第14話

文字数 3,989文字

「……大河」
「うん?」
 珍しく口ごもると、宗史は酷く神妙な面持ちで言った。
「お前に、一つ謝っておくことがある」
「俺に? 宗史さんが?」
「ああ」
「何?」
 何だろう。ますます珍しい。
「実は……」
 また言葉を切った。そんなに言いづらいことなのか。俺、宗史さんに何かやられたかなと頭の隅で考えてみるが、何も心当たりがない。
 宗史は、気を落ち着かせるように息を吸い込んだ。
「父さんに、省吾くんの連絡先を教えた」
「……は?」
 まるで想像だにしなかった内容だ。ぽかんと口を開けたまま固まって、大河はしばし思考する。そんな大河を、宗史は唇を一文字に結んで見やり、左近は憐みの眼差しを向けた。
 宗一郎に省吾の連絡先を教えたということは、つまりあの二人が直接連絡を取れるようになったということで――だから? 何も問題などない。神妙な顔で何かと思えば。
 大河は「ははっ」と笑った。
「そんなの、別に謝ることじゃないじゃん。宗一郎さん、前から省吾のこと気に入ってた、みたい、だし……」
 いや、ちょっと待て。宗一郎は間違いなく省吾を気に入っている。その宗一郎が省吾の連絡先を手に入れたということは、つまり――気付いたとたん、全身からザッと血の気が引いた。
「何てことしてくれたんだ――ッ!」
 つまり、大河の失態が省吾へ筒抜けになる可能性大だ。それだけではない。少なくとも、省吾から両親には伝わるかもしれない。
 笑顔から一転。真っ青な顔で噛み付いた大河から宗史は素早く顔を逸らし、左近は呆れ顔で溜め息をついた。朱雀が何ごとかと長い首を傾げている。
「だから、謝ってるだろう」
「ほんとに悪いと思ってる人は笑うのを我慢して肩を震わせたりしないから! それが謝ってる態度か!」
 初めからからかう気だったのだ。殊勝な演技までして、憎たらしい。
「仕方ないだろう。父さんには逆らえない」
 憎たらしいを通り越して忌々しい笑顔で反論され、ぐっと言葉が詰まる。確かに宗一郎には逆らえない。その気持ちは嫌というほど分かる。けれど。
 大河は盛大に息を吐きながら背中を丸め、顔を覆った。
「俺が省吾に怒られたら、宗史さんのせいだからね」
「怒られるようなことをしなければいいだけだろう」
 いけしゃあしゃあと、この男は。まったく反省していないではないか。顔を上げてじろりと睨んでやると、さっと視線を逸らされた。この野郎。
 ぎりぎりと歯噛みする大河に宗史はますます肩を震わせ、左近が嘆息した。
 少しずつ陽が落ち、青空が茜色に染まる中、まるで小旅行にでも来たような穏やかな時間が流れる。
「そういえばさ、天照大御神が左近のおばあちゃんって、どういうことなの?」
「ああ、それか。お前、イザナギとイザナミの黄泉の国の話は知っているか?」
「うん。えーと、死んだイザナミをイザナギが取り戻そうとしたんだよね。でも、怖くなって逃げて来たって」
「そう、それだ。順に並べると、イザナミとイザナギの子が、山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)。そのさらに子供が、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)という安産や火の女神。語弊はあるが、彼女が左近の生みの親になる」
「へぇ」
 なんだか可憐なイメージの名前なのに火の神だなんて。身近な火神からは、物騒なイメージしかない。
「で、天照大御神は、イザナギが黄泉の国から戻り禊をした際、左目を洗い流した時に化成したと言われている」
「……ふぅん……」
 イザナギは男なのにとか、禊から神が生まれる理屈がさっぱり分からないとか、そんなことを気にしてはいけない。何せ、神様なのだから。
 大河はいまいち気のない返事をして、要するに、と続けた。
「大山津見神と天照大御神は兄妹みたいなもんだから、左近から見たら天照大御神はじいちゃんの兄妹になるんだ。つまり、親戚?」
「そうなる」
「ふぅん。じゃあその、このはな……さくやひめ? て女神様、名前は可愛いのに何で火の神なの?」
「木花咲耶姫の配偶者は、天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。稲穂や農業の神だ。二人が結婚する際、木花咲耶姫の姉の磐長姫(いわながひめ)を一緒に嫁がせたんだが、容姿が醜いという理由で送り返してしまうんだ」
「うわぁ……」
「挙げ句の果てに、一晩で身籠った木花咲耶姫に対して、本当に自分の子かと疑いをかける」
「生々しすぎる……」
「そこで木花咲耶姫は産屋(うぶや)に火を放ち、そこで子供を産んだ。だから安産や火の神としての神格を持ったんだ」
「おお。女神様の方がよっぽど根性ある」
「俺もそう思うよ。そのあと、さすがに疑惑は晴れたらしいけど」
「そこまでされてまだ疑ってたら男としてどうなのって感じだけど……うん、まあ……あれだね。神様も色々と大変だね」
「そうだな」
 式神たちを見ていると分かるが、疑ったり大胆な行動に出たり、神様はなかなか人間臭いところがある。
 などと思っていると、突然、大人しく左近の肩に乗っていた朱雀が逃げるようにこちらへ飛んできた。何故か大河の頭に止まる。
「えっ、ちょっと」
 驚いて肩を竦めたが、すぐに重さが感じられないことに改めて驚く。どうなってんの、と上目づかいに見ようとして、漂う強い神気にびくりと体が震えた。そろりと出所へ視線を投げる。
「いくら父神(ちちうえ)とはいえ、私はまだ許したつもりはない」
 目を見開き、鬼の形相でぶつぶつ呟いているのは紛うことなき神様だ。神気で髪がわずかに浮いている。怖いんだけど。無言で宗史を見やると、溜め息をつかれた。
「左近からすれば、母親を侮辱されたようなものだからな」
「ああ……」
 左近が生まれる前の話で、夫婦仲は改善しているのではないか。そもそもどうやって式神が生まれるのか知らないが、複雑な家庭環境であることは確かなようだ。ここは余計な事を聞かないに限る。
 大河は怒りに震える左近を横目に、頭に止まった朱雀を腕に移動させて愛でた。
 空は茜色に染まり、気付けばあれほどうるさく鳴いていた蝉は鳴き止み、次第に辺りは闇に沈んでゆく。
「さて」
 薄暗くなってきた頃、宗史が腰を上げた。大河と左近も立ち上がり、朱雀が飛び立つ。
「行くぞ」
「了解」
 左近はその場で大きく跳ねて姿を消し、大河、宗史、朱雀は参道へと戻る。
 普段は大みそかと正月三が日にしか外灯をつけないそうだが、真っ暗になるのでと言って特別につけてくれている。おかげで余計な気を遣わなくていいが、森は奥へ行くほど闇が濃い。切り株の所まで下りたところで、背後に結界が張られた。ほのかに放たれる光でさらに周囲が見やすくなった。
 麻呂子杉を通り過ぎ、階段を下りてロープをまたぐと、宗史が足を止めた。大河も倣って立ち止まる。と、先頭を行っていた朱雀がくるりと回って引き返してきた。止まった先は、またしても大河の頭。宗史が小さく噴き出した。
「すっかり懐かれたな」
「それは嬉しいけど、何で頭かなぁ」
「止まり心地がいいんじゃないのか」
 どういう意味だろう。まあ、爪が刺さるわけでも、重いわけでもないからいいが。大河は複雑な顔で一つ息をつき、独鈷杵をポケットから引っ張り出した。緩やかに下る参道へ視線を投げる。ぽつぽつと、まるで道しるべのように灯る外灯。不意にぬるい風が吹き抜けた。昼間は涼しさと爽やかさをもたらす木々のざわめきは、この時間だと不気味さを増長させるだけだ。
 薄暗い参道が延びる前、結界の光が射す背後、深い鎮守の森が広がる左右、枝葉に覆われた頭上。言葉を交わすことなくゆっくりと、感覚を研ぎ澄ませて気配を探る。
 実際には、ほんの二、三分だっただろう。けれど体感的には十分、それ以上にも感じる長い沈黙の時間だった。
 突如、朱雀が羽を広げて大河の頭から離れた。長い飾り羽を揺らし、まるで二人を守るように頭上を旋回する。と、大河と宗史が同時に霊刀を具現化した。強烈な邪気がものすごい勢いで近付いてくる。だが人の気配がない。
 宗史が小さく舌打ちをかました。
「邪気で気配が消えている。大河、警戒しろ」
「了解」
 腰を落とし、霊刀を左脇に構えて周囲に警戒を払う。
 かなりの数の悪鬼。だが体調には異変がない。独鈷杵のお陰だ。大丈夫。これならまともに戦える。大河は霊刀の柄を強く握り締めた。
 近い、すぐそこ。上空――いや、移動した!
 二人と一体が同時に反応した。
 朱雀が参道の右側へ移動し、宗史が弾かれたように霊刀を頭上に掲げる。そして大河は、勢いよく右へ振り向きながら独鈷杵をポケットに突っ込んだ。
青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(てんたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)!」
 目の前に九字結界が形成されたのと、宗史の頭上から人が降ってきたのが同時だった。悪鬼を跳ね返して上がった盛大な火花と、ガキンッ! と激しくぶつかり合う霊刀の硬質な音が重なる。間髪置かずに、結界に弾かれて後退した悪鬼に向かって、朱雀が火を噴いた。まるで火炎放射器だ。前方にいた悪鬼がしこたま炎に飲まれ、後方が尾を引きながら分離して森の奥へと姿を隠した。
「くそっ」
 闇が深くて視認できない。ここは朱雀に任せる。大河は印を解いてすぐさま霊刀を具現化し、振り向いた。
 霊刀を具現化した霊気で位置を特定し、悪鬼から飛び降りたのだろう。宗史にのしかかるようにして霊刀を合わせているのは――平良。
 見開かれた目は爛々とし、口元には笑みが浮かんでいる。
 楽しそうな顔しやがって。大河が地面を蹴ろうとした寸前、宗史が力づくで押し返し、霊刀を薙いだ。平良は仰け反ってそれを交わし地面に着地すると、飛び跳ねるようにして後方へ下がった。
「おっと」
 階段ぎりぎりで止まり、バランスを取る。分離した悪鬼が森の中から姿を現し、平良の背後に付いた。参道に収まり切らないほど巨大で、外灯の明かりが完全に遮られている。かなりの数を燃やしたはずなのに。
 大河と宗史が霊刀を構え、朱雀が頭上で停空飛翔し、平良と悪鬼を見据えた。
 にやりと、平良の口元が歪に歪んだ。
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