第7話

文字数 2,232文字

「つーかこれ、なんかの罠じゃねぇだろうな。俺たちを混乱させようとしてるとか」
 訝しげな声で疑いを口にした下平に、思わず言葉が詰まった。
「そ、その可能性も、無きにしも非ずです……」
 絞り出すように言って、二人同時に溜め息をつく。
「俺ら、妙に疑り深くなったな」
「なりましたね」
 疑うのは刑事の仕事だ。だが、さすがに疑いすぎではと自分でも思う。小首を傾げ、綺麗なつぶらな瞳を向けてくる朱雀が羨ましい。精霊のその美しい目には、自分たちはどんなふうに映っているのだろう。
 この前冬馬にも言われたんだよな、と苦い顔でぼやき、下平は手紙を封筒に入れ直しながら話しを戻した。
「これが罠じゃねぇとしたら、この道成って奴は……満流の兄貴か?」
「だと思います。弟なら『兄を』って書くはずですよね。あいつ、兄弟がいるのか」
「推測が当たっていればな。まあ、誰であろうが事件に関与してることには違いねぇ。となると、こいつも潜伏場所にいて、しかも陰陽師かもしれねぇぞ」
 紺野は苦い顔をした。やはり、あれで全員ではなかったか。だがそうなると、手紙の内容と矛盾しやしないか。理由は分からないが、満流を案じていて今も一緒にいるのなら自分で――いや、もしかして。しかしそうなると。
 紺野はわずかに眉を寄せた。
「紺野、どうした?」
「ああ、いえ……」
 口ごもって逡巡し、訝しげに口を開く。
「道成って、もしかして……」
 きゃあッ!
 突如、甲高い悲鳴が紺野の言葉を遮った。弾かれたように扉の方を二人と一体が振り向いた。即座に動いたのは使いだ。素早く空を切って部屋から出て行く。一歩遅れて、紺野と下平も腰を上げて慌ただしく飛び出した。
 縁側を一気に走り抜け、玄関を横目に廊下を曲がる。懐中電灯の明かりが微かに漏れる部屋に朱雀の尻尾が消えていき、向かいの障子が開いていた。栄明の方が早かったようだ。
「熊さん、佐々木さん!」
 険しい顔で飛び込んだ先は、ダイニングキッチンだった。冷蔵庫の前で熊田と栄明と朱雀が、少し離れた場所で水龍に寄り添われた佐々木が、真っ青な顔で振り向いた。
「どうしたんですか」
 険しい顔で下平が冷蔵庫へ歩み寄り、紺野が佐々木の元へ行く。大丈夫ですかと尋ねると、佐々木は強張った顔でええと頷いた。佐々木がこんな顔をするなんて珍しい。悪鬼に襲われたわけではないようだが。
「紺野」
 神妙な声で熊田が呼んだ。栄明が俯いて顔を歪め、口を覆って朱雀と共にこちらへやってきた。
「何があったんですか?」
 すれ違う栄明を横目で見やる。ずいぶんと気分が悪そうだ。合流すると、熊田が顔を寄せた。
「男の頭部だ」
「えっ」
 小声で、かつ簡潔に返ってきた答えに、紺野と下平は目を丸くした。男の頭部――まさか。紺野は下平と顔を見合わせた。どうやら同じ考えに至ったらしい。無言で頷く。
冷蔵庫に向き直り、同時にゆっくりと足を踏み出す。近付くごとに冷気が強くなる。野菜庫ではなく、冷凍庫か。
 刑事になって久しいが、未だバラバラ遺体を生で見たことは一度もない。田代基次の事件でさえも、写真で確認しただけだ。しかも、冷凍された生首。腐敗していないだけマシ、と思うべきか。
 北原がいたら間違いなく吐いてたな。そんなことを思いながら、紺野は冷凍庫を覗き込んだ。とたん、精気のない目と目が合い、ぐっと声を詰まらせる。紺野だけではない。下平も、顔を歪めて強く唇を噛んで堪えている。
 血痕に染まった大量の保冷剤。五十代から六十代とおぼしき中年男性の生首。髪や眉、まつ毛や肌はもちろん、大きく見開かれたままの眼球から開いたままの口の中まで。完全に凍り付き、全て霜で覆われている。
「こりゃあ、酷いな……」
 口を手で覆い、静かに息を吐き出すように下平が呟いた。
 犯人たちは、尚、あるいは自分たちがここへ来ることが事前に分かっていた。おそらく、この男も何かしらの罪を犯したのだろう。そしてそれをこちらに知らせるために、わざわざ冷凍して残した。男の罪を暴けと、男を断罪しろと。
 この男が犯した、死してなお許されない罪とは、一体何なのか。
 紺野は、懐中電灯を握る手に力を込めた。
 恐怖に怯え、絶叫しているところを一瞬で切り落とされたであろう生首は、今まで見たことないくらい歪んでいる。首から下は、おそらくまともな形を残してはいないだろう。バラバラにされその辺に埋められているか、三宅と同じように燃やされている。今度は骨を粉々に砕かれているかもしれない。
 この男が誰で、どんな罪を犯したのかは知らない。だが、よほど恨んでいたことだけは分かる。けれど。
「ここまでする必要ねぇだろ……ッ」
 薄暗い室内に紺野の悲痛な声が静かに響き、下平たちが痛々しげに眉を寄せた。しばし沈黙が落ち、やがて動いたのは下平だ。
「とりあえず、写真を撮って前科者と照合できるか近藤に聞いてみます」
「あ、はい。そうですね、お願いします」
 熊田が応じ、佐々木と栄明の方へ踵を返した。下平は、俯いたままの紺野の肩に軽く手を乗せ、持っていた携帯を冷凍庫へ向ける。パシャリと響いた軽快な音は、妙に滑稽だった。
「別の部屋へ移動しましょう」
 二人を気遣う熊田の声を聞きながら、自分に言い聞かせる。思考を切り替えろ。まだやることが残っている。紺野は、ゆっくりと長く息を吐き出した。
「行くぞ」
 極秘捜査である以上、通報はできない。丁寧に冷凍庫を閉めた下平が鼓舞するように背中を叩き、紺野は顔を上げた。
「はい」

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