第14話

文字数 2,892文字

「前田さんたちに連絡しなくていいんですか?」
「ああ。あいつらも無事みたいだし、あとでいい。それより、騒動の目的だが、あわよくば冬馬の拉致か殺害を狙ってたとしても、一番は今後のためだろうな。悪鬼の補充」
「今までの周到さから言えば、そうだと思います。近畿全域で、しかも人が多い場所ばかりを狙っていますし」
「だな。キタとミナミかぁ。そりゃ大ごとになるよな」
 キタは大阪・梅田駅や北新地、東通り商店街周辺、ミナミは道頓堀、心斎橋、千日前周辺を指す。それぞれ、大阪環状線の北側とほぼ南側に位置する近畿屈指の繁華街や大歓楽街だ。しかも夏休み中。普段以上に人出が多い。
「でも、白狐たちが収めてくれたようですし。明たちが警護に付かせたのも、それを見越していたから――で、いいんだよな?」
 紺野はルームミラー越しに後部座席を一瞥した。丸まってそっぽを向いた白狐から、返事はない。無視かこの野郎。よほど下平の「おいおい聞くとして」が不満らしい。自分で口を滑らせておいて。紺野は呆れ顔で溜め息をつき、下平は苦笑した。
「さっきのは冗談だ、冗談。帰りに何か買ってやるから、話し聞いてくれるか」
 ぴくりと三角形の耳が動き、ゆらりと顔が上がった。胡乱な目付きとは反対に、尻尾は正直だ。小さく揺れている。
「……嘘ではあるまいな?」
「神様に嘘はつかねぇよ」
「よし。聞いてやろう」
 チョロい。
「で、さっきの俺たちの推理は合ってるか?」
 下平が笑いを堪えながら尋ねると、白狐は寝そべったまま言った。
「おおむねな」
「他に何か理由があるのか」
「現状をよぅく考えてみろ」
 現状? と二人揃って反復し、思考を巡らせる。
 明と宗一郎は巨大結界を発動中。樹たちは結界を支える神社や山を守るため、犯人たちはそれらを破壊するために、それぞれ各地に赴いて戦っている。そして件の騒動が起こったのは、近畿全域。
「あ」
 先に気付いたのは、下平だった。顎に添えていた手を離し、閃いた顔を上げる。
「援軍か」
「その通りじゃ」
「あ、そうか」
 この戦いでどちらに軍配が上がったとしても、悪鬼の数は間違いなく減る。それを補填するために、手っ取り早く人が多く集まる場所を狙った。同時に、一部を各地へ援軍として送り込むつもりだったのだ。
「でも、お前らが排除してくれたんだろ。だったら……」
「そう簡単な話ではない」
「どういう意味だ」
 紺野の言葉を白狐が遮り、下平が問うた。白狐は体を起こしてお座りをし、尻尾を足元に巻き付けた。
「確かに白狐たちを街の警護に付かせたが、数に限りがある。こちらとて、本来の役目を放棄するわけにはいかんからの。そうなると、範囲が限られておるとはいえ近畿全域、しかも人出の多いこの時期では、全てを排除し切れてはおらんじゃろう。だが、それも込みで、両家からはでき得る限りの悪鬼を排除して欲しいと言われたんじゃよ。あとは奴らがどうにかするしかあるまいて」
 つまり、騒動に巻き込まれた一般人の中には、食われた者がいるかもしれない。そして、少なくとも援軍は避けられない。
 紺野はぐっと歯を噛み締め、下平は重苦しい声で尋ねた。
「どうにかするって……、どうにかなるのか」
「どうにかするのが陰陽師の役目じゃろ」
 人の世が混沌に陥れられて困るのは、神も同じだろうに。そのわりには、あまり心配していないような気がする。
「なんか隠してるな?」
「俺もそう思ってたところだ」
 紺野に指摘され、下平に便乗され、白狐は悪びれなくカッカッカと笑った。
「当主から直接聞いたわけではないのでな、わしの口からは言えんよ。それに、現状では知る者が少ない方がよかろう」
 確か、尚の存在を隠すために明も同じことを言っていた。あの時点で、すでに犯人側に尚の存在は知られていた。つまり、誰かが捕まって尚の情報や事件に関わっていることを吐かせられないように、誰にも教えなかったのだ。信用していないわけではないだろうが、もしもということがある。
 そして今回も、白狐の推測が正しければ、おそらく同じ理由だ。さらに言うなら、驚くことはあってもこちらが不利になることはない。だからといって心配しないわけではない。けれど、自分たちにできることはない。
 諦めたのは、二人同時だ。溜め息が二つ重なる。
「今は、明さんたちを信じるしかないな」
「はい」
 いい加減その秘密主義を何とかしろと言いたいが、真っ当な理由があるのなら仕方がない。ただ驚かせるためだけに秘密にするのはやめて欲しいが。
 まあそのうち分かるだろ、そうですねと苦笑いを漏らす二人を、白狐は観察するようにじっと見つめた。
 下平が、ついとルームミラー越しに白狐を見やった。
「そういや、話しは全然変わるんだけど、白狐」
「なんじゃ」
「お前、名前はないのか? いちいち、紺野に付いてる白狐とか言うの面倒だろ」
「言われてみればそうですね」
「だろ?」
「そんなもんあるわけなかろう」
「何で」
 問い返したのは下平だ。
「それぞれに担当場所が割り当てられておるから、わしらは単独で動く。名前なんぞなくても、問題などありゃせんわい」
 要は、稲の出来を報告できればそれでいいらしい。あれか。宇迦之御魂神は、「○○地区の報告はまだか。担当の白狐に急がせろ」とか言うのだろうか。見た目に差がなさそうだし、うじゃうじゃいるなら名前を覚えるにも一苦労だろうが、ちょっと寂しい気もする。
「でも今はあった方が便利だろ? それに、白狐って総称だろ。一度は名前で呼ばれてみるのもいいんじゃねぇか? 別にずっとってわけじゃねぇし。どうだ?」
 引く気配のない下平に、白狐は諦めたように溜め息をついた。
「まあ、お前たちが不便なら構わん。おかしな名を付けるなよ」
「よし。紺野、こいつお前の護衛だろ。お前が付けてやれ」
「え、俺がですか?」
 そう言われても、いきなりは出てこない。てまりの時は、母がその場で浮かんだ名前を付けたから参考にならない。となると、やはり見た目の印象から付けるのがセオリーだろうか。
「シロ」
「安易じゃな」
 駄目らしい。間髪置かずに一蹴され、声を殺して笑う下平をひと睨みして頭をひねる。他に思い浮かぶのは。
「雲、雪……」
 雲は名前としてどうなのか。蜘蛛と勘違いさせそうだ。雪は微妙。口調からしてオスだし、どちらかといえば女性を連想させるので嫌がるかもしれない。あとは。
「大根、豆腐、砂糖、塩、米、餅」
「お前には雅さが足りんのう」
「あっはっは!」
 思い付くまま口に出すと、白狐に突っ込まれて下平には爆笑された。むっと眉間にしわが寄る。
「しょうがねぇだろ、白い以外に特徴がねぇんだから……」
 文句を言いかけて、不意に思い付いた。
「――諭吉(ゆきち)
「おっ、古風でいいじゃねぇか」
 な、と下平が振り向いて同意を求めると、白狐はふむと鼻を鳴らした。
「まあ良かろう。シロよりはマシじゃ」
 じゃあ自分で考えろと言いたいが、機嫌を損ねると面倒なので黙っておいた。
 俺もなんか考えとくかなぁ、と次は下平付きの白狐の名前の話題で盛り上がりつつ、しかし結局決まることなく、一行は武家屋敷周辺に到着した。
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