第6話

文字数 3,470文字

 下平からの連絡を受けて、すぐ明に電話した。しかしなかなか通じず、何かあったと察した。このまま通じなければ寮に直接行くつもりで資料保管室を飛び出した。やっと電話口に出た明に噛み付くように尋ねた。
「そっちで何か起こってんだろ、教えろ」
 すると明は一呼吸置いて、冷静な声で言った。
「そのままお待ちください」
「待て明!」
 宗一郎の許可がいるのか。咄嗟に呼び止めたものの、下平の名前を出すのは憚られる。一瞬躊躇い、結局出たのは、
「樹をすげぇ心配してる人がいる」
 彼らが樹の過去をどこまで把握しているのか分からない。けれど、どうしても樹と下平を会わせなければならないと思った。例え樹が、クロであったとしても。
 どうして樹に関係することだと知っているのか、明は尋ねてこなかった。あとで聞けばいいと思ったのか、それともこちらの動きを全て悟っているのか。あるいはそんなことを聞く時間すら惜しいような事態なのか。
 その答えは、すぐに分かった。
 あんなことを言ってしまった以上、あとで根掘り葉掘り聞かれるのは間違いない。だが今さら隠しても、どのみち宗史たちが報告する。素直に答えるだけだ。
「陽くん、しっかりしてますねぇ。驚きました」
 一足先に廃ホテルを後にした紺野と北原は、来た時とは別の道を辿って市内へと車を走らせる。
 来た時は渋滞にはまってかなり時間がかかったが、さすがにこの時間に混むことはないだろう。一時間もあれば北原の自宅に到着する。
 感嘆の息と共に吐いた北原に、紺野は少々呆れ気味に答えた。
「ありゃ明似だな。将来が心配だ」
 以前、賀茂親子を加えて土御門家で会った時は、挨拶をした程度でほぼ口を開かなかった。顔立ちや雰囲気が明に似ているなとは思ったが、まさか口調まで似ているとは。さすがに明より幼さが残っている感はあるし、冬馬たちの逮捕を止めた時の様子も、まるで子供が癇癪を起こしているようだった。けれど、あれが高校生、大学生になった時はどうなるか、想像に難くない。明が二人いるなんて、心から晴に同情する。
 ははっ、と北原が力ない笑いを漏らした。さすがに疲れているか。
「お前、眠かったら寝てていいぞ。着いたら起こしてやるから」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、どこかに自販機ないですかねぇ、喉乾きません?」
「だな。あそこかなり埃っぽかったよな、体気持ち悪ぃ」
「俺ちょっと痒いです」
「汗と埃って相性最悪だからな。椿ってあれだろ、水の神だろ。せめて手と顔くらい洗わせてもらえば良かったな」
「椿ちゃんと言えば、前も思ったんですけど、やっぱり可愛いですよねぇ。宗史くんが羨ましいです」
 仮にも神をちゃん呼ばわりか。いや呼び捨ても似たようなものだが。三度目の締まりのない顔を白けた目で見やりつつ、まあ分かるけどとこっそり同意した。
 鈴も女だが無表情で、平たく言うと愛想がない。右近と左近は男にも見えるため範疇に入らない。唯一、人の女に近い式神は椿くらいだ。しかもあれは北原でなくても、街ですれ違ったら確実に二度見どころか目で追いかけるレベルの容姿だ。宗史と並んで歩いていたらさぞや目立つだろう。
 次はいつ会えますかねぇ、と彼女持ちとは思えない台詞を吐く北原に、今度は溜め息をついた。彼女がいようといまいと美人に心躍るのは男の性か。それが例え、式神だろうと鬼だろうと。
「つーか、あの話どう思う。草薙の」
 話題を変えると、北原は表情を曇らせた。
「宗史くんは推測だと言っていましたが、状況から見て十分有り得る話です」
「そうなんだよな。ただ会合での態度は確かに矛盾する」
「他に殺害方法があるとか……でも、大河くんはともかく他の人たちはかなり強いですよ。一般人が敵うレベルじゃないです、あれ」
「同感だ。頭数揃えても、あいつら術が使えるからな。そうなると、やっぱり事件のどさくさに紛れてってのが手っ取り早いか」
「やっぱり草薙じゃないんですかね……いや、でも……」
 口ごもった北原の言いたいことは分かる。
「あの事件の捜査、急いだ方がいいかもな」
「はい、俺もそう思います」
 少女誘拐殺人事件の捜査に関わった捜査員が、以前担当した事件。あれが絡んでいる可能性がある。ただ、気になるのはそれだけではない。
「怜司はどう思う」
 単刀直入に尋ねると、北原はとたんに口をつぐんだ。
 樹を助けるために、あの高さから躊躇なく飛び降りた。いくら策があったとはいえ、無事で済む保証などない。失敗していたら骨の一本や二本では済まなかっただろう。下手をすれば即死だ。あの行動から判断するのなら、シロだ。だから怜司は被疑者から外した。だが――。
 俯いていた北原がおもむろに顔を上げると、真っ直ぐに前を見据え、
「シロだと思います」
 やけに自信たっぷりに言い切った。
「……何でだ」
「俺、あの行動が演技だとは思えません。樹くんを助けたいって気持ちと、大河くんのことを信じていないとできないですよ。そもそも、敵ならあんな危険を冒してまで助けたりはしません。柴が間に合わなかったら、樹くんは死んでました。敵からしてみれば都合がいいじゃないですか。でも怜司くんは助けた。だからシロです」
 まくしたてるように一気に論じると、北原は反論できるならしてみろと言わんばかりに鼻息を吐いた。
 青臭いと思わなくもないが、理屈は通っている。それに下平を信じた理由が同じ「演技だとは思えない」だっただけに否定できない。
「確かにそうだな。敵だったら助けねぇか」
「そうですよっ」
 素直に認めてやると、北原は嬉しそうに目を輝かせて振り向いた。気味が悪いからそんな目で見るな。
「じゃあ怜司の調査はここで打ち切りか。まあ調べてんの明たちにバレるだろうしな」
「調べるとしたら一か所しか心当たりがないですし、あまり気も進まないですしね」
 浮かない顔をして前を向き直った。怜司が第一発見者となった事件は、実に繊細な事件だ。ほじくり返すような真似はしたくない。
「あっと、術のこと聞くの忘れた」
「術? ああ、香苗ちゃんの件ですか」
 香苗が「田舎の祖母」の元へ行く前に起こっていた局地的な地震の原因だ。大河が行使していた術と樹が口にした「地天」という言葉。土や大地を操る術があるのだろう。とすれば、あの地震は香苗が起こしたことになる。彼女の家庭環境を加味すれば、無意識に霊力を行使した可能性が考えられる。
「いいか、どうせ明にはバレるんだ、堂々と聞けば。あとやることは平良の身元と、ついでに譲二も調べとくか。それと例の事件の捜査と、明と下平さんに亀岡の報告して菊池の話もあるし、他には……」
「あっ、良親の携帯の確認もあります」
「そうだそうだ。お前、今やっとけ。あいつ店長なんだろ、スタッフから連絡があったら面倒だ」
「はい」
 言いながら紺野はハンドルを片手に上着の内ポケットを探って、手渡した。
「終わったら電源切って、ついでに指紋拭いとけ」
「……なんか後ろめたいんですけど」
「念のためだ、念のため」
「はーい……」
 気乗りしない返事をして携帯をいじる北原を横目に、下平さんにこの携帯の相談もしなきゃな、と頭の中のリストに付け加える。
 寮の者たちの身元調査を始めて、今日で何日目だろう。まさかこんな事件に発展するとは思わなかった。
 正直、後味は悪い。多数の犠牲者を出した。悪鬼に食われた者たちがどんな生活をしていたのか知らないが、連絡が不通になれば心配してくれる相手の一人二人はいるだろう。捜索願の数が増える。だが、事件性がない限り、成人の失踪に警察は積極的に動かない。自らの意思である可能性があるからだ。
 彼らの家族、友人知人、恋人は、二度と会えない者を、いつか会えると信じて待つことになる。いつ会えるのか、生きているのか死んでいるのか分からない者を待つ辛さは、よく分かる。昴もそうだった。生死が不明のまま二年、探し回った。
 やっと見つけた時には、陰陽師になっていた。
 犬神を知っていたとはいえ、悪鬼を見たのは今日が初めてだ。あんな大量の禍々しい気配、おぞましいという言葉では足りないくらいおぞましかった。彼らは――昴は、あんなものとこれまで、そしてこれから戦おうというのか。しかもあれを従わせることができる千代に加え、鬼もいる。柴と紫苑が味方に加わった――と考えていいのだろう――とはいえ、勝算はどのくらいなのか。
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