第13話

文字数 3,620文字

 その時、
「ほら早くしろ」
 入口から、少年が四人の男に引き摺られるようにして入ってきた。逃げられなかったか。
「やっとか遅ぇ、ってどうしたそれ」
 良親が呆れた声で苦言を呈し、不意に硬い声で尋ねた。
「ガキにやられたんすよ。何なんすかこいつ」
「四人ともか」
「そうっす。ったく、痛ぇのなんのって」
「クソガキがっ」
 忌々しげにぼやいて少年を放り出す男たちを眺めながら、良親が怪訝そうに眉をひそめた。
 横に倒れ込むように転がった少年が、冬馬を見て目を瞠った。声にならない声を漏らし、もがくように体を起こして両膝立ちで近寄った。
「悪いな、逃がして、やれなくて……」
 かろうじて視線を上げ、痛む喉から掠れた声を絞り出す。少年は悲しげに目を細めて、きつくつぶった。そして鋭く視線を上げ、良親を睨み付けた。
 その視線を受け、良親がうんざりとした息を吐いた。
「どうしてこう、顔が綺麗な奴ってのは揃いも揃って気が強ぇんだろうなぁ。なぁ? 冬馬。樹もそうだったよな。今も同じだったか?」
 何故か少年が驚いた風に目を剥いて、冬馬を振り返った。
 三年前のあの日から、樹がアヴァロンに来たのはあの日だけだ。良親は会ってない。情報元は智也と圭介か。
「お前、あいつ誘ったんだろ? 三年前は散々渋ったくせにさ」
 バツが悪そうに視線を逸らした冬馬に、良親は低く喉を鳴らして笑った。
「それにしても、ほんとに来るとは思わなかったわ。絶対店に行くって断言した奴がいてさぁ、まさかとは思ってたけど」
 冬馬は目を見開いて視線を投げた。
 樹は「何となく」と言っていた。あれは嘘ではない。噂に食い付いてきたにもかかわらず、内容は知らないようだった。つまり、何か気になるようなことを誰からか吹き込まれたのだろう。しかもそうなると断言した奴がいて、良親は知っていた。吹き込んだ奴と断言した奴が誰か気になるが、それ以上に。
「やっぱり、お前か……っ」
 声を絞り出すと、冬馬は激しく咳き込んだ。少年が心配そうに顔を覗き込み、喋るなと言うように首を振った。
 あの噂を流せる者は、限られていた。自分と樹、智也と圭介、そして良親。噂を耳にした時、真っ先に疑ったのは良親だった。けれど良親は、きょとんとした顔で「何だその噂」と言った。元より信用や信頼など存在しない関係ではあるが、そもそも、あんな噂を流しても良親には何の得にもならない。むしろ、自分たちにとって蒸し返したくない過去のはずだ。となると、情報の出所は樹本人しか思い当たらない。
 しかし、樹の反応はどう見ても違った。ならばどこから、と不可解に思っていたが。
「そ。演技上手かったろ? つーか、厳密に言うと俺じゃなくてこいつらに流させたんだけどな」
 そう言って、良親は親指立てて後ろの男たちに向けた。
「智也、圭介、お前ら噂の出所調べたろ。途中で分かんなくならなかったか?」
「え、ああ、まあ……」
「はい……」
 隣で控える二人に尋ねると、智也と圭介は戸惑いながら頷いた。
「そりゃそうだろうな。何人か仲間紛れ込ませて曖昧な証言させたんだから。出所に辿り着いても、そもそもがこいつらだ。俺だとは言わねぇよ。アヴァロンは一見の客も多いからな、簡単だったぜ? さすがのお前も一見の顔まで覚えてねぇだろ」
 俺俺、と仲間の男たちの何人かが小学生のように手を上げ、智也と圭介が思い出したように目を見開いた。
 やっと腑に落ちた。噂の出所が良親の仲間なら、当然良親の存在は隠す。分からないはずだ。けれど謎はまだある。
「何が、目的だ……」
 樹がアヴァロンに来ると断言した奴がいる。つまりそいつの目的は樹だ。どんな繋がりがあるというのか。
「あー、それな。実は俺も知らねぇんだわ。ただ、そいつが樹のこと探しててよ。協力したら報酬出すっつーから、三年前のこととか、色々話してやったんだよ。死んでるかもしんねぇぞっつったんだけど、生きてるって言うからさぁ。何で言い切れんのか聞いたんだけど、風の噂で聞いたとしか言わねぇんだよ。俺らとしても気になるだろ。だから協力してやったんだ。ただ噂は流したけど、どうやって樹の耳に入ったのか知らねぇし、そいつが何で樹のこと探してんのかも知らねぇんだ。悪いけど。しかも今日来るっつって来てねぇし。何なんだ、あいつ」
 改めて確認するように周囲を見渡して、舌打ちをかます。要するに、この事件の本当の首謀者のことを何も知らずに協力しているのだ。おそらく計画のほとんどは首謀者が立てたのだろう。長期的で手の込んだ企てを立てるのは、行き当たりばったりの良親には無理だ。
「ま、こっちとしては金が手に入れば何でもよかったんだよ。けど、なんか? 他の奴に頼まれて、攫って欲しい奴がいるからそっちも手伝えって言われてさ。報酬はお前に言った通り五百。殺せば倍額。いい仕事だろ、ガキ一人に一千万だぜ? ついでだから俺も便乗させてもらったわけ。一人殺すのも二人殺すのも一緒だと思ってさ」
 だろ? と同意を求めてにっこり笑った。冬馬は奥歯を噛み締め、今度は声に出して吐き捨てた。
「クズが……ッ」
 要するに、こういうことだ。
 樹を探しているという首謀者が、良親を金で雇いアヴァロンに噂を流した。そこへ第三者から首謀者へ少年誘拐の依頼が来て、良親たちに協力させた。さらに良親は、冬馬を排除するために便乗した。ということになる。
 疑問は多分に残るが、良親の狙いは明確だ。
 金と冬馬の殺害。
 不意に遠くの方で雷が鳴り、壁の隙間から風が吹き込む細い音が響いた。森の木々が大きく葉をざわめかせ、潜んでいた鳥たちが一斉に飛び立った。降るって言ってたか、山の天気は変わりやすいからな、と男たちの会話が聞こえた。つい今まで差し込んでいた茜色の日差しが、少しずつ遮られていく。
 ふっと、良親が憐みを含んだ笑みを浮かべた。
「なあ、冬馬。お前はさ、贅沢なんだよ。生まれながらに全部持ってるくせに、何をそんなに欲しがってんだ。他に何が欲しいんだよ。初めに手放したのは、自分だろ?」
 まるで子供に言い聞かせるような優しい声色で諭す良親に、冬馬は目を細めた。
 お前には分からない。金や力ばかりを欲するお前には。
 だが、良親の言う通りだ。初めに手放したのは自分。でも捨てられなかった、執着を。だから弱みに付け込まれた。三年前も、今も。
 すっかり薄暗くなったと思ったら突如、すぐ隣の声さえも掻き消すような大粒の雨が窓を叩いた。吹き荒ぶ強風も伴って、罅割れた窓は不快な軋んだ音を立て、今にも粉々に砕けそうだ。さらに轟いた雷鳴が空気を揺らした。
 ふと、雨音に混じって微かに不自然な音が聞こえた。大量の水を高い場所から一気に流したような、そんな音だった。
「ずるいんだよ。一度手放したもんをもう一度手に入れようなんてさ。いらねぇから手放したんだろ? だったら俺にくれよ。必要ねぇだろ、お前には」
 一歩、良親が踏み出した。
『執着心は、身を滅ぼすぜ?』
 先日の言葉が蘇る。
 そうかもしれない。けれど、お前も同じだ。
 そう答えたら、どう返してくるのだろう。また、高笑いを上げるのか、それともあの癪に障る笑みを浮かべるのだろうか。
「ああ、そうだ。何だったら選ばせてやるよ。自分が死ぬか、そのガキ殺してこっち側に来るか――選べ」
 事実上の死か、生きながらにして死ぬか。
 冬馬は一度、ゆっくりと長く息を吐き出した。床にぶつけられた部分が熱を持って、頭全体が脈打っているような感覚に陥る。と、
 ドンッ! と一発の大砲のような爆音が響き渡り、床が微かに揺れた。
 一瞬聴覚から全ての音が消え、全員が呼吸すら忘れて動きを止めた。大広間に、ばらばらと豆粒が当たるような雨音と、徐々に止む葉音だけが届く。
 しばらく、全員が固唾を飲んで身動き一つしなかった。
 やがて、反射的に体を竦めた男たちが、呆然としたままゆっくりと互いの顔を見合わせた。いくつもの細い夕焼け色の日差しが窓から差し込んだ。
「び……っくりしたぁ」
「ヤベぇな今の」
「結構近くに落ちたんじゃねぇ?」
 安堵の息とざわめきが起こる。良親が我に返ったように瞬きをし、息を吐いた。
「今のはさすがにビビったわ。すげぇな、こんな近くで聞いたの初めてだわ」
 おどけるように肩を竦め、また一歩踏み出した。
 と、今度は甲高い硬質な音が一度響き、正面の巨大な窓ガラスが豪快に砕け散った。男たちが悲鳴に似た驚きの声を上げ、身構えて振り向いた。
 そして、
「陽ッ!」
「陽様ッ!」
 着物姿の男女が一人ずつ、血相を変えて同時に飛び込んできた。
 陽っていうのか、思ったより早かったな、と消えかけの意識の中で呟き、冬馬は手からゆっくりと力を抜いて、目を閉じた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み