第28話

文字数 1,954文字

 淡路祖霊社が建立されていたのは、馬場から入って少し奥まった場所。つまり、馬場からは見えない。二人と一体は、淡路祖霊社跡と思われるぽっかり空いた空き地で足を止め、振り向いた。右側に右近の結界、左側には縦長の記念館。香苗が片膝をついてしゃがみ込む。
鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)怨敵守護(おんてきしゅご)――」
 地面が微かに揺れ、タイミング良く小ぶりの水龍が一体、頭上から下りてきた。さすが右近だ。
「上をお願い。ノウマク・サマンダ・バダナン・バロダヤ・ソワカ。水霊掌中(すいりょうしょちゅう)汚穢捕縛(おえほばく)――」
 自分も霊符を取り出しながら短く指示を出し、真言を唱える。目の前に小さな水の渦が現れ、水龍は尾を振って水塊を顕現させた。と、今まで見えていた景色が、真っ黒に染まった。悪鬼の大群だ。
 二人の真言が重なる中、真っ黒な闇が蠢いたように見えた。悪鬼が何の躊躇いもなくこちらへ突進し、突如、弾けるように分裂した。
牆壁創成(しょうへきそうせい)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 香苗が霊符を地面に叩きつける。直後、あっという間に高さ四メートル程、幅は結界と記念館ぎりぎりまで迫った壁が形成された。だが大した厚さはなく、三十センチ程だ。とっさに回避できなかったらしい。壁の向こう側から衝撃音が響き、亀裂が走った。
籠檻幽拘(ろうかんゆうこう)――」
 美琴の真言に呼応し、目の前に顕現した水の塊が豪雨のような音を立てて一気に質量を増してゆく。香苗が形成した壁の横幅より若干小さめだが、それでも十分巨大だ。一方、亀裂が走った壁は、一瞬沈黙したと思ったらドッと一気に崩れ落ちた。悪鬼が瓦礫の隙間を抜け、上からも回り込む。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 美琴が霊符を放つと同時に、巨大な水塊からいくつもの触手が伸びて悪鬼を囲み、瓦解する壁ごと引きずり込んだ。一方で、水龍二体が上から回り込んできた悪鬼目がけて無数の水塊を放った。悪鬼を捉えて白煙を上げる。
「オン・マヤラギランデイ・ソワカ!」
 美琴と香苗の声が揃った。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。邪気砕破(じゃきさいは)邪魂擺脱(じゃこんはいだつ)顕現覆滅(けんげんふくめつ)――」
 二枚の霊符が空を切り、悪鬼を飲み込んだ水塊に張り付く。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!!」
 高らかに唱えられた真言に霊符がまばゆい光を放ち、水塊を飲み込んだ。とたん、一斉に身を翻して鎮守の森へと駆け込む。
 結界と記念館に挟まれたこの場所なら、正面を塞いでしまえば経路は上しかない。記念館を破壊される危険もあるにはあったが、わざわざ壊すより上から回り込んだ方が明らかに早い。と、悪鬼が考えるとは思えないが、本能で動いているのならむしろ上から来る可能性の方が高かった。一瞬でも行く手を塞げばその分こちらに余裕ができるし、どこから来るのか分かれば術も仕掛けやすい。さらに、分散して数を減らしてくれれば捕らえやすくなる。
 それともう一つ。確認したいことがあった。今こうして無事でいるのだから結果は分かっているが、一応。
「香苗、地面は何もなかったのよね」
「うん、大丈夫だった」
「じゃあ、何とかなるかもしれないわね……」
 足元だ。香苗には、障壁の術を行使したあとは地面を注視しろと伝えていた。変化がなければ調伏を、あれば地天で対処をしろと。
 つまりだ。悪鬼は壁の上から回り込んできて、地面には何の変化もなかった。ということは、影に紛れて地面を這うことはできても、壁の下、つまりモグラのように地面を潜ることは不可能なのだ。
 ならば、周囲に低い壁を張り巡らせてしまえば、悪鬼はそれを乗り越えるか破壊して攻撃するしかない。動きが分かる。自ら動ける範囲を狭めてしまうことにもなるが、乗り越えられる程度なら問題ない。それに、先程の壁。大した厚さはないのに、すぐには破壊されなかった。分裂していたせいもあるのだろうが、ある程度厚さがあれば耐えられるだろう。
 戦況がどう変わるか分からない。二人と二体は、木々の隙間から淡路祖霊社跡が見える距離で足を止めた。結界を背に、高さ三十センチ程の壁を半円状に形成するように指示を出し、美琴は霊刀を具現化する。
 初めよりは早くなったと自分でも思うけれど、やはり樹たちと比べると格段に時間がかかる。それに、霊刀を具現化したまま霊符を扱うのは初めてだ。いつも以上に集中しなければ。
 右近の結界、二体の水龍、香苗の擬人式神、三メートル先には壁。これで何とか応戦できればいいが、最大の問題が残っている。香苗の霊力量だ。それでなくとも術を連発している。長引くともたない。右近次第でもあるけれど、こちらでもあれだけの悪鬼を調伏しているのに、戦闘の音が止む気配はない。あれだけの巨大な悪鬼だ。いくら式神でも手こずるだろう。
「香苗、美琴、行ったぞ!!」
 不意に、頭上から右近の忠告が響いた。美琴が霊刀を構え、香苗が霊符を取り出し、水龍二体が水塊を顕現し――ザンッ、と葉を散らせ、分裂した悪鬼が一斉に降ってきた。
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