第10話

文字数 2,701文字

「ねぇ、省吾。あれ」
 不意に声をかけられて、省吾は我に返った。
「志季が使ってるやつ、何?」
 余裕余裕、と高笑いで腕立てをする志季を眺めながら、大河が首を傾げた。コの字型のハンドルをした筋トレグッズだ。
「プッシュアップバーって言って、床に手をついてするより体を深く沈められるから、より負荷がかけられるらしいぞ」
「ふーん……」
 大河はぐるりと視線を巡らせた。
「なんか、あれだよね。志季たちが使ってると、ほんとに効果あるのかなって思うよね」
「あれは人間用だ。参考にする方が間違ってるだろ」
「ごもっとも」
 ははっと短く笑って、大河はテーブルに置かれた長方形の桐箱に目を落とした。
「これは?」
「刀を手入れする時の道具だよ」
 トレーニングチューブ片手に、ぜいぜいと息を切らした影唯が口を挟んだ。散らかったままの箱の側に倒れ込むように腰を下ろす。今にも倒れそうだが大丈夫か。
「柴と紫苑が持っていた方がいいだろう? あー、これ結構きついねぇ」
 長く息を吐き、ポロシャツの胸元を掴んでぱたぱたと煽いだ。晴が「でしょ」と笑いながらチューブを受け取り、他のチューブや付属品をまとめて巾着にしまう。
 それを合図に、人外組も集まってきた。息を切らすどころか、汗一つかいていない。晴から箱を渡され、各々しまっていく。鞄に入らないのでダンベルだけは緩衝材に包んで持ってきたため、柴へはプチプチが渡された。
「大河、お前筋トレするならチューブから試した方がいいぞ」
「何で?」
 柴と一緒にダンベルを分解しながら、大河が首を傾げる。
「使い方によっては負荷を上げられるけど、他のと比べると比較的低いんだよ。いきなりしんどいとやる気なくすだろ。筋肉痛になるし」
「晴さん、持ってるね?」
「持ってるぞ。同じやつ。今は陽が使ってるけどな」
「どうりで詳しいと思った」
陽くんと筋トレ似合わないなぁ、とぼやきながら包んだダンベルを鞄にしまう。陽は、晴の弟だろうか。宗史が満足そうに「よし」と一人ごちて筆を置いた。
「省吾、鞄は借りてていいの?」
「ああ。そのうち返してくれれば」
「ありがと、助かる」
「省吾くん、本当にいいの? こんなにたくさん」
 雪子が少々名残惜しそうにハンドグリッパーを大河に手渡した。
「うん。置いといてもゴミになるだけだし。結構傷が入ってるから、売ってもたいした値段にはならないと思う」
「そう。それなら……ああ、鈴ちゃん。おかえりなさい」
 鞄のファスナーを閉めたところで、鈴が庭へ下り立った。
「どうだった?」
 晴が尋ねると、鈴は縁側から部屋へ入った。
「もう少し時間がかかりそうだ。――大河、省吾」
「うん?」
「洞窟まで、どのようにして行くのだ?」
「えーと、一度漁港まで下りて、防波堤を乗り越えてぐるっと山の方に回り込む」
「漁港まで行くのか」
 大河と省吾がこくりと頷くと、鈴はふむと何やら思案した。
「何か問題でもあったか?」
 宗史が問うと、いや、と鈴は呟き、柴と紫苑を見やった。
「何カ所か下りられそうな場所を見つけた。裏山から行けるぞ。二人が島内をうろうろすると、目立つであろう」
「そういえば、ランニング行った時に昨日船で乗り合わせたおばさんと会ったんだけど、噂になってた。色んな人に話したみたい」
「あー、やっぱりか」
「宗史くんと晴くんの時もそうだったものね」
 影唯と雪子が苦笑いで溜め息をついた。
「子供たちに見つかったらついてくるかな」
「くるだろうなぁ」
 省吾は大河と顔を見合わせてうーんと唸った。
 洞窟に行くとは言えないので、言い訳をするなら散歩だ。となると、子供たちは目立つ容姿に興味を引かれてついてくるだろうし、ましてや大人たちに見つかれば、茶菓子など出されておやつタイム突入も、決して大げさではない。調査後ならともかく、時間制限がある以上、島民とのんびり交流というわけにはいかないのだ。
 というか、それ以上に気になることが。
「分かった」
 宗史が言った。
「大河、省吾くん。洞窟の場所は覚えているか?」
「うん、何となく」
 大河と一緒に頷く。
「じゃあ、地図を見て当たりをつけてくれ。鈴、悪いが柴と紫苑を連れて確認に行ってくれるか。近くに下りられそうな場所があれば、そこから行こう」
 了解、と省吾以外が声を揃え、さっそく携帯の地図アプリを立ち上げる。大河と一緒に記憶を辿りながら当たりをつけ、鈴たちを見送ると、省吾は改めて視線を巡らせた。
「あの」
 一斉に視線が集中し、省吾は一瞬たじろいだ。腰が引けている場合ではない。一緒に行くのなら、確認をしておかなければ。
「裏山から洞窟に行くって、つまり、飛び下りるってこと、ですか?」
「うん、そう」
 あっさり頷いた大河に、省吾は顔を引き攣らせた。確かに、昨日の訓練や騒ぎで彼らの身体能力がとんでもなく高いことは分かった。しかし、だからといって山から飛び下りると知って不安にならないわけがない。
 マジか、とぼやく省吾を見て、大河がにんまりと口角を上げた。
「省吾、怖いの?」
 わざとらしく傾げられた首と、三日月形の目と口が憎たらしい。ここぞとばかりに小馬鹿にしやがって。省吾はふんと鼻を鳴らし、わずかに顎を逸らして大河を見下ろした。
「そんなわけないだろ」
「ほんとにぃ?」
 意地の悪い間延びした口調がますます癪に障る。火花を散らす二人を宗史たちが苦笑いで見守り、雪子が間に割って入った。
「大丈夫よ、鈴ちゃんたちは絶対に落としたりしないから。それより、あんたたち」
 フォローを入れたと思ったら一転、強い口調に大河と省吾はびくりと肩を震わせた。睨み合っていた視線を落とし、すごすごと前を向く。
 雪子が腕を組み、目を据わらせた。
「防波堤を乗り越えてって、どういうことかしら」
 やっぱりそこか。
「いや、その……」
「ちょっとだけのつもりで……」
 俯いてごにょごにょと口の中で言い訳をする二人に雪子から盛大な溜め息が漏れ、影唯たちは苦笑いだ。
 干潮になると、防波堤の向こう側は連なったごつごつした岩が顔を出す。そこを進まなければ先へは行けない。足を踏み外せば海に落ちるし、最悪怪我だけではすまない。もちろん、大人からは口酸っぱく「危ないから絶対に行くな」と言い聞かせられていた。
 大人の言いつけを破った少しの後ろめたさと、無邪気な好奇心と冒険心。そして偶然見つけた、二人だけの秘密の場所。幼心にはとても刺激的で、ほんの少しだけ大人になったような、そんな感覚をもたらした。
 それがまさか、この年になってこんな形でバレた上に、客前で説教されるとは。まったくあんたたちは、から始まった説教は、鈴たち三人が戻ってくるまで続いた。
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