第11話

文字数 2,549文字

「やめぬか、退け!」
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 千代の鋭い叫び声と、尚の力強い声が重なった。とたん、まるで爆発したように、ゴッ! と鈍い音を立てて渦から爆風が吹いた。風速にしてどのくらいだろう。結界に砂混じりの暴風が激突したと思ったら、表面を一瞬で滑り左へ流れてゆく。
 結界の外では、襲いかかった全ての触手が同じ方向へ吹き飛ばされ、高く舞い上がった。積み上げていた土嚢袋が滑り落ち、スコップが鈍い鉄の音を立てて転がり、消火器が将棋倒しに倒れてぶつかり、ロープが蛇のようにうねって軽々と風に乗る。目の前にある物体が、全て同じ方向へ流れてゆく。
 触手が絡め取られたせいで、悪鬼本体が体積を減らしながらどこまでも触手を伸ばす。例えるなら、釣りだ。針にかかり逃げようとする魚と、リールを必死に巻こうとする人間。だがそこは悪鬼だ。早々に触手と分離し、顔を庇った千代と共に後退しながら高く高く上昇する。
 結界を張っていなければ、間違いなく吹っ飛ばされていた。触手と大量の砂を巻き込んだ風の渦は、大極殿をゆうに超える細長い竜巻へと変貌している。高速回転し、追いかけるように千代の方へ移動する竜巻の表面を、黒いものがいくつも走っては一瞬で消えていく。
 尚はさらに取り出した霊符を左手の指に挟むと、腰を落とし、半身の体勢で左脇に霊刀を構えた。深く息を吸い込み、
「ご機嫌で何よ、り!」
 語尾に合わせて一閃。結界を自ら切り裂いた。瞬間、ゴオッと竜巻の爆風が一気に吹き込んできて、残響と結界の霊符をあっという間に奪い去った。風圧に押されて地面を滑る足をとっさに踏ん張りながら、霊符を口元に添える。
「オン・マカヤシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク・ハラベイサヤ・ウン――」
 自立し光を放つ霊符を、あえて手から離した。身を任せるように、吹き荒れる爆風に乗る。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。邪気捩伏(じゃきれいふく)碍魂誅戮(がいこんちゅうりく)――」
 迫る竜巻から距離を取りながら、千代が着物の袖や裾を煽られながら苦々しく顔を歪めた。とたん、悪鬼本体の一部が形を変えた。柄の長い巨大な鉈に似ている。飲み込まれた悪鬼を回収するために、竜巻を叩き切って術を無効にするつもりだ。
「行け」
無窮覆滅(むきゅうふくめつ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 竜巻に飲まれた霊符がまばゆい光を放ったのと、千代が大きく腕を振ったのが同時だった。鉈の形をした悪鬼は柄を伸ばしながら空を切る。
 巻き上げられる砂と爆風、霊符がカッと放った強烈な黄金色の光で、まともに目を開けていられなかった。
 腕で庇っているにも関わらず、光は瞼を通して眼球を刺激する。生身の千代はもちろん、この強烈な光では悪鬼も身動きできまい。
 うっすらと片目を開けて、ちょっとやりすぎたかしら、と頭の隅で考えている間に、風と光は徐々に収まってゆく。
 やがて弱まった風に、尚は息を吐き出しながら顔を上げた。竜巻は跡形もなく消え去っている。土嚢袋は崩れ、スコップや消火器はずいぶん遠くへ転がっている。まさに嵐が去ったあとの惨状だが、明と宗一郎は何ごともなかったかのように祈祷を続けていて、結界も無事だ。
 一つ息をつき頭上を見上げると、大極門のはるか上。どうやら触手は調伏できたようだ。警戒したのか、ドーナツ状に広がっていた悪鬼が一つの塊に形を変えていた。多少縮んだように見えるその悪鬼の塊の前に、黒い球体が浮かんでいる。中心から縦に割れ、左右に開く。羽の代わりにした悪鬼で光を遮断したか。術の効果は届かなかっただろうが、念のため。あるいは、あれだけ眩しければそうしたくもなるだろう。
「あんな使い方もできるのね。便利ねぇ」
 砂や埃くらいなら飲み込んでしまうだろうし、光も遮断できるようだ。とはいえ、高質化できるわけではないだろうから、霊刀や術は防御できない。何も問題はない。
 開いた羽根型の悪鬼の隙間から姿を見せた千代が、本体を従えてゆっくりと高度を下げた。こちらを見据えていた深紅の目が、祈祷を続ける明と宗一郎をちらりと一瞥する。大極門と同じ高さまで下り、ぴたりと止まった。
 先程までの攻防が嘘のように、静寂が落ちる。
 赤い唇が問うた。
「貴様、風の属性か」
「さあ? どうかしら」
 風属性は風神と相性が良く、風天を得意とする。ただし、その気まぐれで気ままな性格から安定性は非常に悪く、扱いにくいとされている。文献によると風属性の術者は稀で、しかも「比較的」行使しやすいときた。それ以外の者となると完全に運任せ、風神の気分次第。あの宗一郎や栄晴でさえ、まともに発動したことがないとぼやいていたほどだ。
 発動しなければ尖鋭の術で叩くつもりでいたが、どうやら今日はご機嫌らしい。属性を隠すなら、使える術は多い方がいい。その上で霊力をある程度揃えれば撹乱できる。助かった。
 うっすらと笑みを浮かべる尚に、千代が一度瞬きをした。
「まあよい。発動を阻止すればよいだけのこと」
 尚は不快げに眉をひそめた。正直、明から預かった霊符を使えば一番楽で手っ取り早い。だが、切り札は最後まで隠しておくからこそ切り札なのだ。明もそのつもりで渡したのだろう。とはいえ、まだまだ悪鬼の数は多い。
 広場全体に結界を張り、まとめて調伏してしまえれば早いのだが、張り終えるまでのんきに待ってくれるとは思えない。それに、おそらくここからは本格的に明と宗一郎を狙うつもりだ。さっきまでの一戦は、こちらの実力を測るため。その上であの発言。
「ずいぶん強気だこと」
 尚は低く呟き、霊刀を構えた。
「ノウマク・サマンダ・バダナン・バロダヤ・ソワカ」
 口の中で真言を唱え、霊刀に渦を巻いた水を顕現させる。
「行け」
 千代の号令で、悪鬼が触手を伸ばしながら襲いかかってきた。同時に、尚は後方へ下がりながら霊刀を一閃。間髪置かずに霊符を取り出し勢いよくしゃがみ込む。そして地面に叩き付けると、霊刀を消した。
「オン・ビリチエイ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る。尖鋭鋼土(せんえいこうど)――」
 広範囲に飛び散り、水塊と激突した触手の間をぬって触手が襲いかかる。霊符が光を放った。
堅忍不撓(けんにんふとう)穢澱貫滅(あいでんかんめつ)――」
 ゴゴゴと大地が小刻みに揺れ、
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 呼応し、地面から無数の土の針が凄まじい勢いで伸びた。ほぼ同時に、尚の目の前で触手が大きな火花を上げて弾き返された。
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