第11話

文字数 4,820文字

「お前たちに、うちは向いてない」
 いつだっただろう、智也と圭介にそう告げたのは。
 元来優しく真面目な性格の彼らは、勤務態度や接客に問題はなかった。ただ一つ、トラウマがあった。
 彼らの前職は、同じパチンコ店の遅番スタッフだった。今でこそ、飲酒している客の入店禁止、もちろん飲酒しながらの遊戯は禁止、問題を起こす客はすぐに警察に通報されて出入り禁止になるらしいが、それでもやはり面倒な客は多いと聞く。だから多少慣れているだろうと思っていたのだが、いざ客に絡まれると怯えた様子を見せた。
 その原因は、分かっていた。
 面接時、パチンコ店の店長の横暴とパワハラに加え、スロットに負けた客に突然殴られ、辞めようと思っていたと彼らは言った。あまり突っ込んで聞かなかったが、まさかトラウマになっているとは思わなかった。
 だから、三ヶ月の研修期間が終わった時に言ったのだ。
「昼の仕事の方がいいんじゃないのか。何だったら、系列店で昼営業の店紹介するから、考えておいてくれ」
 パチンコ店に勤めるまで、暴力などとは縁のない生活をしてきたのだろう。それならばその方がいい、無理に慣れる必要はない。そう判断した上での助言だった。
 しかし彼らは、頑なに嫌だと言い張った。
「もう少し時間をください、お願いします」
 二人はそう言って深々と頭を下げた。そこまで言うのなら、ともう少し様子を見ることにした。
 かなり無理をしていることは、見ていて分かった。セキュリティがいるとはいえ、むやみやたらに騒ぎを起こすのは店にとって得策ではない。だから客を怒らせないように(すか)(なだ)め、体よくあしらうのは接客業をしている者の必要スキルだ。
 怯えていることを客に悟られないよう笑顔を作り、思ってもいないことを言って機嫌を取り、非がなくても頭を下げる。それでも絡み続け、暴れたり暴力を振るおうとする客には容赦しない。無理矢理引き摺って店から放り出し、多少の脅しをかける。
 これで身にならなければと思っていたが、他のスタッフからも「頑張ってるし、いい奴らだしもう少し待ってやれませんか。皆でフォローしますんで」と進言され、何とか様になってきたのは一年以上経ってからだった。それでも、どうしても他のスタッフよりは劣る。下手をすれば、他の客やスタッフ、彼ら自身にも危険が及ぶ。
 さてどうするか、と考えあぐねた結果、突き放すことにした。トラウマがあるのなら、早々に辞めるだろうと。
 そんなある日、買い出しに行かせた二人が何故か傷だらけになって戻ってきた。
 理由を聞くと、ふらふら歩いていた男とぶつかり喧嘩になったのだと言う。さらに詳しく問い質すと、高校生くらいの少年と肩がぶつかり、会釈は返してきたものの謝罪がなかったため謝るように迫ったらしい。少年は素直に謝ったが、悪びれた様子がないことに苛立ち、揉めた挙げ句喧嘩に発展した。さらに二人は言った。度胸試しのつもりだった、と。
 客でもない、しかも高校生相手に度胸も何もないだろう。確かに度胸を付けろ、虚勢を張れと教えはしたが、それは面倒な客相手であって、むやみやたらに張るものではない。
 かなりきつく叱り飛ばし、二度とやるなとよくよく言い聞かせながら、ふと興味が湧いた。智也と圭介は腕っ節が強いわけではないが、大人の男二人を相手にここまでやりこめる高校生とはどんな奴だろう、本当に高校生だったのか、と。
 翌日、同じ時間に少年と会った場所に案内させた。
「あ、いた。あいつです」
 そう言って圭介が指をさした少年は、高瀬川に架かる橋の低い欄干に腰を下ろし、何をするでもなくただぼんやりと往来を眺めていた。夜は肌寒くなってきたのに、長袖Tシャツ一枚に黒いパンツ、薄汚れたスニーカー、伸び切った髪、まだ成長し切っていない薄い体躯。何より目を引いたのは、人形のように端正な顔に、生気のない目。
 もっと体躯の良い、いわゆるやんちゃな感じを想像していただけに意外だった。
 本当にあいつか、と遠目に観察していると、不意にこちらを向いた。しばらくじっと見据え、ああ、と言っているような形で唇が薄く開いた。
 またえらく無表情だなと思いつつ、冬馬は足を進めた。少年は歩み寄る間、逃げようとするでもなく、怯える様子もなくただこちらを見つめていた。報復されると思っていないのか、肝が据わっているのか、よほど腕に自信があるのか。
 正面で立ち止まると、少年は無表情のまま真っ直ぐ見上げてきた。
「昨日、こいつらと揉めたのはお前か?」
 少年の顔は、口の端が青紫色に腫れ、頬や額の擦り傷もそのまま、絆創膏一つ貼られていなかった。しばらくして、こくりと頷いた。
「悪かったな。きつく言い聞かせたから、許してやってくれ」
 ふてくされた顔で背後に立つ智也と圭介を前に押しやると、悪かった、とぼそりと一応謝った。少年は二人を交互にじっと見つめ、やがて口を開いた。
「……別に、気にしてない」
 その答えに、ますます興味が湧いた。感情が読めない完璧な無表情に、淡々とした口調。ここまで怪我をさせられたにもかかわらず、気にしてないと言える寛容さと潔さに、腕っ節の強さ。
 冬馬がおもむろに隣に腰を下ろすと、少年はじっと見つめてきた。警戒というよりは、こちらの真意を見定めようとしている風に見える。
「お前、昨日もこの辺にいたらしいな。何してんだ」
「……仕事、探してる」
「仕事って、何でこんな所で……」
 高校生がこんな時間に一人、繁華街でぼんやりとする。まさか売りでもするつもりだったのだろうか。確かに、この容姿で一人寒そうにしていたら、男女関係なく同情を装った奴が寄ってきそうではある。だが中には質が悪い奴もいる、そのくらい高校生なら分かるだろうに。
 冬馬は息をついた。
「初めてか」
 少年は一呼吸置いてこくりと頷いた。
「だったらもっとまともな仕事を探せ。高校生だろ」
「……コンビニのバイト、クビになった」
「何で」
 少年は一瞬言い淀んだ。
「昨日のことが学校にばれて、バイトの許可、取り消された」
 ぐ、と智也と圭介が息を詰まらせた。冬馬が睨み上げると二人は怯えた顔で肩を竦め、すみませんと小さく謝った。冬馬はもう一度溜め息をつき、少年を見やる。
「だからって、そんな仕事探さなくてもいいだろ」
「割がいいやつじゃないと、駄目」
 そう言って少年は一つ身震いをした。この季節に薄着、構っていない身なり、割のいい仕事。
「金に困ってるのか?」
 単刀直入に尋ねると、少年はすんなり頷いた。
「何でもいいから、割がいいの、探してる」
 それで売りをしようとしたのか。短絡的ではあるが、制限のある高校生が大金を稼ごうと思ったら行きつく場所ではある。しかも、昨日までコンビニでバイトをしていたのにさらに稼ぐ必要があった。それほど困っているということだ。ただし遊ぶ金欲しさではなく、生活するため。生きるために、自分を売ろうとした。
 親は何をしてるんだ、と尋ねようとして止めた。この様子では、聞いても胸くそが悪くなるだけだろう。知らない方がいいこともある。
 冬馬はしばらく思案し、やがて言った。
「分かった、俺が雇ってやる」
 突然の提案にぎょっとしたのは智也と圭介だ。少年は表情を変えることなく冬馬をじっと見つめている。
「ちょっ、冬馬さん何言ってるんですかっ。こいつこう……高校生ですよっ、まずいですって」
「確かにバイトクビになったのは俺らのせいですけど、だったら俺らが一緒に探しますからっ」
 智也が狼狽して小声で詰め寄り、圭介が代替案を出した。クラブの雇用は十八歳以上だ。喧嘩の原因は二人にあるが、少年が繁華街で徘徊していたせいでもある。人の良い二人らしい言い分だ。
「聞いてなかったのか、俺が雇うと言ったんだ」
 黙ってろと言外に込めて睨むと、二人はしぶしぶ口を閉じた。
「……内容は?」
 変わらず無表情のまま少年が食い付いてきた。
「この近くにある、アヴァロンってクラブの警備」
「……僕、十七」
 怪しげな話に乗るわりには、常識はあるようだ。
「店で雇用するわけじゃないから二十歳だと言い張れ。雇用条件は日給一万、交通費全額払い、時間は午後十時から翌日午前五時の七時間。問題を処理した日は、内容にもよるが危険手当として一件につき最低三千円上乗せする。上限はない。学校があるから、出勤日は週末と祝日だけで構わない。要相談。ただし、俺が雇用主だ、勤務中はできるだけ俺の側にいろ。どうだ?」
 少年は逡巡した。
「日払いにして。出勤はあんたがいる日に合わせる。条件は書面にして渡して。あとは無い」
 反応と判断が早い。頭の回転もいいらしい。冬馬は満足気な笑みを浮かべた。
「分かった。けど俺がいる日って、平日もいるぞ。学校は」
「学校より、仕事」
 今度は冬馬が逡巡した。
「まあ、その辺は自分で調整してくれればいい。明日からでいいか」
「うん」
 冬馬はジャケットから携帯を取り出した。
「お前、名前は?」
「成田樹」
「冬馬だ、よろしく」
 冬馬さん、と樹は小さく反復したまま、じっと見つめてきた。見つめ合う二人の間に、おかしな空気が流れる。まさかとは思うが。
「……お前、携帯は?」
「持ってない」
 マジか、と呟いたのは智也だ。学校より仕事と断言するくらいだ、不思議ではないが。
「じゃあ家の電話番号」
「無い」
 えっ、と今度は圭介が声を上げた。
「コンビニのバイトしてたんだろ。履歴書どうしたんだ」
「その時は、電話あった。でも、今はない」
 冬馬は訝しげに眉を寄せた。つまり途中で解約したということか。ならば、初めから金に困っていたわけではない。どういう理由で――と、途中まで考えて我に返った。知らない方がいいと思ったばかりだ。
「そうなると連絡手段がないな」
「近くに、公衆電話がある」
「……そうか……」
 今どき公衆電話とは、また貴重だ。だがそれは、樹から連絡してこない以上、こちらから連絡できないのだが。
 冬馬は溜め息をつき、ジャケットを探った。名刺入れを取り出し、一枚引き抜いて手渡す。
「店の番号と俺の携帯、書いてあるから」
「うん」
 きちんと働いてくれれば、型落ちの携帯で一番安いプランくらいなら契約できるようになるだろう。それに、出勤日が同じならあまり連絡は取らないかもしれない。
 樹は名刺をじっと見つめ、ゆっくりと尻のポケットにしまい込んだ。
「お前、今日ここにいるつもりか?」
 立ち上がりながら尋ねると、樹も腰を上げて首を横に振った。
「仕事、見つかったから帰る」
「そうか。気を付けて帰れよ」
 うん、と頷き、樹は駅の方へ足を向けた。
 寒そうに背を丸めて遠ざかる樹を見送り、冬馬は店へと引き返した。
「あの、冬馬さん、本当にいいんですか?」
「オーナーに知られたらまずいんじゃ……」
「あの人は俺個人がすることに口を出さない」
 だからお前たちが口出しするな、と言外に告げると、二人は沈黙した。
 実際のところ、樹への興味があったのは事実だ。しかし、智也と圭介への当て付けでもあった。容姿、腕っ節、度胸、潔さに聡明さ。二人にはないものを樹は持っていた。自分が求めているのは彼のような人材だと分かれば、踏ん切りを付けるかもしれないと。
 しかし、樹が仕事に慣れ、面倒な客を容易にあしらうようになっても、二人は決して辞めようとはしなかった。何故そこまでしてアヴァロンに執着するのか、理解できなかった。
 また、一人の人間として樹に心を開いていることに、自分自身気付かずにいた。
 自覚し、理解したのはもっとあと。
 京都の街が、雪に覆われる季節になってからだった。
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