第6話

文字数 2,918文字

 柴が口を開くより先に、大河が顔を上げた。
「宗史さん」
「うん?」
「独鈷杵、やっぱりまだ借りててもいい? 影綱の独鈷杵に慣れる訓練なら部屋でもできるし、もちろん出掛ける時は持って行く。でも、もしもってことがあったら嫌だから。影綱の独鈷杵は、寮にいるときは部屋か、二人から遠いところに置いておきたい。二人に、居心地が悪い中で生活して欲しくない」
 まくしたてるように一気に告げると、柴と紫苑は驚いたように目をしばたき、鈴は呆れ気味に眉を寄せ、晴と志季は喉を鳴らして笑った。
 引くもんかといった強い眼差しで見据えられ、やがて宗史は嘆息した。
「分かった。だが、何があるか分からない。すぐに持ち出せるようにしておけよ」
 大河はぱっと顔を明るくした。
「うん、ありがとう」
 そうと決まればさっそくだ。大河はきょろきょろと居間を見渡して、閃いたように腰を上げた。
「じいちゃんとばあちゃんのところに置いてくる。まだ報告してないし」
 言いながら居間を小走りに飛び出した大河を見送ると、鈴が呆れた顔で言った。
「大丈夫だと言うておるのに、人が良すぎではないか?」
「大河だからなぁ」
「大河だもんなぁ」
 半笑いの晴と志季の答えにならない答えに、鈴は白けた目を向ける。
「まあ、いざという時に持っていれば問題ない。それに、しばらくは皆の話題になるだろうから部屋には置いておけないと思うぞ。特に樹さんは興味津々だろうし、和室にでも置いておけばすぐに持ち出せる」
「……お前たち、少々大河に甘くはないか?」
 そうか? と宗史が首を傾げると、大河が戻ってきた。一斉に視線を向けられ、思わず足が止まる。
「何?」
「いいや。影正に報告はしたか?」
 何で鈴はちょっと呆れ顔なんだろう。不思議に思いつつ、うんと頷きながら腰を下ろす。宗史が場を仕切り直した。
「他にあるか?」
「うん。独鈷杵が護符になるってこと、菊池たちは知ってたと思うんだけど、それでも回収しようとしたのはこっちに渡るとまずいからだよね」
「そうだ。お前が制限なしで霊刀を具現化できることもそうだが、何より負の感情が抑えられるからな」
「でも、触れなくない? 特に菊池は。元々俺は満流と交戦するはずで、深町弥生が結界の外に出たから仕方なく代わったっていうのは分かるけど……」
 変更しなければ、雅臣が宗史と対峙することになっていた。奴に宗史は抑えられない。宗史は、満流の実力は自分より上だと言った。それなら、大河が悪鬼に掴まっている間に宗史を倒し、回収へ向かうこともできたはずだ。何故そうしなかったのだろう。
「満流や昴さんも触れなかったのかな? でも、それなら奪って使おうとか思わないだろうし、満流は渡せって言ってたよね」
 思い起こせば、巨大悪鬼が流れ込んだ時、さも当然のように満流は手を出した。ということは、少なくとも満流は独鈷杵を触れると確信があるのだ。蘆屋道満の子孫であり、式神を使役し、宗史以上の実力。父親の道元の実力がさっぱり分からないので断言はできないが、独鈷杵を使うのは満流の可能性もある。
 首を傾げてうーんと唸る大河を、宗史は何とも言えない表情で見据え、その宗史を晴と志季がにやにやしながら横目で眺めている。
 口を開こうとしない宗史に業を煮やしたのか、鈴が言った。
「大河」
「うん?」
 ついと視線を上げると、宗史が慌てた様子で身を乗り出し、晴が「まあまあ」と言いながら素早く後ろから口を覆った。
「例えば、殺されないにしろ、晴や宗史が半殺しにされていたら、どうしていた?」
 晴が目を丸くして瞬きをした。
「どうって、めっちゃ怒った。あ、そうか。俺に悪鬼を生ませないためか」
「そうだ」
 納得だ。敵側は、例の日に大河の負の感情を利用するつもりなのだ。だとしたら、あの時点で悪鬼を生ませるのは都合が悪い。しかし、弥生はどう考えても影唯を殺そうとしていた。ということは、やはり。
 当然のように答えた大河に、宗史と晴が照れ臭そうに視線を泳がせ、志季はますます肩を震わせた。
「晴も宗史もタフだからな。最終的に奴らが勝つにしても、激化すれば集落へ影響が出る。それも避けたのだろう。ゆえに、独鈷杵奪取を諦めた」
「だから菊池が触れないって分かってても、何も対策しなかったんだ」
「おそらくな。そもそも、牙が干渉、あるいは介入してくる可能性は極めて高かった。初めから捨てていたとも考えられるが、計画を変更せざるを得なくなり、牙の動向を探ることに重点を置いた。だがお前は一人で切り抜けた。その後、仲間が援護に入り、悪鬼を送り込んだことで状況は逆転。独鈷杵を寄越せと要求することで再度牙の動向を探り、成功した。こんなところだろう」
 確認するように鈴が視線を投げると、拘束を解かれた宗史が咳払いをして頷き、晴はそっぽを向いた。志季はにやけ顔、柴はよく分からないといった顔で、紫苑はいたたまれない顔だ。この反応が一体何なのかよく分からないが、それよりも。
「鈴、すごい。報告を聞いただけで何でそんなに分かるの?」
「状況や条件、敵側の狙いをきちんと把握すればいいだけのことだ」
「……すみません」
 いいだけのことときたか。それが難しいのだが。素直に謝った大河に、鈴はうむと言って尊大に頷いた。
「他にあるか?」
 すっかり鈴が進行役だ。
「疑問っていうか、二年前のことなんだけど」
「向島の漁港で会っていたのだったな」
「うん。あの時さ、満流は独鈷杵を探しに来てたと思うんだ。でも、子供が一人で島に来たって噂を聞いたことがないし、杏? を召喚しても渡れないじゃん。てことは、結局島へは来なかったんだよね。独鈷杵を奪う絶好の機会だったのに。何でかなって思って」
 ふむ、と鈴は唇に手をあてがって逡巡した。
「牙を警戒した、と考えられるが」
「朝辻家の文献に、牙のことが書かれててもおかしくないもんね。でも……」
「ああ。今でこそそう言えるが、契約が切れた術者の故郷を守る式神の話しなど、私は聞いたことがない。いくら牙の性格や影綱への思慕を知っていたとしても、二年前は考えもしないだろう」
「だよね……」
 大河は短く溜め息をついた。牙が干渉してくる可能性があると言えたのは、あくまでも前例があったからだ。当然二年も前にその可能性を考えられるとは思えない。となると、牙を警戒した以外に独鈷杵を諦める理由があったはずなのだが、それが何なのかさっぱり見当が付かない。満流は、何を考えているのだろう。
「他には?」
 続けて問われ、大河は逡巡して首を横に振った。
「大丈夫」
 影綱に何があって独鈷杵が贈られたのかも気になるが、日記を読めば分かる。いつ回ってくるかは分からないけれど。
 そのあと、回収した文献が読めるかと聞かれたので、読めるわけないじゃんと当然のように否定すると、一斉に溜め息をつかれた。
 まさか影綱も読めない時代が来るとは思わなかっただろう。日記を訳した人が誰か知らないが、こちらも一緒に訳してくれればよかったのに。そして何より、陰陽師と式神の常識は非常識だと気付いていただきたい。
 普通の人は読めないんだよ、と噛み付いて、大河は達筆過ぎてミミズにしか見えない文字を睨みつけた。
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