第5話

文字数 8,210文字

 昨夜、大河から連絡が入ったのは十時をとうに回った頃だった。
 風呂から上がり、リビングでくつろいでいる宗一郎と律子(りつこ)、母と(さくら)を横目に、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して蓋を開けた時、携帯に着信があった。まだ大河と連絡先を交換していなかったせいで、知らない番号に一瞬戸惑ったが、すぐに大河だろうと察して通話した。
「あ、宗史さん? 俺」
 何故か小声で、しかもわずかに響く大河の声に違和感を覚えた。首を傾げながらも「大河?」と尋ねると、うんそう、とまた小声で返ってきた。こんな時間にごめん明日なんだけど、とどこか性急に話を進めようとする大河にまた違和感を覚えた。何をそんなに急いでいるのだろう。じゃあ明日九時だね、と確認した時、電話の向こうで大河の壮絶な悲鳴が鼓膜を直撃した。思わず携帯を耳から離したが、大河の叫び声が丸聞こえで、向こうで何が起こっているのか手に取るように分かった。
「もう話すことなんかないって! 全部話したし! いやだからそれは牙の都合で……ちょっ、嫌だ……っ」
 と、そこでぶつっと通話が切れた。
 呆然と携帯を見つめていると、リビングで宗一郎がぶはっと噴き出し、律子が口元を押さえてくつくつと笑っていた。母と桜はきょとんと目をしばたいていた。どうやら向こうにまで聞こえていたらしい。おそらく、いや十中八九、樹が大河に「霊符無しで式神を召喚した」話を根掘り葉掘り細部に渡って問い詰めているのだろう。明日の九時、という約束は遅れそうだ。宗史は苦笑いを浮かべて息を吐いた。
 そして今日。
 午前九時前。電話の相手は弘貴(ひろき)だった。昴たち四人が公園で鬼に襲われていると連絡が入り、宗一郎と共にすぐに現場に向かった。
 鬼と聞いて、すぐに柴と紫苑が浮かんだ。向小島(むこうこじま)での一件で、彼らの強さは身に沁みている。確かに昴も香苗も未熟とはいえ優秀な陰陽師だ。だが、双子を連れている上に相手はあの二匹だ。殺される可能性が高い。かろうじて逃げられたとしても、無傷では済まないだろう。
 近道を頭の中の地図に描きながら現場に到着すると、近所の住民たちが騒ぎを聞いて公園の周辺に野次馬を作っていた。野次馬を避けて横道の路地に車を停めると、宗一郎の携帯が鳴った。宗史は運転席から降り、一戦繰り広げられているとは思えないほど静かな林を見上げる。
 すると、土御門家所有の車が少々乱暴に後ろに滑り込んできた。運転席から晴、助手席から明が降りてきて、タイミングを計ったように宗一郎も電話を懐にしまいながら降りてきた。
 宗一郎の口から伝えられた状況に、宗史と晴が愕然と目を見張った。
 大河たちとは行き違いになったようで、宗史らが現場に到着する少し前に彼らは無事逃げたらしい。宗史らが寮へ到着した時には、すでに鬼と一戦交わした大河たちは風呂場へ直行した後で、様子は窺えなかった。
 最初にリビングに入ってきたのは、茂と春平だった。続いて香苗と藍、蓮、最後に大河と昴。無言のまま大河の様子を窺う。すると大河は、宗史と晴を見るなり、微かに微笑んだ。
 その笑みを見て、宗史はわずかに眉を寄せ、晴は視線を逸らした。
 現実を実感できていないのか、それとも現実を拒否しているのか、分からない笑みだった。表面上笑みを浮かべてはいるが、その目に生気も光もない。茂からの報告によれば、影正は大河を庇って、目の前で鬼に心臓を抉り取られたらしい。省吾の時のように、悪鬼に食われたのであればその場にいた茂たちが助けただろうが、心臓を抉られたとなっては手の打ちようがない。しかも、大人一人の遺体を運び出そうにも全員負傷した状況ではそれも叶わなかった。例え樹と怜司がいて、二匹の鬼に助けられたとしても。
 影正を置いて現場から逃げるように立ち去らざるを得なかった大河の心境を考えると、何の言葉も出なかった。
 濡れた髪のまま晴の隣に腰を下ろす大河を、皆が無言で見つめた。
 大河が、華が運んだ麦茶を一気に飲み干すと、宗一郎が沈黙を破った。ダイニングテーブルの方を振り向き、低く落ち着いた声色で呼ぶ。
「昴、香苗」
 はい、と二人の声が揃った。
「報告を」
 短く促され、顔を見合わせた後に口を開いたのは、昴だった。うなだれるように肩を落とし、俯いたまま言った。
「寮を出たのは、朝八時を少し過ぎた頃でした。藍ちゃんと蓮くん、香苗ちゃんの四人で近くの公園に向かうつもりでした。けど……油断もあったんだと思います。朝だし、大丈夫だろうと思って、あの公園に行きました。着いた時は誰もいませんでした。しばらく遊んでいると、突然、目の前にあの鬼が現れました。ちょうど林の近くで遊んでいたこともあって、驚いて林の中に逃げ込みました。それから、隠れながら逃げて、香苗ちゃんに連絡するよう言って、皆を待ちました……すみません、僕の判断ミスです」
 昴は言葉を切り、肩を竦めた。膝に乗せていた両手は強く握られ、小刻みに震えている。
「すぐに公園から出ればよかった……っそうすれば……っ!」
 声を絞り出した昴から小さく嗚咽が漏れ、ぽたぽたと涙が零れ落ちる。
「違いますっ」
 かたんと椅子を鳴らして声を上げたのは香苗だ。
「昴さんのせいじゃありませんっ。あたし、あたしが……っ朝だし、大丈夫だって言……っ」
 込み上げた涙で言葉を詰まらせ、香苗は顔を歪ませて俯いた。次々に涙が零れ落ち、頬を濡らす。
 悪鬼の活動が活発になるのは夕方から明け方だ、という認識は陰陽師全員に共通する。鬼が復活した今の状況で軽はずみな判断をしたことは否めないが、前例が少ないという理由で認識を植えたのは、知識を与えたこちらの責任でもある。
 と、不意に藍と蓮が椅子から転げ落ちるように飛び降りた。
「えっ、ちょっと!」
 驚いて華が声を上げ、夏也が立ち上がって下を覗き込む。椅子の足元で転んだ藍を蓮が助け起こし、そのままテーブルの下をくぐり抜けて大河の元に駆け寄った。
「違うの」
 先に口を開いたのは蓮だった。子供特有の高い声が震えている。
「僕が、言ったの」
 溢れ出た涙は次々と頬から顎へと伝い、滴となって床へ落ちる。
「あたしも、言ったの」
 藍が涙声で追随した。
「もっと遊びたいって」
「あの公園に行きたいって」
 くしゃりと二人が顔を歪ませた。
「ごめんなさい……っごめんなさい……っ」
 何度も繰り返される謝罪の言葉は、すぐに泣き声へと変わった。
 泣きじゃくりながらも謝罪を繰り返す二人を、生気のない目で見つめていた大河が、ゆっくりと背もたれから体を起こした。
「……藍、蓮……」
 小さく名を呼び、泣き声に導かれるように、ゆっくりと二人に手を伸ばす。頭に手を回し、自らも近付くようにして二人を抱き寄せた。
「大丈夫だから……泣くな……」
 優しい声色で囁かれたことが逆に罪悪感を煽ったのか、双子はさらに大きな声を上げて泣きじゃくった。その光景を、誰も何も言わずただ見守っていた。
 ごめんなさいと詫びる双子を抱きしめる大河の心境は、暗い瞳からは読み取れない。ただ酷く、とても酷く、心が痛んだ。
 わんわんと泣く双子をしばらく抱きしめていた大河は顔を上げ、力なく笑みを浮かべて頭を撫で回した。
「ほら、もう泣くなって。俺は大丈夫だから。な?」
 指先で双子の涙を拭う大河の声は、ひたすらに穏やかだった。席に戻るよう背中を押され、双子はしゃくり上げながら席に戻った。華と夏也が、涙と鼻水で濡れた双子の世話を焼く。
 大河が座り直すと、宗一郎が一呼吸置いて問うた。
「先に受けた報告を聞く限りでは、あの場には鬼が三匹いたということになる。うち二匹は柴と紫苑。残りの一匹の特徴を」
 ついとダイニングテーブルの方へ視線を投げた先で、茂が私がと口を開いた。
「身長は百七十センチから百八十センチ。中肉中背。見た目は二十代から三十代前半に見え、長めの白髪(はくはつ)でした」
 角と目の色の特徴は今さら報告する必要がないため、省いたのだろう。
「白髪? 真っ白だったんですか?」
 尋ねたのは弘貴だ。
「うん。見事と言いたくなるくらいの白髪だった。あれは人工的な色ではないと思うよ。光の加減によっては、銀髪に見えるんじゃないかな。染められるとそれまでだけど、若い見た目で天然の白髪というのは、手掛かりとしては大きいと思う」
 確かに、二十代から三十代前半の見た目で天然の白髪の男など、あまり見かけない。今の時代、過多なストレスから若くして白髪の多い若者もいるにいるが、それでも銀髪に見えるほどの天然の白髪は稀だろう。
「白髪……」
 宗史がぽつりと呟いた。
 昴たちを襲った鬼が柴と紫苑ではないと知った時、真っ先に三鬼神の一人、(かい)を思い浮かべた。だが今聞いた特徴は、影綱の日記に記されていたものと合致しない。それに、隗は残りの一人、皓と共に晴明に調伏され、他の鬼たちも根絶やしにされたはずだ。封印されたのは柴と紫苑のみ、その他の鬼が現代に蘇るはずが――。
 まさか、と喉まで出かかった言葉をかろうじて飲み込んだ。
 ネットや書籍で有名なその法は、「晴明が風前の灯火だった高僧の命を救った法であり死者を蘇らせるわけではない。天皇などの健康長寿を祈祷する祭祀(さいし)である」と説明されている。宗史と晴、そしてこの場にいる他の陰陽師たちにも、それは本当だと教えられている。
 死者を蘇らせる法や術など、存在しないのだと。
 だが、もし教えられたことの方が嘘だとしたら? 本当は死者を蘇らせる術が存在し、それを、誰かが行ったのだとしたら――。
「宗」
 不意に肩に置かれた手に、びくりと大きく体が跳ねた。
「どうした?」
 隣から晴が顔を覗き込んだ。宗史は何でもないと一言返し、視線を逸らした。
 そんなこと、あるはずがない。確かに何を考えているのか分からない部分がある人だが、自分に嘘をつく人ではない。嘘をつく理由がない。
 宗史は麦茶を一口飲み、大きく息を吐いた。
 しっかりしなければ。有り得ない可能性に動揺している場合ではない。
 固く目を閉じ、ゆっくりと開いて視線を上げた先に、じっと見つめてくる宗一郎がいた。ぐっと息が詰まる。時折、何もかも見透かされている気分になる。気が抜けない。
 宗史が顔を引き締めると、宗一郎はふいと視線を大河へと向けた。
「大河くん。あの場にいた者の中で、面識があるのは君だけだ。君たちを助けたのは、柴と紫苑で間違いないか?」
 公園に到着した時、茂から簡単に受けた報告だった。
 大河が宗一郎に暗い視線を投げた。動じることなく、むしろその目の奥の感情を窺うように、宗一郎は大河を見据えて答えを待った。
 大河はしばらく考え込んだ後、小さく頷いた。つい先ほどの記憶すらあやふやか。
「柴と、紫苑でした……助けられました」
「助けられたということは、奴らが敵対していたと捉えることもできるが、君にはどう見えた?」
「敵対……そう言われると、確かに……」
 単純に考えると、鬼から大河たちを助けたのならそうなる。だが、何かしらの理由で、襲ってきた鬼の独断を止めに入っただけという可能性もある。安易に敵対していると考えない方がいい。
「何も話さなかったし、聞いてないので……はっきりとは……」
「そうか。ではもう一つ、先日、君は柴に襲われているが、その時と比べて彼の様子はどうだった?」
「……俺が見たのは、背中だけだったんで……でも、自我を失ってる感じは、なかったです」
「理性的だったと?」
「はい……多分」
 宗史と晴が表情を固くした。
 茂からの報告を宗一郎から聞いた時、最悪の事態を想定した。極度の空腹で自我を無くし大河を襲った柴が、今度は大河を助けた。それはつまり食事をして自我を取り戻したことになる。ひいては、人を食った、ということにつながる。牙の証言が事実なら人でなくてもいいらしいが、冬眠から目覚めた獣のように腹を空かせた鬼が、例えば野生動物の肉や精気で満足するのだろうか。鬼の主食は本来、人なのだ。
「あの……」
 おもむろに大河が尋ねた。
「じいちゃん、は……」
 どきりと心臓が跳ねた。晴も同じようで、大河から視線を逸らし沈痛な面持ちで俯いている。
「申し訳ないが、大河くん。影正さんは、見つからなかった」
 この人に人としての感情はあるのだろうか。
 そう疑いたくなるほど、宗一朗は表情を変えることも、躊躇することもなく口にした。何でもないただの事務報告をするような、そんな口調だった。ただ「影正さんの遺体」と表現しなかったのは、せめてもの彼なりの心遣いだろうか。
 さらりと告げられた報告に、え、とダイニングテーブルの方から小さく驚いた声が重なり、大河の目に光が徐々に蘇った。
「見つからなかったって……何で……だって……」
 影正の死亡と遺体を放置せざるを得なかったと茂からの報告を受け、宗史と晴は林の中を捜索した。位置はすぐに分かった。鬱蒼とした林の中でその場所だけ枝が折れ、雑草が踏み潰され、そして血の匂いが漂っていた。地面と大木に刺さった二本の鉄パイプ。雑草から滴り地面を黒く染める血痕。明らかにこの場所なのに、影正だけが見当たらなかった。鬼が移動させたのかもと思い範囲を広げたが、周囲が騒がしくなってきており、手早く血痕を砂や雑草で隠し、結局それ以上の捜索を断念した。
 考えたくはなかったが、あの後、鬼が食らったとしても骨や衣服は必ず残るはずだ。それすら見つからなかったとなれば、影正の遺体を鬼が持ち去ったと考えるのが現実的だ。誰にも邪魔されず、遺体を食らうために。
 大河の目がゆらりと揺れた。
「じゃあ、じいちゃんはどこに……」
「おそらく、鬼に連れ去られた可能性が高い」
「連れ去られたって、何で……!」
 自らの口にして気付いたのか。大河は息を飲んだ。
「……食われた、のか……?」
 大河、と晴が声をかけると大河は目を大きく見開き、ゆっくりと振り向いた。すがるように晴の腕を掴む。
「晴さん、宗史さん……何か、知ってるよね?」
 懇願するような瞳に見据えられ、晴は痛々しげな面持ちで小さく頭を振った。
「悪い……何も、分からない……」
 晴が消えそうな声で答えると、大河は宗史へ視線を向けた。
 現場には戦いの痕跡と影正の血痕のみが残され、行方の手掛かりとなるようなものは一切見つからなかった。どれだけ求められても、晴と同じ答えしか返せない。
「ごめん……」
 絶望した人の顔を見るのは、これで二度目だ。もう二度と見たくないと祈ったのに。
「……っ」
 大河が声を詰まらせ、掴んでいた腕からするりと手を離した。顔を覆い、膝に顔をうずめるように上半身を折る。背中が小刻みに震えている。
 誰を責めるでもなく、静かに嗚咽を堪える大河の背中が酷く悲しかった。かける言葉が一つも出てこない自分に、嫌悪すら覚える。
「明、頼めるか」
 微かに宗一郎の声が届いた。
「ええ」
 おもむろに明が腰を上げ、ゆったりとした動作で大河の前に歩み寄る。
「大河くん」
 明は声をかけながら、床に膝をついた。しばらくして、大河がゆっくりと上半身を起こした。
「無理をさせて、すまなかったね。ありがとう。少し休みなさい」
 微かに微笑んでそう言うと、懐から数珠を取り出し右手にかけた。左手の人差し指と中指を立てて唇に当て、ぼんやりとした大河の額に右手をかざす。
「オン・マイタレイヤ・ソワカ。慎んで願い奉る、六根清浄(ろっこんせいじょう)哀惜払滅(あいせきふつめつ)
 穏やかで優しい声色に導かれ、数珠から仄かな光が放つ。心地よさそうに大河が目を閉じた。
安息同道(あんそくどうどう)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 唱え終わるまでのわずかな間に、大河の体が意識を失ったように傾いだ。
「っと」
 晴が大河の体を支えると、明はゆっくりと息を吐き立ち上がった。
「晴、大河くんを頼む」
「ああ」
 よっ、と勢いをつけて大河を抱え上げる。すぐさま華が席を立ち、晴を呼んだ。
 リビングの扉が閉められると、宗一郎が全員を見渡した。
「刀倉家への連絡、その他の手続きはこちらで行う。他に気付いたことや報告することはあるか?」
 あの、と小さく手を上げたのは、顔を引き締めた昴だ。隣では、香苗も同じ表情をしている。
「処分を」
 自ら処分を望む二人に宗一郎は逡巡し、明に小声で何か告げると、明は小さく頷いた。再び昴と香苗へと視線を投げる。
「二週間の謹慎、と言いたいところだが、今人員を欠くのは得策ではない。一時保留とする。ただし、これまで以上に日々の訓練に精を出すように。成長を期待する」
 昴と香苗が目を丸くして、すぐに顔を引き締めた。
「はい」
 二人の真っ直ぐな返答を聞いて宗一郎は微かに微笑むと、宗史を振り向いた。
「宗史、今夜は晴と一緒にここにいなさい」
「……はい」
 その判断の本質がどこにあるのか、分からない。けれど今は、大河の側についていてやれと、そう受け取っておく。
 リビングの扉が開き、晴と華が戻ってきた。
「他には?」
 全員が無言で首を振った。
「では、この後はいつも通り……」
 と、宗一郎の懐で携帯が震えた。宗一郎は携帯を取り出し、液晶を確認すると低く手を上げて腰を上げた。待っていろの合図だ。
 その間に、廊下で電話する宗一郎を見やりつつ晴と華が戻ってきた。晴が隣に腰を下ろしながら、小声で何かあったかと聞いてきた。昴たちへの処分を伝えると、晴はそっかと少し安心したように口角を上げた。
 ほんの数分で戻ってきた宗一郎は、再びソファに腰を下ろして言った。
「すまない、待たせた。私たちは一旦引き上げるが、皆はいつも通り過ごしなさい。ただし、まだ鬼がうろついている可能性があるため、外出は禁止だ。樹と怜司には、念のため今夜の哨戒は左近(さこん)を監視役につける。以上だ、解散」
 宗一郎の一言で、皆一斉に腰を上げた。しかしその表情は暗く浮かない。いつも通りと言われても、この状況でそれは無理があるだろう。とりあえず事務的な持ち場の仕事からと、皆がそれぞれ散って行く。
「宗史、着替えがいるだろう。行くぞ」
「あ、はい」
「晴も一旦戻るよ」
「ん、ああ」
 二人に促され、宗史と晴は腰を上げて後に続く。見送りに出ようとした華を制し、無言のまま寮を後にした。
「宗史」
「はい」
 運転席に乗り込む直前に呼び止められ、宗史はドアハンドルに手をかけたまま顔を向けた。
「このまま土御門家へ向かう」
「え?」
「紺野さんと北原さんが、話があるそうだ」
「昨日の、京都府警の刑事ですか?」
「ああ」
 昨日の今日で彼らが一体何の用だという疑問と共に、新たな情報が入ったのだとしたら、寮の方が都合がいいのではないかとも思った。何故、土御門家なのか。宗史は怪訝な表情を浮かべつつ、分かりましたと言って運転席に乗り込んだ。
 先行する晴が運転する車の後に続き、土御門家へと向かう。
 この先の行く末が、まったく見えない。
 盗まれた千代(ちよ)の骨、柴と紫苑の復活、紛失した二冊目の文献、新たな鬼の出現。すべて平安時代の大戦が関わっているのは間違いない。そうなると、自然と陰陽師の姿が浮かび上がってくる。
 けれど、決定的な証拠がない。どこぞの陰陽師が関わっているのか、それとも単なるマニアの興味本位が引き起こした結果か。どちらの可能性も否定はできないが、タイミングが明らかに人為的である以上、何者かが故意に動いていることは間違いない。
 誰が何のために、鬼を復活させたのか。その目的が分からない以上、こちらとしては後手に回るしかない。
 しかし、その結果が今だ。
 千代の骨の行方も犯人の潜伏先も、見当すらついていない状況で新たな鬼の出現は、いたずらに心労を増加させる。
 刑事たちから、新たな情報がもたらされればいいが。
 宗史は深く溜め息をついた。
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