第8話

文字数 2,969文字

 鳥肌が立った腕を披露する樹を見やり、宗史は大河を振り向いた。
「大河、話を戻そう。つまり、今回の仕事も未練を残した浮遊霊のようだから、変貌には気を付けろってことだ」
「あ、うん、分かった」
 目尻に浮かんだ涙を拭いながら、大河が背筋を伸ばした。
「実のところ、よほど凶悪な悪鬼でない限り、浄化の仕事の方が難しい。油断するなよ。それに、満足して成仏してもらうのが一番いいから」
 未練に対してどのくらいの思いを抱いているか、他人には計り切れない。依頼書に書かれている現象や霊障から、対象者の思いを汲み取り臨機応変に対応するしか術はない。その点で言うと、大河は向いているかもしれない。
 大河は顔を引き締めて頷いた。
「後は報告書の書き方か。パソコンはさすがに持ってきてないよな」
「それはさすがに」
「じゃあ、共有のパソコンを使え」
 宗史は立ち上がりかけて止まった。大河をじっと見て、ふっと笑う。全身汗まみれで砂まみれな様は、庭で大はしゃぎした犬に見える。このまま部屋を動き回ると華から苦情が来るだろう。
「お前、それで部屋に上がれないな。どうせまた訓練して汚れるし……どうする?」
「あ、じゃあ弘貴たちが帰って来てからは? 交代で」
「そうだな、そうしようか」
 報告書の書き方と言っても、哨戒用と仕事用、日々の報告用と分かれているだけで書式は決まっているし、指示された欄に書き込むだけだ。さすがに難しいことではないだろう。ただ、大河の文章力と表現力がいかほどか、気になるところではある。
「あ、そうだ。華さん、僕の分のプリンはー?」
 覚えていたか。樹は勢いよく立ち上がり、足取りも軽くキッチンに向かった。
「まったくあいつは。子供か」
 怜司が溜め息と共に毒を吐いた。気苦労は申し訳ないと思うが、奔放な樹は怜司以外の者ではもてあますだろう。遠慮なく切り返し指摘する怜司だからこそだ。
 怜司は、さて、と昴と香苗に視線を投げた。
「二人とも、訓練はどうする?」
「あ、怜司さん。霊刀の手合わせお願いしてもいいですか?」
「ああ、いいぞ」
 昴の申し出に二人がさっそく腰を上げると、夏也が戻ってきた。
「香苗ちゃん、お待たせしました。続きをしましょう」
「はい、お願いします」
 左が少し弱いので集中的にやってみましょうか、分かりました、と打ち合わせながら庭へ出ていく二人を見送る。ではこちらも、と思ったが宗一郎への連絡を忘れていたことを思い出した。樹の様子と仕事の了解の報告をしておかねばならない。それと、華のことも。
「晴、大河を任せていいか? 真言のあの癖、見てやってくれ」
「おお。んじゃ大河、やるか」
「うん!」
 喜び勇んで庭へ下りる大河と、伸びをして首を鳴らす晴を見送り、宗史は携帯を取り出した。
「宗一郎さんに報告?」
 アプリを開いた時、プリンを片手に樹が隣に腰を下ろした。
「ええ。仕事の了解を」
 ふーん、とさして興味なさそうに相槌を打ち、樹はプリンを口に運んだ。晴から指導を受ける大河をじっと見つめる横顔を一瞥して、宗史は携帯に視線を落とした。
「そう言えばさ」
 不意に口を開いた樹に手を止めて振り向く。
「僕と宗史くんが会ったのって、ちょうど君と大河くんの年だったよね」
 思いもよらない話題だ。何故、今そんなことを思い出したのだろう。
「そうでしたね」
 最後の一口をスプーンですくいながら、樹は溜め息をついた。
「あの頃の宗史くんと比べて、大河くんはやっぱり子供っぽいよねぇ」
 呆れたような口調ではあるが、表情はどこか自嘲気味にも見える。この話題の真意が見えない。宗史は怪訝に思いつつ、大河へと視線を投げた。
 落ち着きがないという意味では、確かに大河は少々子供っぽいかもしれない。けれど、
「俺も十分子供でしたよ」
 今思い返せば、恥ずかしいくらい子供だった。
 樹は最後の一口を飲み込んで、空の容器を床に置きながら宗史を振り向いた。
「そう? やけに大人びた可愛気のない奴だとは思ってたけど」
 初めて聞く樹の印象に、宗史は一瞬目を丸くして苦笑した。
「俺、そんな風に思われていたんですか」
「うん」
 あっさり頷かれた。晴からは常々「可愛くない」と言われ続けているが、樹からもそんな風に思われていたとは。
 そうですか、と小さく笑い声をこぼす宗史を見て、樹が口角を上げた。
「でも、最近いい感じだよ」
「え?」
「相変わらず年のわりには落ち着いてるけど、最近は肩の力が抜けてきて、いい感じ」
 きょとんと目をしばたいた宗史に、樹は満足そうに笑った。
「そう、ですか……?」
「うん」
 さてと、と樹は立ち上がり伸びをした。
「今夜の仕事を楽するためにも、大河くんのあの癖は直さないとねぇ。晴くんの指導、ちょっと甘いから。もっと厳しくいかなくちゃ」
 そう言いながら悪役ばりの笑みを浮かべて庭へ下りる樹の背中を視線で追いかける。
「晴くん! 言うこと聞かないならいっそ蹴り入れてもいいよ!」
 樹の乱暴な指示に、大河から「げっ」と危機感を覚えた声が漏れた。反対に「何その反応は文句あるの?」と尋ねる樹の声は楽しそうだ。そのうち大河からパワハラの相談を持ちかけられるかもしれない。
 宗史は短く息を吐いて、書きかけの報告に手を付けた。
 それにしても、先ほどの樹の話題は一体何なのだろう。
 評価はともかくとして、彼が寮に入ったのは三年前。確かにちょうど自分と大河の年齢だが、それがどうかしたのだろうか。よほど大河の子供っぽさが目に余ったのか。それとも、三年前を思い出すような何かがあったのだろうか。
 樹が寮に入ることになったきっかけは、宗一郎から聞いて知っている。しかしそれ以前は、大まかなことは知らされているが詳しいことまでは知らされていない。
 皆の経歴については、詳しく知っている者もいれば、ほぼ知らない者もいる。その点では、大河と同じだ。だからこそ、疑いながらも信じたいと思う気持ちが拭えないでいる。知らない過去と、共に過ごした時間が葛藤を生む。
 もし彼らの過去を詳しく知っていたとしたら、迷いは生まれなかっただろうか。それとも、知っているであろう宗一郎と明でさえ判断しかねるほど、彼らの過去は複雑なのか。
 宗史は報告を送り、アプリを閉じた。と、
「宗史さん! 晴さんも助けてくれないんだけど! あれパワハラだよ訴えてもいい!? 勝てるよね!?」
 怯えているのか怒っているのか分からない顔で走り寄る大河に、宗史は苦笑した。さっそくだ。
「何甘ったれたこと言ってるの。大体ねぇ、大河くんが変な癖付けるからでしょ。間を置けなんて僕言ってないよね」
 しょうがないなぁ、と樹がぼやきながら歩み寄り、大河の首根っこを鷲掴みにして庭へと引き摺り戻す。
「まだ癖になってないですよ!」
「じゃあ何でできないの」
「それは……っ」
「ほらぁ、やっぱり癖になりかけてるんだよ。悪癖は早く直すに越したことはないよ」
 確かに樹の言う通りだ。ここは突き放す方が正しい。宗史はにっこりと笑みを浮かべ、ひらひらと手を振った。
「え――――っ!」
 大河の悲痛な叫び声と皆の笑い声が、青い空に響き渡った。
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