第7話

文字数 3,454文字

      *・・・*・・・*

 宗一郎から連絡をもらい現場へ向かったはいいが、ちょうど交通量が多い時間帯だったため、予定よりかなり時間がかかった。
「あ、あそこ誰かいるな」
「紺野さんかな」
 窓にへばりつくように外を眺める春平と弘貴の視線の先には、ヘッドライトを点灯したままの車が一台。その側では精霊に囲まれた慌てふためく三人の男たちと、正面の建物の前に車がもう一台。二階の窓にぼんやりとした明かりが確認でき、人影が建物へと駆けて行った。
「多分ね。左近が精霊に頼んで彼らの足止めをしたんだと思う。三人か……紺野さんの援護に二人割きたいところだけど……」
「突然行くと、事情を知っていると思われますね」
「そうなんだよね……」
 夏也の意見に、茂は思案顔でゆっくりと車を停めた。
「仕方ない、紺野さんには左近がついてる。僕たちはあの三人を確保しよう。でも皆、あくまでも偶然を装ってね。警察がもう動いてるから」
「了解」
 シートベルトを外しながら、春平、弘貴、夏也は緊張の面持ちで頷いた。
 ここへ来るまでに、この一件は鬼代事件とは無関係だろうと全員の意見が一致していた。根拠は、途中にあった集落だ。宗一郎は左近を先行させたと言っていたから、鬼代事件関連なら間違いなく戦闘になっている。にもかかわらず、静かだったのだ。しかし断定はできない。実際に現場を確認してから判断しようということになったのだが、案の定、戦闘どころかその痕跡すらない。つまり、近藤の個人的なトラブルだ。
 さらに、宗一郎からは聞いていないが、紺野へ連絡をしたのが科捜研の人なら、警察がすでに動いてる。ここへ呼ばなければならない。男たちに、紺野と知り合いのようだったと証言されると面倒だ。
 努めて平静に、けれどどこか不思議そうな顔で運転席と助手席から茂と夏也が降り、運転席側の後部座席からは、緊張した顔の春平と弘貴が続けて降りる。とたん、精霊たちが蜘蛛の子を散らすように飛び去った。
「行こう」
 囁いた茂を先頭に、春平たち三人が続く。小さな橋を渡っていると、建物の中から、金属が激しくぶつかる音が響いてきた。男たちは唖然とし、こちらに気付いていない。
「あの、どうかされたんですか?」
 茂がおずおずと声をかけた。ゆっくりと、緊張した風を装って近付く。腕にタトゥーを入れた男が我に返り、鋭い視線を向けた。春平たちがぴたりと足を止める。紺野の物とおぼしき車の近く。
「ああ? 何だ、お前ら」
 タトゥー男が一歩踏み出すと、地面に尻もちをついていた長髪男が縋るように手首を掴んだ。
「お、おい、もういいじゃねぇか。こんなところさっさとずらかろうぜ」
「何言ってんだ。俺ら危ねぇ橋渡ったんだぞ、タダで帰れるわけねぇだろ」
「でもさっきの……っ」
「馬鹿、よく考えろ。さっきの奴は怖がる素振りがなかったし、こいつらもなんか見た感じじゃねぇだろ。なら、幻覚だ」
「え……」
「そういえば……」
 長髪男ともう一人、同じように地面に尻もちをついていた金髪男がこちらを見つめ、顔を見合わせた。
「た、確かに……」
「何だ、幻覚か。俺らヤバくね?」
 ははっと乾いた笑い声を漏らしながら腰を上げる二人に、春平は眉を寄せた。こいつら、もしかして。でも、自覚できるものなのだろうか。
 タトゥー男がこちらに向き直り、にやりと口角を上げた。
「ちょうどいい。こいつら人質にして、さっきの奴ボコって逃げる。あれ絶対警察だ。あいつじゃ敵わねぇだろうけど、さすがに殺さねぇだろうからな」
「さっきの奴」は紺野のことで、「あいつ」は主犯のことだろう。つまり、春平たちを人質にして紺野の動きを封じ、主犯を連れて逃げる気だ。
「確かに」
「ジジイにガキ三人だもんな。余裕余裕」
 すっかり気を取り直したようだ。男たちがこちらを見据え、不敵な笑みを浮かべてじりっと靴底を地面に滑らせた。
 一方、弘貴は不快げに顔をしかめた。薄暗さもあって、男たちは夏也を小柄な少年だと思っている。茂をジジイ呼ばわりされ、ガキ扱いされたこともそうだろうが、好きな女性を男だと勘違いされたことが不愉快なのだろう。当の本人は一ミリも気にしていないような涼しい顔だが。
「下がってて」
 弘貴が腕で夏也を後ろへ押しやり、春平、茂、弘貴の順に間を開けて並んだ。
「お、逃げねぇのか。関心関心。でも、それは無謀っつーんだぜ? ――ガキ」
 語尾に合わせて、男たちが一斉に地面を蹴った。タトゥー男は茂、長髪男は春平、金髪男は弘貴へ襲いかかる。
 春平は、大ぶりに振られた右拳をのけ反って後退しながら避け、続けざまに襲った左拳を同じように避ける。その反応の速さに男が一瞬目を丸くし、忌々しげに目を細めた。右拳を下から上へ振り抜く。春平はその拳と長髪男を見据えたまま顎を逸らして避け、右足で男の腹を蹴り飛ばした。ごふっとくぐもった声を上げ、体を二つに折って数歩下がる。腹を押さえてげほげほと何度が咳き込み、春平を睨み上げる。
「このガキ……っ」
 確かにまだ子供と言われても仕方のない年齢だが、連呼されるとちょっと腹が立つ。春平はむっと唇を尖らせ、腰を落として構えた。
「いででででっ」
「おい春、早くしろよ」
 金髪男の悲鳴と弘貴の余裕ぶった声に長髪男が振り向き、またしても目を丸くした。弘貴は金髪男の腕を後ろへ捻り上げていて、茂はタトゥー男が放った大振りの拳を避け、みぞおちに一発拳をぶち込んだところだった。タトゥー男が目をひん剥き、呻き声を漏らしながら腹を押さえて地面に膝をつく。二人とも容赦ない。
「な、何なんだ、こいつら……!」
 長髪男が顔を引き攣らせて、じりっと一歩下がった。と、不意に、頭上から赤い光が照らした。誰もが動きを止めて周囲を見渡す。
 建物の方を向いていた春平と夏也と茂が視線を上げ、ぎょっと目を剥いた。屋根の上に人影。知らない人から見れば、人が炎に包まれているように見えるだろう。一瞬遅れて弘貴が後ろを振り向いた時には、それは光量と質量を一気に増しながら完全に形を変えており、二階の窓の前で浮いていた。体から放たれる赤い光が、ヘッドライトもろとも闇を飲み込んだ。
 見事なまでの、美しい朱雀。しかも、広げた羽が窓のほとんどを覆うほど巨大だ。左近が一度ゆるりと羽をはばたかせた。風圧で壁のトタンがギシギシと軋み、這っていた蔦が煽られて大きく揺れる。
 げ、と弘貴が口の中で呟いた。何故こんな所でと思うが、あの左近がむやみに変化するとは思えない。近藤の身に何かあったのだ。早く男たちを拘束して、救出に行かなければ。
「な、な、なん……っ」
 言葉も出ないらしい。長髪男が左近を見上げ、一歩一歩、春平の方へ下がってくる。このまま後ろから羽交い絞めにして落とそう。そう思って足を踏み込んだ時、金髪男が動いた。
 捻り上げられた右腕の痛みで顔を歪めながらも、左手を尻ポケットに突っ込む。ナイフか。
「ひろ……っ」
 弘貴危ない、と忠告しかけた春平より早く、夏也が動いた。
「油断は禁物だと――」
 茂とタトゥー男の横をすり抜けて弘貴のところまで駆け寄り、
「言ったはずです」
 注意しながら、取り出した何かを右肩越しに弘貴へ向けようとした金髪男の手を見事に蹴り上げた。
「ぎゃっ!」
 金髪男が悲鳴を上げ、持っていた何かが高く宙へ飛んだ。小型の缶に見える。夏也は即座に紺野の車へ駆け寄ってルーフに飛び乗ると、缶目がけて飛び上がり、腕を伸ばした。
 ほんの数秒だった。朱雀に加えて夏也の素早い動き。理解が追いつかないのだろう。男たちは、唖然と彼女の動きを目で追っていた。
 左近がすうっと滑るように上昇し、建物の裏へ飛び去った。赤い光が引くように消え、辺りに闇が戻ってくる。
 色が戻ったヘッドライトの明かりの中、空中で缶を掴んだ夏也が叫んだ。
「一か所に!」
 春平たちが瞬時に反応した。春平は、背中を向けていた長髪男に駆け寄り、脇腹目がけて勢いよく足を横に振り抜いた。そして、茂は膝をついていたタトゥー男の頭を押さえつけて完全に伏せさせ、弘貴は腕を放すや否や背中を蹴り飛ばす。
「うわっ!」
「ぐえっ!」
 長髪男と金髪男がバランスを崩してタトゥー男の上に倒れ込み、春平たちは一斉に距離を取った。とたん、夏也が着地しながら缶を男たちへ向け、腕で鼻と口を覆いブシュッと音をさせて噴射した。
「ぎゃあッ!」
 男たちが反射的に顔を逸らして悲鳴を上げる。同時に、ドオンッ! と何か重い物を叩き落としたような音が、建物の中から響いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み