第8話

文字数 3,018文字

 寮に戻ると、門前にバイクが二台並んで停車していた。宗史と晴の愛車だ。
「ただいまー」
「ただいま」
「あっつー。華さーん、なんか飲み物ー」
 大河を先頭に、玄関を開けるなり慌ただしく室内へ上がって、すぐさまリビングの扉を開けた。珍しく全員集合している。樹と怜司は食事中で、庭では宗史と晴が昴と美琴、香苗の体術の指導、茂と夏也は藍と蓮の遊び相手、そして華は、樹と怜司の向かい側の席でスーパーのチラシを念入りにチェックしていた。
「おかえりなさい。準備するから、まずは荷物置いて手を洗ってらっしゃい」
 はーい、と三人揃って元気に返答し、ビニール袋をリビングのテーブルに置いて二階へと上がる。
 荷物を部屋に置いて、大河は置きっ放しにしていた哨戒ノートを手に、洗面所で手を洗って再び二階へ下りた。ダイニングテーブルに麦茶が入ったグラスが三つ用意されている。
「おはようございます、樹さん怜司さん」
「おはよー」
「おはよう」
「若者は元気だねぇ」
 テーブルに哨戒ノートを置きながら挨拶をすると、今にも目が閉じそうな樹がジジ臭い台詞を吐きながら最後のそうめんをすすった。三人揃って立ったまま麦茶を一気に飲み干し、長く息を吐く。
「ところで大河くん」
「はい?」
 もう一杯、と冷蔵庫に足を向けようとした時、閉じかけていた目を開いた樹がじっとこちらを見上げた。
「例の巨大結界見せて。ただちに今すぐ即座に間髪置かずに」
 すっかり忘れていた。げ、と呟いて渋面を浮かべた大河に、樹が不快気に目を細めた。
「何その顔。嫌なの? 師匠の言うこと聞けないの?」
 身を乗り出した樹に大河は身を引いた。宗一郎といい、この手の輩に圧力をかけられる運命でも背負っているのか。
「だ、だって、あれやると力抜けるんですよ」
「ずっとやれとは言ってないでしょ。確認するだけだから」
「えー……」
 気乗りしない声を上げてちらりと庭の方に視線をやると、不穏な空気を察した宗史と晴が苦笑いを浮かべてこちらを窺っていた。
「大河、少しくらいなら大丈夫だろう。それに、樹さんには確認してもらっておいた方がいい」
 宗史の援護に目を輝かせ、樹が勢いよく立ち上がった。
「さすが宗史くん。ほら早く」
「ちょ……っ」
 腕を掴まれ強く引っ張られる大河のグラスを、春平が不憫そうな表情を浮かべて受け取った。
「怜司さん、巨大結界って何のことですか?」
 弘貴が首を傾げながら尋ねると、怜司はごちそうさまと合掌して立ち上がり、さっそく縁側へと向かった。弘貴と春平もグラスをテーブルに置いて後に続く。
「仕事の時オフィスに結界を張ったらしいんだが、その大きさが尋常じゃなかったらしい」
「尋常じゃなかったって……」
 弘貴と春平は顔を見合わせて首を傾げた。
 押し出されるようにして庭へと放り出された大河は、縁側から距離を取って対面した。縁側には、樹、怜司、茂、藍と蓮、夏也、背後に華と弘貴、春平が腰を下ろし、そして宗史と晴、昴と美琴と香苗がそれぞれ縁側の端の前に立ったまま、大河を見守っている。
 全員の前できちんと術を行使するのは初めてだ。緊張する。
 いつもこの時間は哨戒中で必ず誰かがいない。特に美琴は、食事の後は一旦部屋へ下がることが多く、戻ってきた初日に交わした以降、挨拶以外の会話をしていない。だから筆ペンを頼まれた時は、少し嬉しかった。
 大河はゆっくりと深呼吸をして、目を閉じた。大丈夫、制御する必要がないから余計な気を使わなくていい。仕事の時とは違う、力を抜いて、全開放だ。大河は目を開き、ゆっくりと丁寧に、かつ流れるように真言を声に乗せる。
青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(てんたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)
 えっ、と縁側から驚きの声が上がった。
 煌々と光を放つ巨大な結界が、目の前を塞いだ。二階建ての寮の屋根をゆうに超えている。
オフィスで見たあの時よりもさらに大きさを増した結界に、大河自身も驚いた。あの時は室内だったから全貌が確認できたわけではなかったが、こんなに巨大だったのか。
「た……大河! もういい解け!」
 皆が一様に呆然と見上げる中、いち早く我に返った宗史が慌てた様子で声を上げた。
「えっ! 何でもっと見たい!」
「駄目です!」
「いいから早くしろ!」
 宗史が樹の要求を食い気味に却下し、我に返った晴に急かされ、大河は慌てて印を解いた。結界が煙のように消え失せると、宗史と晴が安堵の息を吐き、樹が残念そうな声を漏らした。
「つまんない。もっと見たかったのに」
「馬鹿言うな。見える奴に見られたら大騒ぎだろうが」
 晴に諭され、樹は不満気に唇を尖らせた。確かに、結界が放つ仄かな光も、あれほど巨大になるとそれなりに眩しくもなる。霊感がある人間に気付かれてしまう。
「すっげぇ……」
「何だ、あの結界……」
「すごいですね。あんな大きな結界、初めて見ました」
 弘貴と怜司が呆然と呟き、夏也が表情は変えないまま、しかし驚いた感想を口にした。大人たちは唖然としているが、藍と蓮は目をキラキラさせている。
「昨日、ここまでじゃなかったよな」
「ああ。けど、隙間なく塞いでいたからな。入り切らなくて歪んでいたんだろう。もう少し大きいのかとは思っていたけど、想像以上だな」
「あいつの霊力量、マジで底なしかよ……」
 宗史と晴も唖然として大河を見つめた。
 驚く皆を横目に、大河はどこかすっきりした顔で肩を回していた。霊力とは言え、行使するには体力を使う。今日はまだ体を動かしていないからか、一瞬とはいえ霊力を全開放したお陰で、適度に体を動かした時と似たような爽快感だ。
 この後は体術訓練かな、と期待していると、樹が庭に下りてきた。
「大河くん、大河くん」
 宗史と晴の方を何やら警戒しながら小走りに近寄り、樹は腰を屈めて大河の耳元で囁いた。
「明日の早朝訓練、絶対起きてね。もう一回やって見せてよ」
「え、でも……」
「朝早くなら大丈夫だよ。ちょっと強度の確認するだけ」
「樹」
「樹さん」
 樹の言葉を遮り割って入ってきたのは、目を据わらせた宗史と晴だった。樹は肩を跳ね上げ、引き攣った顔でゆっくりと振り向いた。
「駄目だって、言ってんだろうがッ!」
 晴は両拳を樹のこめかみに当て、ぐりぐりとドリルのように回した。とたん、樹の悲鳴が上がる。
「痛い痛い痛い! 何で! 強度の確認は必要でしょ! 痛いって!」
「もう確認済みだから必要ねぇ! 大体ご近所さんに見られたらお前いい言い訳できんのか!?」
「僕は確認してないでしょ! 二人だけずるい! 実験に失敗しましたとでも言えば!?」
「ずるいとかいう問題じゃねぇ! 実験ってお前は科学者か何かか!? そもそも何の実験だコラ!」
「知らないよ! 痛いって――――っ!」
 樹の悲鳴を初めて聞いた。逃げ回る樹としつこく追い回す晴を背景に、宗史が顔を引き攣らせて立ち尽くす大河の両肩を掴んで見据えた。
「大河、樹さんの圧力に屈するな。厳命だ、いいな?」
「……はい……」
 樹も怖いが、その樹を黙らせる二人には逆らわない方が身のためだ。と言うか、この年でこめかみをぐりぐりされたくない。子供か。
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