第2話

文字数 4,789文字

「なるほど、そういうからくりか。客が多い店だからこその盲点を突かれたな」
「そりゃ、出所なんて分かりませんよねぇ」
 樹に関する噂の出所について、呆れたような納得したような声で、紺野と北原が息をついた。
「あの良親(よしちか)って奴は、俺らや平良(たいら)の正体を知らずに協力してたのか?」
 晴の質問に、陽が頷いた。
「そのようです。報酬が手に入ればいいと。それともう一つ――」
 陽は一旦言葉を切り、少々言い辛そうに口を開いた。
 良親が冬馬へ吐き出した恨み事の内容はあまりにも抽象的で、理解できなかった。冬馬と良親の間だけで通じる会話、そんな印象を受けた。
「一人殺すも二人殺すも同じだと言っていました。冬馬さんも、狙われていたようです」
 全員が言葉を失った。
 何が同じなのか理解できない。普通の感覚ならば、人を殺す行為そのものが躊躇し恐怖するものなのに。何が彼をそんな風にしてしまったのだろう。冬馬のあの傷は、陽を逃がそうとして制裁を加えられただけのものではなかったのだ。彼らの関係を詳しく知っているわけではないが、それでも交流があったのは確かだ。樹が冬馬を慕っていたことや、腹の傷のことを知る程度には。大河は少し寂しそうに眉をひそめた。
 足音だけが響く中、しばらくして紺野がぽつりと呟いた。
「あいつ、巻き込まれただけじゃなかったのか……」
 冬馬と良親の間にどんな確執があったのか、樹はそれを知っているのか。相槌一つ打たずに陽の話を聞く樹は、何を考えているのだろう。
「では、樹さん。お願いします」
「うん」
 樹は一つ頷き、前置きとして下平と冬馬との出会い、そして三年前の出来事を簡単に説明した。
 以前、茂が言っていた。寮に入った頃、樹はすでに強かったと。智也と圭介と揉めた時から腕は立っていたらしく、しかしそれ以前のことについては結局触れられなかった。
 三年前のことについては、「皆察してると思うけど」と前置きをして語った。何となく、そうだろうなと思っていた。樹が提示した場所は二つ。廃ホテルとアミューズメント跡地。良親は「あんな場所で」と言った。つまりここではない。となると、樹が瀕死の状態で置き去りにされたのは、アミューズメント跡地だろうと。
 そしてあの近辺には、宗一郎が結界を張った供養塔があると宗史が言っていた。おそらく、その時に保護されたのだろう。そうでないと、今生きていない。
 さらにもう一つ腑に落ちたことがある。宗史と晴は、樹が保護された時の状況を知っていてもおかしくない立場にいる。ここに来て下平も樹の知り合いだと分かった時、宗史が呟いた「三年前」という言葉。二人は樹が二つの場所を提示した時、すでに気が付いていたのだ。一連の事件が、三年前と関係していることを。
 となると、宗一郎はもちろん、(あきら)も報告を受けているだろう。宗史と晴同様、三年前が関係していると気付いている。二人がどこまで把握し、推測しているのかは分からないが、だからあの時、すんなりと樹の意見を受け入れたのだ。
 そして、話は今回の事件の全貌へと移った。
 一連の事件の発端は、平良の樹への執着だ。
 彼の証言を信じるのなら、喧嘩をするために樹を探し、今回の事件は樹と接触するために仕組んだことになる。改めて聞きながら、平良のあの目を思い出した。樹の冷ややかな目を見た時も鳥肌が立ったが、あれとは違う。開き切った瞳孔に宿る鈍い光は酷く冷たく、しかし目の奥は真っ黒で底の見えない穴を覗いているようだった。悪鬼の中の暗闇に似ていた。
 さらに、少年襲撃事件からアヴァロンというクラブに流れていた樹の噂。二つの件を鬼代事件と繋げるその方法を聞いて、愕然とした。
 陽の情報は昨日の庭での会話からではないと知っていただけに、衝撃も大きかった。たまたま哨戒中に襲撃事件と遭遇し、たまたま下京署管内で、たまたま被害者が未成年で、たまたま下平と再会して自分の噂を聞いた。そんなに都合よくいくつも偶然が重なるなど、有り得ない。
 皆の安全のために、内通者がいる可能性を受け入れた。けれど、皆と一緒に生活をしていく中で、いるはずがない、信じたくないという気持ちの方が大きくなっていった。
 樹の説明を聞きながら、誰も矛盾や他の方法を指摘する者はいなかった。宗史や晴、情報を持っているはずの紺野と北原でさえも。それはつまり、樹の話が間違っていないということ。引いては、内通者の存在が決定的だという証拠だ。
 信じたくない。けれど、受け入れなくてはならない。これが現実だと言うかのように、悪鬼に付けられた傷が痛んだ。
 同時に、ある違和感を覚えた。
 また、ここまで推理していたということは、樹は内通者がいることに誰よりも早く気付いていたことになる。けれど皆に対する態度はいつもと変わらなかった。様子がおかしかったのは三年前のこともあるのだろうが、内通者のことも一人で抱えていたのだ。どれだけ辛かっただろう。
 大河は、きつく拳を握り締めた。
「報告をしなかったのは、何故でしょう?」
 一階に到着し、がらんとしたただの空洞と化したロビーを突っ切り、正面玄関をくぐったところで、宗史が尋ねた。
 エントランス周辺は障壁の残骸が小山を作り、正面玄関の方へ流れ込んでスロープ状になっていた。逃げた男たちの足跡がそこここに残っている。踏むと少し沈むスロープを慎重に進みながら、樹は答えた。
「僕は、良親さんが下平さんのことを知ってるって、知らなかったんだよ」
 と。
「冬馬さんからは、系列店のホストクラブの店長としか聞いてないんだ。二人が一緒にいるところを見たことがなかったし、話題にも出なかった。多分良親さんは冬馬さんから聞いてたんだと思う。それに時々アヴァロンに来てたから、知ってる可能性はあった。けど可能性はあくまでも可能性で、確証がない。もし知らなかったら、良親さんが関わってる可能性はゼロになる。噂を流したのが僕じゃないって知った時の反応と、僕を仕事に誘ったことから考えて、冬馬さんたちの可能性も薄いと思ってた。だったら、一体誰が三年前のことを知って噂を流したのか、さすがに見当が付かなかった」
 エントランスを抜けると、離れた場所に一台の車が放置されていた。土埃で汚れ、土の塊が乗っている。男たちの車だろう。樹は車を素通りしながら、でも、と続けた。
「僕が知る限りの人物像と状況から推理するなら、良親さんが一番怪しかった。だから下平さんのことを知っている前提で考えたんだ。それでもやっぱり分からないことが多かった。報酬が五百万なんて胡散臭い仕事を、冬馬さんたちが受けるなんて考えにくい。そもそも、あの人がお金に釣られるとか有り得ないから。だとしたら仕事も繋がってると考えた方が自然。でも、良親さんが絡んでて僕がアヴァロンに行くって知ってたなら、冬馬さんたちに口止めくらいするはずなんだ。あの時点ですでに人質を取ってただろうし、いくらでも脅せるのに僕を誘ってきた。口止めしてない証拠だよね。何でだろうって思ってた」
 仕事の内容が何であれ、全てが鬼代事件と繋がっているのなら、樹に知られないように手を打つだろう。そうしないと計画は破綻する。口止めしなかったのは、陽と樹が繋がっていると知らなかったからだ。
 到着した時にずらりと並んでいた車がなくなり、すっかり広くなった道を進む。
「だから、両方に良親さんが絡んでるとしても、事件と仕事は別なのかとも思った。あるいは――本当に冬馬さんが仕事を受けたのか。でもそうなると、僕をアヴァロンにおびき寄せた理由が分からない。襲うならアヴァロンに行った時にしてるだろうし、内通者がいて僕の居場所も生きてることも知ってるのに、こんなことをして何の意味があるのかと思ったんだ。どの角度から推理しても、何も判然としなかった。そもそも、良親さんが下平さんのことを知らなかったら、推理は全部無駄だしね。襲撃事件と繋がるけど、あまりにもあからさま過ぎるし、さすがに混乱したよ」
 そう言って樹は足を止めた。紺野と北原が乗ってきた警察車両の横だ。倣うように全員が立ち止まる。
「今の状況で、確証もないのに報告するのはどうかなと思ったんだ。無駄に警戒心を煽るのもね。緊張感って、長く続くと疲弊するから」
 樹は溜め息をつき、助手席の扉に背中を預けた。
「関係性が分からないと言ったのは、下平さんと良親さんのことですか」
 樹と正対した宗史が尋ねた。
「そう。そこが一番ネックだった。だから、仕事の内容もそうだけど、もう一度アヴァロンに行くか迷ってた時に、この事件が起こった。考えてる場合じゃないから、下平さんに電話して冬馬さんの連絡先を聞いたんだけど、あの人知らなかったんだよね。内容を聞けばよかったって後悔した。もっと早く動くべきだったよ」
 鬼代事件の最中で不可解な噂を聞けば警戒するのは当然だし、樹たちがアヴァロンに行ったのはつい二日前だ。三年前のことがあるのだから、躊躇うのも当たり前なのに。自嘲気味に笑う樹を見ながら、大河は眉尻を下げた。
「あの時の携帯はそれですか」
「うん。説明してる暇なかったから。ごめんね、紛らわしいことして」
 確かに、下平とどういう関係で何を聞いたのか説明すると、当然冬馬たちへと繋がる。あの状況で長々と説明している暇はなかった。内通者のことも考慮すると、あの判断は正しい。
 宗史は一瞬何か言いたげに口を開いたが、出てきたのは深い溜め息だった。
「分かりました。報告しておきます」
「うん」
 それで、と続けようとした樹がふと視線を止めた。辿ると、志季がどこか不満気な表情で樹をじっと見据えていた。全員の視線が集まる。話の内容で、何か気になることでもあったのだろうか。
「志季、何?」
 樹が首を傾げて問うと、志季は拗ねたような声色で言った。
「お前さぁ、もっと俺らのこと頼れば?」
 さらりと出てきた言葉に、柴と紫苑以外の全員が目をしばたいた。
「そりゃあ色々事情とか理由があるのは分かるけど、でもお前が言ったんだぜ? 仲間に手ぇ出したって」
 良親へ向けた言った言葉だ。
「俺らのこと仲間だと思ってんなら、もっと頼ってくれてもいいだろ。今は内通者の件もあるから、せめてこいつらくらいはさ。大河は頼りにならねぇけど信用はできるし、俺らは頼りになるぜ?」
 いいこと言うなぁと思って感心していたら、余計な評価が入った。信用できると言われたのは嬉しいが。
「志季今の何!?」
 大河が丸かった目をさらにひん剥いて噛み付いた。
「何って、何がだよ」
「頼りにならないのは認めるけどはっきり言われると傷付くからやめてもらっていいかな!?」
「じゃあ言われないように強くなれよ」
 速攻で反論され、ふぐ、とおかしな声を漏らして言葉を詰まらせる。
 そうだけど簡単に強くなれたら誰も苦労しないじゃん、と膨れ面でぶつぶつぼやく大河に、すまん素直な式神で、と晴が追い打ちをかけた。即座に宗史の平手が後頭部に命中する。椿と陽、怜司と北原が小さく笑い声を漏らし、紺野が呆れ顔で笑みを浮かべ、柴と紫苑は無言のままそれを眺めている。
 樹がふと頬を緩めた。
「とにかく」
 志季が気を取り直すように声を張った。大河たちが口を閉じ、樹を見やる。
「次になんかあった時は、ちゃんと言えよ?」
 怒ったような、ふてくされたような顔でそう言った志季を見上げた樹は、ゆっくり視線を巡らせたあと、わずかに目を細め、瞬きをしながら俯いた。
「うん、そうする……ありがと」
 長い前髪で隠れてしまって表情は見えなかったが、声は微かに震えていた。
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