第4話

文字数 4,755文字

 野瀬歩夢は、尊とは中学からの同級生で、今は別の高校に通っている。
 十五階建てマンションの七0五号室を訪れると、仕立ての良いスーツを着た父親が対応に出た。
「すみません、忘れ物を取りに来ただけなので、すぐに戻らなければいけないんです」
 そう言って掲げた紙袋には、大手建設会社の名前が印字されている。
「私たちからはもうお話することはありませんし、あの子も子供ではありません。自分で対応するよう言ってありますから。では失礼します」
 父親は下平たちを歩夢の部屋の前まで案内すると、慌ただしく家を出て行った。
 部屋の扉をノックすると、間延びした面倒臭そうな返事が返ってきた。
 扉を開くと、冷えた空気が流れ出た。エアコンの効いた六畳の部屋は、カーテンこそ開けられてはいるが、ゴミ箱の周辺や折り畳みテーブルの上には菓子の袋やペットボトルが散乱し、ベッドの上にはコミックが山積みにされている。パソコンのモニターでは、厳ついキャラクターが派手な効果音をバックに大きな剣を振り回し、大立ち回りをしていた。
 これは数日間部屋に籠っている。その証拠に、扉を開けたとたん冷気と共に漂った男臭さに、榎本が足を止めて仰け反りかけた。よく耐えた。最近の高校生は臭いのケアに余念がないと聞いているが、自室に籠っていると油断するのか。
「早くドア閉めろよ。暑いだろ」
 歩夢はモニターに齧り付いたまま言い放った。しかもタメ口だ。
 榎本は開きかけた唇を一文字に結び、部屋に入ると扉を閉めた。年上にタメ口なんて! と内心では思っているのだろう。
 効果音が止んだところで歩夢はゲームパッドから手を離し、回転椅子を回して振り向いた。一瞬、視線が榎本で止まりすぐに逸らした。
「で? 何だよ。他の刑事にも話したんだけど。もう話すことなんてねぇよ」
 足を組み、寝起きのままらしい寝癖のついた髪に指を通す。無意識なのか、それとも刑事とはいえ女である榎本を意識したのか。化粧っ気はないが、まだ二十代で普通に街を歩けばOLにしか見えない、しかもよくよく見れば可愛らしい彼女を見て身嗜みを気にするあたり、粋がっているわりにはなかなか可愛気がある。
「お父さん、仕事忙しいのか」
 脈絡のない質問に歩夢が眉をひそめ、榎本も怪訝な視線を送った。
「お母さんも仕事か?」
「あんたに関係ねぇだろ」
「片山建設って、大手だな。すごいじゃないか、あんな会社で働いてるなんて」
 ガンッ、と鈍い金属音を立てたのは円柱のゴミ箱だ。中に入っていたゴミを散らかしながらごろごろと転がり、下平の足にぶつかって止まった。
 椅子にふんぞり返って鋭い視線で見上げてくる歩夢を見据え、下平はついと榎本に視線を逸らした。すると榎本は怪訝な顔をしたまま、バッグからタブレットを取り出した。
「事件現場にあった防犯カメラの映像だ。確認してくれるか?」
「嫌だ」
「何でだ?」
「あんたが嫌いだから」
「ご両親のことを聞いたからか」
「関係ねぇっつってんだろッ!」
 今にも噛み付きそうな勢いで前にのめり、椅子の肘置きに両拳を振り下ろした。素直な反応だ。
 両親の不在を聞くと拒否反応を示し、父親の勤め先を褒めると苛立ちを見せた。父親の言葉からもしやと思ってカマをかけてみたが読み通りだ。尊とは逆の家庭環境。
 下平は歩夢を見据えたまま、なら、と続けた。
「襲われる心当たりは?」
「だからねぇっつってんだろうがッ! しつけぇな尊に聞けよッ!」
 あっさり引っ掛かってくれた。榎本もぴくりと眉を動かした。短気、感情的かつ自制が利かないタイプは大人にも多いが、まだまだ成長途中の高校生ならば珍しくはない。
「河合尊には心当たりがあるんだな?」
 しまったと言った顔で歩夢が声を詰まらせ、視線を泳がせて俯いた。尊を置き去りにしたわりには庇おうとするのは、罪悪感からか。仲間意識があるのなら、あるいは。
「話は聞いてるだろう。防犯カメラや遺留品から犯人が割り出せない以上、お前たちの証言だけが頼りだ。このまま犯人を野放しにしておいていいのか?」
 肘置きに置いた拳がぴくりと震えた。
「尊はまた襲われるかもしれねぇんだぞ。今度は無事ではすまないかもしれん。言っておくが、お前たちも無関係じゃねぇぞ。犯人はお前たちの顔を見ている。尊と犯人が顔見知りなら、尊の行動を探ればお前たちの自宅や名前も割れる。そうなったら」
「カツアゲだよ!」
 下平の言葉を遮って吐き出すように言い放った歩夢に、榎本が大きく目を見開いた。
「順を追って詳しく話せ」
 促すと、歩夢は忌々しそうに視線を上げた。
 やがて観念したように背もたれにもたれ、ふてくされた顔のまま視線を床に下ろして重い口を開いた。
「一年くらい前、やけに羽振りがいいからどうしたんだって聞いたことがあんだよ。そしたら、いい金づるがいるって言ってたんだ。ゲーセンで他の学校の奴と仲良くなって、そいつらの同級生だって聞いた。でも、しばらくしてその話をしたら、もうやってねぇって言ってた」
「そいつらの名前と学校は。カツアゲされてた奴も含めてだ」
「知らねぇ。獲物を横取りされたくねぇから誰にも言うなって言われてるっつって、話してくれなかった」
 下平は深い溜め息をつき、榎本は不快気に顔をしかめた。羽振りだの金づるだの、挙げ句の果てにはカツアゲ相手を獲物扱いか。嘆かわしいの一言に尽きる。
「その話を隠してたってことは、犯人がカツアゲの相手だって分かってたんだな? 理由は」
「あの次の日、尊から連絡があった。あれは絶対あいつだ、俺も殺されるどうしようって言って、すげぇ怯えてた。じゃあ警察に言えばいいって言ったら、カツアゲしてたことがバレるから嫌だって。だから俺も口止めされたんだよ」
 苛立ちを発散するように、歩夢は足を揺すった。
 カツアゲは恐喝罪だ。暴力が行われていたのなら傷害罪、何かをネタに強請っていたのなら脅迫罪。罪が増えていく。そこまでしていたとは思いたくはないが、命を狙われるほど恨みを買い、こんな目に遭ってまでまだ隠そうとするのなら、無いとは言い切れない。
 犯人が分かっていて、警察に言わなければ二度目があるかもしれないという恐怖に苛まれ、言えば自らの愚行が露見する。八方塞がりだ。
「俺も殺されるって言ったのか?」
「そうだよ」
 俺も、ということは誰かすでに殺害していることになる。しかも、尊はそれを目撃していた。
「下平さん」
 榎本が神妙な声色と共に視線を向けた。下平はひとまず軽く手を上げて制し、続けた。
「顔を隠していただろう。何で分かったか言ってたか」
「それは俺も聞いた。けど、あいつに間違いないって繰り返すだけで何も言ってなかった」
 あれだけしっかり顔を隠していたにもかかわらず、尊は犯人を断定している。今朝確認した科捜研からの鑑定書にも、特に手掛かりになるようなことは報告されていなかった。ならば尊にだけ分かる何か理由が――。
 悪鬼か。
 悪鬼は人の負の感情から生まれ、恨んでいる者を食らうと言っていた。カツアゲの被害者が生み出し仲間を食らった場面を見ていたとしたら、そしてそれを千代とかいう悪鬼の力によって従わせているのだとしたら、辻褄が合う。
 なるほどな、と下平は口の中で呟いた。
「あの日、何であの場所に行った?」
「尊に誘われたんだよ。友達から連絡があって、飲むから付き合えって」
「友達?」
「そうだよっ」
 歩夢は揺すっていた足を止め、顔を歪ませた。
「尊はそいつに誘われて現場に行ったんだな? そいつの名前は」
「知らねぇよ! 一緒にカツアゲしてた奴だってことしか聞いてねぇ! これ以上はほんとになんも知らねぇんだよ!」
 痺れを切らしたように叫ぶと、もう勘弁してくれよ、と掠れた声で訴えながら顔を覆い、膝にうずめるように体を二つに折った。
 以前一緒にカツアゲしていた奴、つまり尊を呼び出したのは仲間。もし以前に仲間が食われたのだとしたら、その時の生き残りか。しかし実際に現場に来た奴は尊を襲っている。だとしたら、襲撃犯が友人を装って呼び出したと考える方が自然だ。面識があって声は知られているから、電話ではないだろう。メールやメッセージは知らなくても、SNSならばいくらでもなりすませる。尊が利用していればの話だが。
 とにかく、もう一度尊から話を聞く必要がある。
 マジで何なんだよ、何でこんなことになってんだ、と呟く歩夢の背中は小刻みに震えていた。
 尊はカツアゲなどというくだらないことをした挙げ句、仲間を殺害され自分も襲われた。これが真実ならば、自分の愚行が招いた結果だと言える。しかし歩夢は、確かに飲酒喫煙、深夜徘徊は見逃せない、尊を止めてやれなかったのかと思わなくもないが、本来無関係だ。
 その彼が巻き込まれ、友人を置き去りにし、口止めをされていたにも関わらず喋ってしまったことへの罪悪感に苛まれるのは不憫に思える。
 しかし、彼の選択が間違っているとは思わない。正体不明の男と悪鬼などという非現実的なものに襲われれば、誰だって逃げたくもなる。尊やもう一人の友人、自分の身を案じれば、警察に協力するのが一番だ。例えそれが尊の愚行を露見することになったとしても、命には代えられない。
 下平は、足元に転がったままのゴミ箱を起こした。
「ありがとな」
 体勢を戻しながら告げると、歩夢はゆっくりと体を起こした。目を真ん丸に見開いている。
「これで捜査が進展する。助かった」
 歩夢は、にっと笑みを浮かべた下平をしばらく見上げた。視線を泳がせて何か言いたげに薄く唇を開いてはつぐみ、次第に俯いた。
 何を気にしているのかは、言われなくても分かる。
「歩夢」
 力強い声で名を呼んだ下平に、歩夢は弾かれたように顔を上げた。
「お前の選択は間違っていなかった。俺たちがそれを証明してやる」
 不遜な笑みを浮かべて言い切った下平を、歩夢は呆然と見上げた。
 尊に真偽を問う以上、歩夢が証言したと告げなければならない。尊は歩夢に裏切られたと思うだろう。しかし、それは間違いだ、裏切ったわけではないと伝えなければ、二人の関係はここで終わる。別々の高校に進学した後も交友が続いていたのなら、それだけ親しかったということだ。
 互いに家庭環境に不満を持ち、ゆえに共感、支えにしていたのだとしたら、それを絶つわけにはいかない。
「じゃあな、っと、そうだ」
 踵を返しかけて、下平は立ち止まった。
「なんかあったら署に来い。愚痴くらい、いくらでも聞いてやる」
 そういうや否や歩夢ははっと我に返り、みるみるうちに顔を紅潮させた。じゃあな、と今度こそ踵を返し部屋を出ると、扉越しに、
「うるせぇジジイ! ほっとけ!」
 と悪態が響いた。
 喉を鳴らして笑いながら野瀬家を後にする。エレベーターの中で、榎本が神妙な顔で口を開いた。
「下平さん、さっきの証言……」
「裏を取る必要があるな」
「河合尊のところへ戻りましょう」
「ああ……いや、先にもう一人の方にも行っておこう。証言は多い方がいい」
「……分かりました」
 思いがけない証言が取れて気が急いているのか、榎本は少々不満そうな声で頷き、車の鍵を開けた。
 おそらく、今戻ったとしてもあの母親の様子では門前払いだ。尊も精神的に不安定になっている。しかし、もしもの可能性がある。その可能性を上げるためにも、少し時間を置いた方がいい。
 冷静になっていてくれればいいが。
 頭上を覆う湿り気を帯びた黒い雲を見上げ、下平は車に乗り込んだ。
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