第8話

文字数 2,455文字

 宗史との通話を終え、樹は携帯のスピーカーを解除した。
近藤千早(こんどうちはや)か」
「科捜研の人間ならいくらでも鑑定結果を偽装できるし、捜査情報も手に入れようと思ったら手に入るかもね」
 携帯をポケットに突っ込み、樹は疲れた様子でだらしなく背をもたれた。
「実際、少女誘拐殺人事件の捜査情報を流してるわけだしな」
「鬼代事件の情報も紺野さんたちから引き出せる」
「どう考えても怪しく思えるが、怪し過ぎるな」
「うん。でも、今回の件があるから一概に否定はできないよね」
「やっぱり故意ってことか」
「そう。けど、早過ぎるとも思う。鑑定結果を偽装するにしても捜査の進捗を探るにしても、事件はまだ続いてるんだし、あのタイミングで自分に疑いを向けるのは得策じゃないでしょ」
「まあな。紺野さんたちは気付いてないのか?」
「どうだろうね。警察は身内には甘いって言うし」
 共に乱闘を切り抜けたにも関わらず辛辣だ。
「まあ、今ある情報からじゃこれ以上の推測は無理だね」
 それにしても、と樹は眉をしかめた。
「犬神を阻止するとか、やっぱり昴くんの身内だからかな?」
「だろうな。瘴気をもろに浴びてただろ。北原さんは大丈夫そうだったが」
「あれ、ちょっとまずいんじゃない? 事件と関わってるならこれからも同じことがないとは限らないでしょ」
「だったらお前が護符を描いて渡してやればいい」
「何で僕がタダでそんなことしなきゃいけないの」
「金取る気かお前は」
「プロだよ、仕事だもん」
 呆れた風に責めると、樹は拗ねたようにふいと車窓へ顔を背けた。
 心配するわりには、まだ完全に彼らを仲間だと認めたわけではないらしい。どこまで天の邪鬼なのかと思わなくもないが、慎重にもなるだろう。あんなことがあれば。
 寮に入ってからずっと警戒されていたのに、突然懐かれた理由がやっと分かった。自分を装うことをやめたからだ。時期もちょうど一致する。樹は、本心を隠した人間が怖かったのだ。いつまた、裏切られるかと。ましてやそれが生活を共にする相手となればなおさら。だからもれなく野良猫のように警戒し、だが草薙に真正面から噛みついた大河だけは警戒しなかった。
 それと、下京署で見せた怯えた顔。あれは以前、冬馬を傷付けたからだ。良親は、冬馬を襲った相手を樹が殺そうとしたと言っていた。おそらく、止めに入った冬馬を振りほどいた際に傷付けてしまったのだろう。
 あんな些細なことで思い出して怯えた顔をするほど、樹は冬馬を慕っていた。そして、躊躇いなく別れの言葉を告げられるほど、守りたい人物なのだ。
「怜司くん」
 顔を車窓へ向けたまま呼んだ樹をちらりと見やる。
「何だ」
「怜司くんはさぁ、あれ、嘘だと思ってた?」
 怜司は眉を寄せて逡巡した。
「あれって、さっきの寸止めの話か?」
「うん」
「いや? お前が嘘を言わないのは分かってたからな」
 樹はゆっくりと足を組み、しばらくして、そう、と小さく呟いた。
「……ありがと……助けてくれて」
 礼を言うなら顔を見て言え、と言いたいところだがそこは樹だ。
「一つ貸しだ」
 ははっ、と樹は肩を震わせて笑った。
「でっかい貸りができちゃったなぁ」
「言っとくが、大河もだからな」
 樹が不満満載の顔で振り向いた。
「えー、だってあれ苦しかったでしょ。押し潰されるかと思った。プラマイゼロだよ」
「あいつが地天の霊符を持っていなかったら死んでたぞ」
「だったら描いて渡した宗史くんに貸りだね。さすが、いい判断」
「お前な……」
 どうしても弟子である大河に貸りを作りたくないらしい。屁理屈の上手さと口の達者さは樹の方が上だ。ここで言い争うほどの元気も残っていない。怜司は溜め息をつくことで収めた。
「せめて礼くらい言ってやれ」
 樹はまたふいと顔を車窓へ向けた。
「んー……気が向いたらね」
 どこまで意固地なのか。大河が樹に礼を言われる日は遠そうだ。
「あのさぁ」
「今度は何だ」
「この際だから聞いてもいい?」
 相手の了承を得るなんて珍しい。何事か。怜司は怪訝な面持ちで横目に見やると、振り向いた樹と視線が合った。至極真剣な眼差しをさらに訝しく思いつつ、すぐに前を向き直る。
「……何だ?」
 先に自販機が見えた。
「怜司くん、隠してることあるでしょ」
 ここで「何故そう思う」などと聞くのは肯定と同義だ。樹が何をもってそう感じたのかは分からないが、二年も相棒をしていれば分かる。この声色は、すでに確信済みだ。
「ああ、ある」
 自分の声が妙に車内に響いた。肯定したにも関わらず、樹はじっと見据えたまま視線を外そうとしない。
 怜司はウインカーを点滅させ、ゆっくりと路肩に寄せた。続けてハザードを点滅させて自動販売機の前で停車する。すぐ後ろに大河たちが乗った車が追い付いた。
 怜司はブレーキをかけ、真っ直ぐ樹を見返した。
「今はまだ話せない。ただ、お前たちを裏切るようなことじゃない。断言する」
 初めて会った時もそうだった。不躾なほどこちらをじっと見据えてきた。全てを見透かされそうで、この目が苦手だった。けれど今は見透かされて困ることも、ましてや疾しいことなど一つもない。
 まるで睨み合うように互いから視線を逸らさないまま数秒が過ぎたあと、樹がふっと笑った。
「分かった」
 シートベルトを外し、ドアハンドルに手をかける。
「相棒を信じるよ」
 顔を背けたまま言って、樹はドアを開けて車を降りた。騒がしく自動販売機に集まる大河たちに混ざってあれこれと品定めする樹の横顔には、いつも通りの笑顔が浮かんでいる。
 怜司はシートベルトを外し、助手席へと体を伸ばして窓を下ろした。
「樹、お茶」
 そう催促すると、樹は恨みがましい顔で振り向いた。一つ溜め息を漏らし、しょうがないなぁとぼやきながらお茶のボタンに手を伸ばす。俺も俺もと便乗する大河と晴に苦言を呈する樹の声が、周囲に響いた。
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