第3話

文字数 2,894文字

『お前たちの行動が予想外だったとしたら』
 昨夜、紺野(こんの)の憶測を聞いて思い付いた可能性は、近藤(こんどう)がシロだと証明するものだった。
 近藤が類似性に気付いていなければ、警察内部に協力者がいると分からなかった。彼が協力者だったとしたら、わざわざ示唆するような真似はしないだろう。ただ、協力者が近藤だけだったら、の場合だ。もし二人、ないしはそれ以上――は、少々考えにくいが、近藤ともう一人、紺野たちが目星を付けている者の二人だったとして、何かしらの理由で近藤が奴を排除しようとしたのなら、まだ被疑者から外すわけにはいかない。とはいえ、その「何かしらの理由」の見当はさっぱりつかないが。
 ともあれ、三宅(みやけ)の殺害が紺野と北原(きたはら)の二人を捜査から外し、牽制する目的だったことはおそらく間違いない。
 朝辻神社に現れた謎の男といい、相変わらず正体不明の女といい。犯人たちは次から次へと謎ばかり増やしてくれるものだ。
 昨日、冬馬(とうま)から預かった紙袋を手に、下平(しもひら)は少年課へ向かいながら眉をひそめた。
 紺野の憶測で一つ、気になることがある。紺野も言っていたが、廃ホテルでの事件において、冬馬たちが巻き込まれた理由だ。もちろん良親(よしちか)の私怨もあったのだろうが、あの憶測が正しいとすれば、もう冬馬たちが狙われないとは言い切れないかもしれない。
 三年前の件を加害者と被害者に分けるとしたら、前者は冬馬ら四人、後者は樹だ。しかし樹は生きていて、誤解は解けている。それでも許せない、と思うのだろうか。確かに冬馬たちの行動は違法で、保護されなければ樹は確実に死んでいた。しかしこの場合、すでに本人たちの間で解決していることを、第三者の正義感だの倫理観だので罰するのは、ただの自己満足だと思うのだが。
 樹が聞いたら、余計なお世話だよ、と言いそうだ。いや、確実に言う。しかもこれでもかと嫌味ったらしく。
 ふ、と下平は微かに口角を緩めた。三年前まで、こんな樹は想像できなかったのに。冬馬共々、この数日でずいぶんと印象が変わったものだ。
 それはともかく、樹と冬馬には話しをしておいた方がよさそうだ。冬馬は電話でいいとして、樹はどうするか。頼まれた物があるし、その時で――そもそも、いつ渡そう。住所は少年襲撃事件の調書があるからいいとして、夜の哨戒を担当しているのなら、昼間は起きていないだろう。夕方に呼び出してもいいのだろうか。昨日、北原にメッセージを交換しておけと言われているから、ひとまずメッセージを入れて、都合のいい時間を聞いてみるか。
 あれこれと脳内で一人会議をしながら視界に入った光景に、下平は首を傾げた。少年課の扉の前で、榎本(えのもと)がむっつりとしかめ面で仁王立ちしている。何やら朝からご機嫌斜めだ。署員たちが怯えながら通り過ぎていく。もしや、説明もなく動いていたことに痺れを切らして待ち構えているのか。
 ここはとりあえず明るく声をかけようと口を開きかけた時、榎本が気付いて「あっ」と声を上げた。とたん、目を据わらせてつかつかと早足で歩み寄ってきた。その後ろから、
「待て待て榎本、落ち着け!」
 と叫びながら班の四人の部下たちが大慌てで追いかけてくる。しまった、やっぱりか。思わず足が止まる。榎本の顔が怖い。
「しも……っ」
 何か言いかけた榎本を、部下たちが後ろから羽交い締めにしてさらに口を覆った。
「おはようございまーす」
「今日も暑いっすねぇ」
「あっ、煙草吸いに行かなくていいんですか?」
「今なら下の喫煙所空いてましたよ」
 などと言いながらへらへら愛想笑いを浮かべ、もごもごと何か訴える榎本を廊下の隅に引き摺る。単独行動の理由を問い詰められるとばかり思っていただけに、下平は呆気に取られた。何だ、一体。
 しばらく五人で輪になってぼそぼそと話す様を眺めていると、榎本が突然叫んだ。
「だから! 復縁するならそう言ってくれればいいじゃないですか! なんで隠す必要があるのかって聞いてるんですよ!」
「叫ぶ奴があるか馬鹿!」
「大人の恋愛は色々と複雑なんだよ察しろ!」
「繊細なんだよ、特に復縁は!」
「そのうち話してくれるんだから待てよ!」
 ぎゃあぎゃあと警察官とは思えない、いや、いい年をした大人とは思えない騒ぎように、下平は察した。つかつかと五人の背後に歩み寄る。要するにだ。
「誰が復縁するって?」
 部下たちが揃ってひっと引き攣った悲鳴を漏らして背筋を伸ばし、そろそろと振り向いた。目を据わらせて見下ろす下平に、じりじりと後退する。
「いや、その……」
「こ、ここ最近、下平さんの行動がですね……」
「俺たちに、隠しごとがあるように、見えたんで……」
「もしかして、とか……?」
 しどろもどろに答える部下たちに、下平は盛大に溜め息をついた。榎本がすぐに問い詰めてこなかった理由はこれか。リンといい、なんでそんなに復縁させたがるんだ。
「あのなぁ」
「下平さんが不審な行動をするからです!」
 ぴしゃりと言葉を遮ったのは、言わずもがな榎本だ。
「この前は突然出て行ったと思ったらいきなりリンちゃんとナナちゃんを保護しろとか言うし、それなのにあの日どこにいたのか言ってくれないじゃないですか! しかも昨日は昨日で急用があるってそそくさと帰るし。勘繰りたくなりますよ!」
 反論できるならしてみろと言いたげに胸を張った榎本に、下平は苦い顔で頭を掻いた。正論だ。正論だが。
「それに関しては俺が悪かった。謝る。けど、なんでそこで復縁って話になるんだよ」
 部下四人を順に見やると、へらっとした笑いが返ってきた。へらへらと笑い返してくる部下たちに、下平はもう一度息をついた。
「お前ら、人をネタに榎本をからかうな。そんな暇があるなら事件を洗い直すくらいしろ」
 言うや否や、榎本が目を剥いて四人を睨みつけた。
「からかってたんですか!?」
「一つの可能性っつっただろうが! それをお前が……っ」
 こともあろうに先輩の胸倉を掴んで揺さぶる榎本を、他の部下たちが慌てて止めに入る。何だろう、平和だ。お前ら相変わらず仲いいなー、と言って少年課の課長が笑いながら素通りした。止めてくれ。
 下平は、まったくとぼやいて榎本を引き剥がした。
「もうやめろ榎本。からかわれるのも可愛がられてる証拠だ。つーか、お前もっと物事を柔軟に考えろ。いちいち本気で受け取ってたら身がもたねぇだろ」
 ぐ、と榎本が声を詰まらせた。配属されてから四カ月目に入ったが、考え方が硬いだの気真面目すぎるだの、融通が利かないだのと言われるのは相変わらずだ。しかしそれは本人も自覚しているようで、野瀬歩夢(のせあゆむ)の横柄な態度やタメ口はかろうじて堪えていた。配属当初の彼女なら、あそこで説教が始まっている。
 仏頂面で黙りこくった榎本から、部下四人に視線を移す。
「お前らも、可愛がるのはいいが度を超すなよ」
 はーい、と中学生のような返事を返してきたいい年の男たちに苦笑し、下平はまあでもと続けた。
「発端は俺だからな、悪かったよ。けど」
 真剣な面持ちになった下平を、榎本たちが見据えた。
「その代わり、新しい情報を持ってきた」
 えっ、と榎本たちが揃って目を瞠った。
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