の図書館からの帰り道、宗史は愛車のバイクを駆って寮へ向かっていた。大学への通学も寮へ赴く時も、一人で行動する時は基本バイクだ。
『お前は、気付いただろう?』
 宗一郎に問われ、あれから長い時間書斎で膝を突き合わせた。
 洗いざらい自分の推理を話し、そのほとんどがどうやら当主二人と同意見だったことが判明した。それについてはとても光栄ではある。だが、話の途中で何か一つ忘れていることに気が付いた。推理とは関係がないように思えるが、あるようにも思える。判然としない。
「何だったかな……」
 フルフェイスの中でぽつりと呟き思い出そうと試みるが、どうにも思い出せない。昨日からずっとこんな感じだ。もうこうなると自然に思い出すのを待つか、それほど大切なことではないのだろうと諦めるかの二択だ。
 宗史は前者を選んで、考えるのをやめた。
 寮に到着し、門前にバイクを止めてヘルメットを脱ぐ。軽く頭を振って籠った熱を払ったとたん、庭の方から落雷のような音が響いた。この音には聞き覚えがある。結界に何かが衝突した時の音だ。どうやら術の訓練を受けているらしい大河の叫び声が微かに届く。
 この時間帯は、樹はまだ夢の中のはずだ。だとすれば指導は茂だが、それにしては少々激しすぎではないか。宗史は首を傾げながら門をくぐり、直接庭の方へ回り込んだ。
「ちょっ、昴さんそれ反則!」
「ご、ごめん。でも樹さんが使っていいって……」
「いいわけないじゃん! あの人絶対Sだ! ドSだ! くっそ見てろよ!」
 庭を覗くと、地面に尻もちをついてぎゃんぎゃんとわめきたてる大河を昴が引っ張り上げていた。縁側では茂が苦笑いを浮かべてノートを繰っている。あれは影正が残したノートだ。一体何があったのやら。
「えらく騒がしいけど、どうした?」
「あれっ、宗史さん!」
 樹さんめぇ、と歯噛みしていた大河が、ぱっと顔を明るくした。まるで飼い主を発見した犬のようだ。
 大河の声で、リビングから香苗と夏也、双子が顔を覗かせた。挨拶を交わすと、お茶入れてきますねと女性陣は再び引っ込んだ。縁側まで出迎えてくれた双子の頭を撫でてやると、くすぐったそうに肩を竦めて笑い、小走りに中へ戻ってソファに飛び乗った。元気でなによりだ。
「こんにちは、宗史くん」
「こんにちは、しげさん。今日の哨戒は誰が?」
「弘貴くんたちと、華さんと美琴ちゃんだよ」
「ああ……」
 縁側に腰を下ろしながら、ふと顔を曇らせる。昨日読んだ、樹からの報告書を思い出した。
土御門家、賀茂家へメールで届けられる毎日の報告書は、普段当主二人しか目を通さない。だが、現状を鑑みた二人から、寮の様子や大河の訓練の進捗具合を把握しておくようにとの指示が宗史と晴に出され、大河が山口へ帰った日から報告書に目を通すようにしている。
 その報告書の内容が、弘貴と春平に対しての評価がかなり辛口だったのだ。樹は謙遜や遠慮をしない。自分が感じたまま、そのままを報告する。
『術においては問題なし。だか、体術においては非常に粗削りで未熟である。現状、そしてこれから起こり得る事態を考慮し、二人にコンビを組ませるのは危険だと判断する。以後続けるのであれば、さらなる厳しい訓練を行うか、もう一人練度の高い者を投入することを推奨する』
 樹の洞察力は、寮の中でも群を抜く。彼の生い立ちや生来の頭の良さも関係しているのだろう。その樹が、弘貴と春平のコンビは危険だと判断した。しかし、もし一人増やすとすれば、夏也か香苗どちらかになる。前線に立てる者たちをフォローに回せるほど人員は潤沢ではない。ただ、どちらを投入するにしても心許なさすぎるし、何だかんだ言っても弘貴と春平は付き合いが長く、息は合っているはずだ。そこにもう一人、もしくはコンビを組み直すとなれば、慣れるのに時間が必要になってくる。正直、そんな余裕はない。だとすれば、選択肢は一つだ。
 あの二人を指導するに当たっての絶対条件は、二人より格上でかつ甘やかさないこと。となると、樹か怜司。樹はほぼ毎日の哨戒と大河の指導がある。やはり怜司か、もしくは夏也。
「宗史くん、宗史くん。どうしたの? 大丈夫かい?」
 茂の心配する声で我に返り、宗史は来て早々長考していたことに気付いた。いつの間にか側には麦茶が入ったグラスが置かれている。
「あ、すみません。ちょっと考え事を」
 微かに笑みを浮かべて濁すと、茂は眉尻を下げた。
「ごめんね、宗史くん」
「え?」
 唐突な謝罪に、宗史は茂を見やる。どこか寂しげな、物悲しい表情を浮かべて、昴と大河の訓練を見守っている。
「君や晴くんに、任せきりのような気がして。僕は、何も役に立っていないから。一番の年長者なのに」
 消え失せそうなほど小さな声でそう呟いた茂は、以前は中学校の教員だった人だ。
コツコツと地道に努力するタイプで、術者としても優秀だ。相手が鬼でなければ、その辺の若者など容易に撃退できるだろう。いつも穏やかな笑顔で、人見知りのある樹や昴、美琴が一番初めに警戒を解いた人物でもある。教師だった経験を生かし、双子と学生組の家庭教師のような役割をしてくれている。普段の買い出しの運転や広い庭の手入れなど、主に寮の外の管理を中心に細々と動いてくれる上に、藍と蓮の世話もしてくれる。いつだったか「孫がいたらこんな感じなのかな。可愛くて仕方ない」と相好を崩しながら言っていた。
 宗一郎でさえ年下になる年齢を重ねている茂からすれば、自分たちはまるきり子供だ。子供に危険な事件を任せるのは心苦しいのだろう。
 だが、一連の事件に陰陽師が関わっている以上、どれほど人柄が良くても容易に被疑者から外すわけにはいかない。それに大河が言うように、もし一連の事件関係者の目的がこの世を憎み、滅ぼすことだとしたら、彼にも動機はある。
 それでも、どうか違っていて欲しいと思ってしまうのは、未熟である証だろうか。
 宗史はふっと笑みを浮かべ、いいえと首を振った。
「そんなことありませんよ。俺たちが動き回れるのは、しげさんがこうして寮の皆を見守ってくれているからです。それに、一つ頼みたいことが」
「え?」
「美琴のことです。彼女、同じ年頃の相手にはやけに手厳しいように見えるんです」
 それは、弘貴、春平、香苗、そして大河も例外ではない。特に弘貴と香苗との衝突はたびたび聞いている。
 香苗の場合は、美琴が一方的に突っかかるだけで喧嘩にまで発展することはなかったが、弘貴との衝突は洒落にならなかった。
 きっかけは、美琴の「ものの言い方」だったらしい。二人とも気が強いせいで修羅場になり、当時まだコントロールが不得手だった美琴の霊力が暴走した挙げ句、リビングの窓ガラスが全面割れたことがあった。樹と怜司が力づくで二人を部屋に閉じ込めて収めたが、藍と蓮は泣き喚くわ、隣近所から苦情は来るわ、真冬で風は吹き込むわで大騒動になった。
「正直、今は個人間の問題に目を向けられるほど余裕がないんです。大河はああいう性格ですし、酷く揉めることはないと思います。ですので、これまで以上に弘貴との関係に注意してもらえると助かります。今、内輪揉めを起こされるとちょっと……」
 お願いします、と頼むと、茂はもちろんと微笑んで頷いた。
「あれ、大変だったよねぇ。覚えてる?」
 同じことを思い出したのか、茂は苦笑した。
「もちろんです。今だから言いますけど、初めてどついてやろうかと思いました」
「ええっ。宗史くんがかい?」
「そりゃあもう。俺にだって我慢の限界はありますよ。あの頃、特に酷かったですし」
「しょっちゅうだったよねぇ」
「真冬の庭にテント張って一晩腹割って話しさせてやろうかとも思いました」
「いいねそれ。今度喧嘩したらそうしようか」
「ですね」
 顔を見合わせて軽やかな笑い声を上げた。
「何、二人して。楽しそうじゃん、俺も混ぜてよ」
 軽口を叩きながら現れたのは、晴だ。フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えている。こちらもバイクのようだ。
「晴くん、こんにちは」
「こんにちは、しげさん」
 あっついな、とぼやきつつ宗史の隣に腰を下ろす。
「大学の帰りか? どうよ課題は」
 晴が来たことに気付いて手を振る大河に手を振り返しながら、晴はシャツを引っ張って風を送り込む。
「芳しくない。お前は?」
「俺は哨戒中。大河の様子見とこうと思ってちょっと寄ってみた。つーか、あいつ初日から結界張ったって?」
「そうみたいだな」
「立場ねぇなぁ……って、マジかあれ!」
 晴は弾かれるようにして、腕を支えに後ろに倒していた姿勢を起こした。視線の先では、五芒星の結界を張った大河と、霊力を具現化した刀を持った昴が攻防戦を繰り広げている。結界で霊刀を防ぐたびにプラズマが起こり、しかし結界は形を保ったまま、光を仄かに放っている。昨日今日で霊刀を防げるほどの結界を張れるとは、晴でなくとも驚いて当然だ。それに、昴も日を追うごとに霊刀の強度が増しているようにも思える。きちんと訓練をしている証拠だ。と、
「あっ」
 突然思い出した。
 何の前触れもなく声を上げた宗史に、晴と茂がぎょっとした顔を向けた。
「な、何だよ宗。いきなり叫ぶな、びっくりすんだろ」
「晴、独鈷杵(どっこしょ)だ!」
「は? 独鈷杵? それが何だよ」
 訝しげな視線を向ける晴に、だから、と言いかけた時、パンッ! と甲高い音が響いた。思わず音の方を振り向くと、大河が両腕を顔の前で交差させて踏ん張っている。どうやら、昴の攻撃は防ぎ切れなかったが地面に転がることは耐えたらしい。結界も消え、昴の手からも刀が消えている。
「お、決着がついたみたいだな」
「大河!」
「あっ! おい宗!」
 またもや突然駆け出した宗史を、晴と茂は顔を見合わせて後を追いかけた。
 また負けたぁ、と悔しそうにぼやく大河の元に駆け寄った宗史は、勢いよく大河に詰め寄った。
「大河! 独鈷杵のことは聞いてるか!?」
「う、うん、聞いたけど……」
 宗史の勢いに気圧されつつ、大河と昴が不思議そうな表情を浮かべて顔を見合わせる。
「昴さんが持ってるやつだよね。霊力を具現化する時に使う法具。悪鬼を切り裂いたら調伏の効果もあるって。ずっと気になってたんだけど聞きそびれてて。さっき聞いたけど?」
 島でも、宗史と晴が弓矢と刀を突如として出現させた時に使用した、古来より伝わる法具であり武器だ。昴が首を傾げながら持っていた独鈷杵を見せる。繊細な模様が施された手の平サイズのそれは、持ち手の両側が尖っており、美しい金色に光っている。
 これがどうしたと言いたげに、集まった晴と茂も首を傾げた。
「いや、これじゃなくて、影綱の独鈷杵のことだ!」
「影綱のどっこ……」
 と、今度は大河と晴が顔を見合わせた。
「あ――――っ!」
 見事に揃った叫び声で、何事かと夏也と香苗が双子と共に縁側に出てきた。
「しまった、何で忘れてたんだ」
「さらっと聞いただけだったからなー。大戦の内容とか柴たちのことの方に関心が向いてたせいだ」
「俺、ちっとも覚えてなかった。家に電話して聞いてみる!」
「ああ、そうしてくれ」
 うん! と元気よく返事をして慌ただしく駆け出した。リビングに携帯を置いていたらしく、香苗に頼んで取ってもらうと、大河は素早く携帯を操作した。
「宗史くん、晴くん。影綱の独鈷杵って、何のことだい?」
「え? ああそうか。会合の時はその話は省いたのか。実は……」
 会合の際、大戦のあらまし、柴、紫苑の容姿や一戦交えたことを中心に話したため、影綱個人の情報や出来事はできるだけ省いて説明をした。
 宗史は、かつて安倍晴明から影綱へ送られた独鈷杵のことを話した。
「水晶で作った独鈷杵か。すごいな」
 茂が感嘆の息を漏らす。
「その頃の水晶はとても貴重で高価な物だったそうです。影綱はよほど寵愛されていたんでしょうね」
「分かる気がするな。霊力抜きで、大河くんを見ていたら」
 ああ、と皆が納得したような残念そうな声を漏らし、電話をする大河に視線を向ける。
「影綱もあんな感じだったのかねぇ。天然っつーか」
「さあ。影綱の日記を読めば分かるんだろうけど」
「でもあれ、昔の文語だろ? 読めねぇよ。あ、お前は読めるか」
「見てみないと何とも。誰かが訳したのかもしれないし。ああ、終わったみたいだ」
 携帯をいじりながら戻ってきた大河に、晴が尋ねた。
「どうだった?」
「それが……」
 浮かない表情だ。嫌な予感がよぎる。
「まさか、なかったのか?」
 宗史の問いにしぶしぶ頷いた。
「あるとしたらじいちゃんの部屋か道場の神棚だと思うんだけど、ないみたいなんだよね。念のためにばあちゃんの仏壇の引き出しとかも探したみたいだけど……」
「ないのか」
「んー。ちゃんと探して、また電話するって言ってた。まさか捨てたとか失くしたとかじゃないよね」
「さすがにそれはないだろう。独鈷杵は法具だし、ましてや晴明から授かった物を雑に扱うとは思えない」
「だよね。じゃあどこにやったのかなぁ」
「別に急ぐ必要ねぇだろ。今すぐ必要ってわけじゃねぇんだし」
「それはどうかなぁ」
 突然、頭上から樹の声が降ってきた。見上げると、二階の窓のさんに両腕を乗せた樹がこちらを見下ろしていた。そう言えば、樹の部屋は庭側だ。寝起きだろうか、いつも以上に髪が乱れている。
「すみません、起こしてしまいましたか」
 宗史が声を張ると、否定するようにひらひらと手を振り返してきた。
「大丈夫だよ。それより大河くん、これ」
「え?」
 不意に樹が何かを放った。
「練習用に買ったやつ、もう使わないからあげる。宗史くんが来た時くらいから見てたんだけど、試しに使ってみてよ」
「えっ、と、と」
 落ちてきたそれを何度かお手玉して受け取った大河の手の中には、独鈷杵が収まっていた。昴の物と比べてずいぶん小ぶりで、手の中にすっぽり収まるサイズだ。
「おいおい樹。さすがにこれは早いんじゃねぇの?」
「物は試しだよ。宗史くん、使い方教えてあげて」
「ええ、構いませんが……」
 いくら大河が初日から結界を張れるようになったとは言え、さすがに霊力の具現化は早すぎではないか。真言は必要としないが、慣れないうちは霊力と集中力と想像力を総動員しなければならず、相当な根気と気力がいる。だが、樹が言うのなら。
「大河、やってみるか?」
「え、うん。二人がそう言うならやってみる」
「そうか、分かった」
 またずいぶんと信用されたものだ。晴たちが縁側まで下がり、香苗たちも腰をおろして興味深げに見守っている。
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