第11話

文字数 2,575文字

「それにしても、時間をかけて新しい術を構築したのに、まさか自分たちで記録を燃やすとはなぁ」
 来た道を戻りながら、熊田が溜め息交じりに言った。白狐と使いが先頭を行き、熊田と佐々木、さらに後ろが紺野、下平、栄明の三人が並んでいる。各々手袋を外してポケットに突っ込む。
「もしかすると、必要な記録だけを持って行った可能性も。それに術自体は頭に入っているでしょうし、もし全て燃やしたとしても、新しく記録に残すことはできます」
 それでも明たちが処分しろと指示を出したのは、この先何があるか分からないからだ。あの家が売却されるにせよ廃屋になるにせよ、いつか人の手が入り、記録が無駄に人の目に触れないようにするため。
「それ、まずいんじゃないですか?」
 紺野が尋ねると、栄明は苦い顔をした。
「ええ。事件後は、両家で楠井家を監視、あるいは管理下に置くことになります。具体的なことは、まだ検討中でしょうが」
 確か、他の蘆屋家の末裔は両家で把握していると宗一郎が言っていた。彼らと同じように、もしくはもっと厳しく監視するのだろう。さすがに殺したり監禁まではしないと思いたい。
 こんな行く末が全く見えない状況でも、先のことを考えなければならない。勝利を前提に。
 紺野は内ポケットから携帯を取り出した。明たちからの連絡は届いていない。まだ、終わっていないのか。
 こっそり息をついて携帯をしまう紺野を横目に見て、下平が話題を変えた。
「ところで、白狐」
「なんじゃ」
「あんたは、いつから俺たちに付いて回ってたんだ? ここで合流した時か?」
「護衛と言え、護衛と。厳密に言えば、三日ほど前じゃの」
「三日……は? 三日前?」
 目を丸くしたのは下平だけではない。紺野たちも目をしばたいて、暗闇に映える白狐を見つめた。てっきり今日限定の護衛だと思っていたのに。
「ちょっと待て、三日前っつーと……」
「私たちが寮の会合に参加した日ですね」
「そうそう、その日だ。何でそんな前から」
「言ったじゃろう。『お願い』されたんじゃよ。お前たち四人と、あとはほれ、先日拉致された奴と晴明神社の側に住んでおる奴。それと友人二人」
「近藤もか!」
「冬馬たちもか!」
 紺野と下平の声が綺麗に被って、森に木霊した。
「そんな名じゃったかの。今日はわしだけで十分なのでな、その近藤と冬馬ら三人、誠一の護衛のわし以外は、夕刻以降から街の警護に付いておる」
 名前を呼び捨てられたことについてはスルーだ。神だから。
「街の警護? 犯人たちが何か仕掛けるっていうのか」
「念のためじゃ」
 ふぅん、と曖昧に相槌を打つ。明たちは、犯人たちの動向で何か気になることがあるのだろうか。それよりも、今は三日前から白狐に護衛されていたことに驚きだ。よくよく思い返せば、思い当たる節が――。
 不意に、紺野が足を止めた。下平たちが一歩先で立ち止まり、白狐も振り向く。
「ちょっと待て。てことは、近藤が拉致された時も白狐がいたんだよな」
「おったな」
「何ですぐ助けねぇんだ!」
「やかましいのう。そう怒鳴るな」
「な……っ」
「まあまあ、紺野。落ち着け。話を聞こうじゃねぇか」
 下平になだめられ、紺野は歯噛みした。これが落ち着いていられるか。白狐がすぐに助けていれば、あんな大ごとにはならなかった。犯人たちに姿を見られても、暗がりなら犬と見間違えただろう。何が護衛だ。
「わしらは、悪鬼や鬼代事件の犯人からお前たちを守って欲しいと『お願い』されたんじゃ。あれは別件じゃろう。にもかかわらず、お前を奴の元へ行かせるために手を貸してやったんじゃ」
「手を貸した……?」
 紺野は眉根を寄せて反復し、あの時の状況を思い出した。
「あの火の玉、精霊じゃなかったのか」
 共犯の男たちを襲った火の玉だ。自在に動いていたから、てっきり左近が精霊で援護してくれたのだとばかり。
「そうじゃ。それだけではないぞ。近藤の護衛に付いておる白狐は、精霊に頼んで奴が拉致されたことを両家に伝え、さらに現場となった地域の担当白狐に式神を誘導させた。そしてわしは、奴が殺害される直前、式神に伝えたのだ。感謝こそされ、責められる筋合いはない」
 唖然としたのは、全員だ。ということは、あんなに早く近藤の居場所が割れたのも、建物の外にいた左近がタイミングよく変化したのも、全て白狐のおかげ。そして、明から聞いた近藤の居場所を探った方法は、全部嘘。
「あいつ……っ」
「お前は気が短いのう。両家の当主がわしらのことを知らせなかったのは、お前たちを油断させんためじゃ。さっそくバレてしまったがの」
「まあ、筋は通ってるな」
「通ってますね」
「むしろ借りができていますよ」
 下平、熊田、佐々木に白狐の主張を肯定され、ぐっと息が詰まった。確かに筋は通っている。通っているが――。
 紺野は、自分を落ち着かせるように長く息を吐き出した。もう終わったことだ。近藤も無事だった。白狐の主張も、明たちの気遣いも理解できる。けれど、一つだけ。
「白狐」
「なんじゃ」
「もし俺たちが間に合わなかったら、近藤の白狐はどうしてた」
 白狐たちは、救出したわけではない。あくまでも救出の手助けだ。もしあれが、今日だったら。自分たちも明たちも京都にいない、今日だったら。
 黒い瞳と濃い紫色の瞳の視線がぶつかり合い、やがて白狐が溜め息交じりに口を開いた。
「あいつは少々根暗だが、薄情な奴ではない。自分が護衛している人の子なら、なおさらじゃ」
 それだけ言うと、白狐は踵を返して軽快な足取りで歩を進めた。
 暗闇の中、まるで道しるべのように揺れる白い尻尾を見つめて、紺野は口角を緩めた。一点の曇りもない、真っ直ぐな美しい瞳だった。嘘でも、その場凌ぎの言い訳でもない。
「白狐」
 足を踏み出した紺野に倣い、下平たちが苦笑いで顔を見合わせて続く。
「怒鳴って悪かった。ありがとな」
「分かればよい。お前と近藤の仲の良さは、当主から聞いている。心配するのも無理はなかろう」
 ぶはっと噴き出したのは下平と熊田で、佐々木はとっさに口を押さえて肩を震わせ、栄明はうんうんと頷いている。そして紺野はこめかみに青筋を浮かばせた。
「別に良くねぇよッ!」
 このセリフはもう何度目だろう。あの二人はまた余計なことを。ったく、と紺野は一つぼやき、笑いを堪える下平たちを睨み付けると矛先を変えた。
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