第14話

文字数 2,933文字

 次々と溢れ出る涙を押さえるように、大河は両手で宗史のTシャツを掴み、顔を押し付けた。唸り声のような嗚咽が漏れる。
 影正が死ななければならなかった理由を知りたいと思った。だから京都へ戻った。訓練を受けて、仕事をして、彼らが何故こんな事件を起こしたのか知って、色々なことを考えて、悩んだ。
 その答えが、自分。
 影綱の霊力なんか受け継いで、生まれたから。
「俺が……っ」
 じいちゃんを殺した。くぐもった声は、最後まで言葉を乗せることはなかった。
堪え切れない嗚咽に、宗史は苦しげに目を細めた。大河の頭を一度ゆっくりと撫でて、静かに問いかける。
「もしこの推測が当たっていたとしたら、お前は、北原さんが襲われたことや、冬馬さんが標的になっているのは、樹さんのせいだと思うか?」
 大河はぴくりと肩を震わせた。思考を切り替えるようにしばらく鼻をすすり、やがて小さく頭を横に振る。
「草薙は、うちの氏子だ。栄晴さんが殺されたのは、軽部さんや、俺たちのせいだと思うか?」
 今度はすぐに頭を横に振った。
「それと同じだ」
 樹がいなければ、軽部がいなければ、賀茂家が存在していなければ、北原が襲われることも、冬馬が標的にされることも、栄晴が殺されることもなかった。
 ここで、影正が殺されたのは自分のせいだと思うのは、それを認めることになる。
 もちろんそんなことこれっぽっちも思っていない。責任は、どんな理由があったとしても敵側にある。
 でも、そう頭では分かっていても、どれだけ推測だと言われても、どうしても拭えない。自分が生まれてこなければ、という後悔が。
「お前は、私の誇りだ」
 宗史の声が鮮明に耳に飛び込んできて、思考が止まった。
 大河は、珍妙な物でも見たように目を見開いて、ゆっくりと体を起こした。見上げた先には、落ち着いた黒い瞳。なだめるように、静かにこちらを見下ろしている。
「大河が孫で、本当に良かった。忘れたか?」
 静かに尋ねられ、大河は握っていたTシャツからそろそろと手を離した。気を落ち着かせるように、息を吐きながら視線を落とす。
 先日の会合で、栄明は悔やむ軽部に「貴方のせいではありませんよ」と言っていた。昼間の会合で、北原が襲われたのはお前のせいじゃないと紺野に言われ、樹はそれを受け入れた。今朝、宗史も晴と話しをしたはずだ。
 けれど、貴方のせいではない、お前のせいじゃないと言われ、そうですかと簡単に受け入れて割り切れるものではない。犠牲になった者が大切な人なら、なおさらだ。それでも慰めを受け入れるのは、気遣ってくれる人たちへの気遣い。
 そして、これ以上大切な人を失わないために、葛藤しながらも必死に踏ん張って戦っている。
 影正は、どう思うだろう。またこうして、俺のせいだと言って泣き喚く自分を見て。
 どんな形で最期を迎えたのであれ、お前が責任を感じる必要は一切ないと、影正は言った。だとしたら、事件が起こった時点で予想していたのかもしれない。考えられる死因の中の一つに、大河を庇って死ぬ可能性があると。
 自分が選んだ人生だからといっても、今頃後悔しているかもしれない。本当に庇って死んでしまったことを。孫に、罪悪感を背負わせてしまったことを。
 だからといって、自分のせいじゃないと思うことはできない。春平のことのように、持って生まれたものは自分ではどうしようもないなんて割り切れない。自分が標的にされたせいで、影正は殺されたのだから。でも影正は、それを知らなかった。知らずに、自分を「庇って」死んだ。
 大河は膝の上の両手を握った。
 ならば、せめて誇れ。
 大切な人が守ってくれるだけの価値が、誇りに思ってくれるだけの価値が、自分にはあるのだと。消えることのない罪悪感を一生抱えて、けれど影正の命を、覚悟や思いを無駄にしないように。
 これから先、例え後悔する日が来たとしても、その瞬間まで自分の命を誇れ。
 大河はぐいっと手の甲で涙を拭って、顔を上げた。
「ごめん。大丈夫」
 言いながらもずずっと鼻をすすった大河に、宗史はどこかほっとしたような笑みを浮かべた。ドレッサーに置かれているティッシュを箱ごと持ってきて差し出す。
「ありがと」
 前にもこんなことあったなと、少し情けない気持ちで受け取って鼻をかむ。茂と話をした時も、不覚にも号泣した。自分ではそう思っていなかったけれど、本当は泣き虫なのだろうか。
「もし」
 でもこんなの誰でも泣くよな、と自分を擁護していると、宗史がベッドの端に腰を下ろした。両手を組んで、伏せ目がちに視線を落とす。
「もしお前がいなければ、俺たちはあの時全員殺されていた。俺も、晴も、影正さんも、影唯さんや雪子さんも。家には省吾くんたちがいた。それだけじゃない。俺や晴が死ねば、椿と志季の契約が切れる。柴や紫苑と協力できたかどうかも分からない。もちろん、影正さんを助けられることが最善だった。お前を利用するつもりだとはいえ、公園での状況を考えると、お前が殺されていた可能性がないとは言い切れない。影正さんは、覚悟をし、お前を残してくれた。大河と影正さんがいたから、今の体制がある」
 不意に上げられた視線と、目が合った。
「感謝している。ありがとう」
 そう言った宗史の眼差しは、とても優しくて、少し切なそうだった。影正を助けられなかった責任を、ずっと感じているのだろう。
 そんなふうに思ってくれていたのか。止まった涙がまた溢れそうで、大河はごまかすように俯いてティッシュを鼻に当てた。
 影正の命を奪う原因となったこの力が、宗史たちの命を救った。影正の命と引き換えに、戦いに必要な体制を整えることができた。
 影正ならきっと、胸を張れと言うだろう。そして、自分自身も後悔を抱えながら、笑って言うだろう。自分一人の命で、大勢の人たちを救えるのなら、と。
 刀倉影正は、そんな人だった。
 大河はずずっと鼻をすすり、上目遣いで宗史を見上げた。返事の代わりにへらっとはにかむと、苦笑いが返ってきた。
「この話は、あくまでも推測だ。だが、お前からしてみればショックが大きいんじゃないかと思って、なかなか言い出せなかった。悪かった」
ここまで話しておいてまだ言うか。往生際が悪いなぁ、と今度は大河が苦笑した。でも、気を使ってくれているのだ。ありがたい。
 大河はううんと小さく首を横に振った。
「宗史さんが謝ることじゃないじゃん。それに、もっと早く話しを聞いてたら、こんなふうに考えられなかったと思う。今で良かった。ありがと」
 へへっと笑うと、宗史はやっと表情を緩めて微笑んだ。
 樹や栄晴のことがなければ、きっともっと取り乱していた。ましてや戦闘中に敵側から聞かされていたら、どうなっていたか。独鈷杵争奪は、敵側と直接対峙することになる。だから宗史は、このタイミングで話したのだろう。それと、彼自身が栄晴への罪悪感を抱え、答えを出したから。話そうと思えばもっと早く話せたのに、慎重にタイミングを計ってくれたのだ。
 もちろん、あんな事件は起こらない方がよかった。でも助けられた。たくさんの人の悲しみや痛み、誰かを思う気持ちが、立ち直るきっかけをくれた。
 自分は、それに報いなければならない。
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