第2話

文字数 2,823文字

      *・・・*・・・*

 争奪戦については昼間、近藤の事件の詳細は昨夜食事をしながら明が話してくれた。
 様々な情報が得られ、収穫も多かった争奪戦。尚が隠密裏に動いていたこともそうだが、何より驚いたのは大河の件だ。結界同士をぶつけて反発させるなんて、考えたこともなかった。廃ホテルで、障壁の術を利用して一気にせり上がったのは、樹の提案だと聞いている。彼はたった三年で寮内最強と言われるようになり、哨戒や仕事で実戦経験も豊富だ。加えてあの性格。変わった方法を思い付いても不思議ではない。けれど大河は、彼の足元にも及ばない。それなのに、あんな策を思い付くなんて。
 経験が少ないからこそ、本来の使い方に囚われず思い付くこともある。明はそう言った。
 もちろん、悔しさもある。けれど、考え方、捉え方一つで術は色々な使い方ができるのではないか。そう気付かせてくれた。彼らの柔軟さは、とても勉強になる。
 そんな、陰陽術の広がる可能性に心躍らせていた矢先に、近藤の事件が起こった。
 近藤のGPSは、下平、熊田、佐々木にも通知されている。宗一郎は下平から位置を聞き、左近を向かわせた。しかし現場に彼の姿は見当たらず、すぐに捜索へ切り替えた。式神であり、近藤の気配を知っているとはいえ、人一人を当てもなく探すのは無理がある。そこで左近は、三体の精霊を捜索に向かわせた。あちこち探し回らずとも、そこここに存在する精霊に聞いて回れば何かしら情報は得られる。
 現場周辺には、寿延寺(じゅえんじ)西福寺(さいふくじ)六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)、そして建仁寺(けんにんじ)と、精霊たちにとっては憩いの場となる寺院が点在する。手分けをして聞いて回ったところ、目撃した精霊が複数いた。うち数体が、追いかけているという。彼らは北原襲撃事件を目撃したらしく、近藤のことを覚えていたそうだ。基本的に、精霊は人の諍いに干渉しない。心配や危惧というよりは、興味本位で追ったのだろう。その好奇心旺盛な精霊を左近が追い、行方を突き止め、夏美の携帯で宗一郎へ連絡を入れた。
 これが、警察より早くこちらが近藤の行方を発見した経緯だそうだ。
 そして主犯の動機は、科捜研の採用試験を落とされたことへの逆恨み。近藤を殺害し、のちに遺体を京都府警に送りつけ爆破する計画だったそうだ。さらに、夜遅くに戻ってきた晴によると、共犯者は薬物使用の疑いがあり、クスリを買う金欲しさに協力したのではないかとのこと。こちらについてはまだ憶測だが、今日あたり紺野から連絡が入るだろう。
 犯人たちのあまりに身勝手な動機は、怒りを通り越して呆れた。試験に落とされたからと言って、合格者や関係者を恨んでいては、世の中逆恨みだらけだ。共犯者はもう論外。
 実験台にされた動物たちは不憫ではあるが、とにかく近藤は無事で犯人は逮捕された。この事件はこれで終わり――の、はずなのだが。
 陽は、自室でシャーペンを握ったまま、整然と並んだ数字に向かって息をついた。
 どうにも、左近の捜索方法が気にかかる。確かに、廃ホテルの事件と違い、行方がまったく分からなかったからこその方法ではある。精霊が近藤を追いかけたというのも、まあ、納得できなくはない。向小島の精霊のように協力的な者もいれば、我関せずの者もいる。好奇心旺盛な精霊がいてもおかしくはないだろう。けれど、どうも腑に落ちない。何がと聞かれると困るが、こう、収まりが悪いような違和感がある。
 陽の困惑顔に気付いていたのかいないのか、明は特に何か尋ねるでもなく、報告を終わらせた。
「言うべきかなぁ……」
 だが、言ったところでと思わなくもない。もしこの違和感が当たっていても、どうせ真実は話してくれないだろう。何せ、尚が隠密行動をしていたことをはじめ、柴と紫苑の刀のことや新たな文献のことさえも黙っていたのだから。どうせこちらの反応を見て楽しむつもりだったのだろうし、寮には内通者がいた。仕方がないけれど、せめて晴と宗史には話してもよさそうなものを。
「どうしてこう、あの二人は……」
 つい悩ましい声が漏れる。しかし、思い返せば父の栄晴も似たような部分があった。息子三人には内緒で、誕生日には三段の大きなケーキを用意し、バレンタインには手作りのチョコ菓子を作り、クリスマスには庭の桜に電飾を飾り付けた。誰がこんなに食うんだよ、父親の手作りチョコとか勘弁しろよ、後片付け誰がすんだよ、と晴がその都度突っ込むのがお約束になっていた。呆れつつも、妙子や式神たちを加えて過ごす時間は騒がしく、穏やかだった。栄晴はきっと、母の分まで頑張っていたのだろう。寂しくないようにと。
 ぐっと、ペンを握る手に力がこもる。食べきれなかったケーキも、不格好なチョコ菓子も、もう二度と口にすることはできない。「次」は、もう永遠に来ないのだ。
 じわりと滲んだ涙を慌てて拭い、陽はペンを置いた。気持ちを立て直すように何度か頬を叩き、自分へ言い聞かせる。
「今じゃない」
 泣くのは、今ではない。父と母を思ってアルバムをめくるのも、思いを馳せるのも、すべては事件に幕を下ろしてからだ。
「そういえば、あの電飾まだあるのかな」
 口に出して思考を切り替える。寮に持っていけば使ってくれるだろうし、藍と蓮が喜びそうだ。あとで妙子に聞いてみよう。
 その前にと、陽は転がしたペンを握り直した。宿題を片してしまわなければ。
 数学の宿題は、サマーワークと応用の問題プリントが数枚。サマーワークはもう終わったけれど、プリントの方はなかなか手強い。あれは去年の夏休みのことだ。晴に聞いたら「数学なんざ陰陽師には必要ねぇ」と真顔で返されたので、聞かなくなった。小学校までは教えてくれたのに。けれど、明や宗史もそうだが、寮の皆もいて、教わるには困らない。ただ、樹は意外にも「こんなの習ったっけ?」と首を傾げる始末で、弘貴は説明が分かりにくいので、人は選ばないといけない。
 陽は携帯の時計を確認した。十時過ぎ。明は仕事中だし、宗史は訓練中だろう。茂はこの時間なら藍と蓮のお勉強中のはず――いや、昨日のことで警察に行っているかもしれない。だとしたら華か夏也に、と携帯を持ち上げたその時、
「加減しろ、てめぇこの野郎ッ!」
 庭の方から晴の怒号が響き渡った。ここまで聞こえてくるなんて、いくら敷地が広いとはいえご近所にも聞こえているのでは。何事かと思われやしないか。
 もう、と一つぼやくと同時に、今度はメッセージが届いた。二階堂豪(にかいどうごう)。先日、一緒に図書館に行ったメンバーの一人だ。
 自由研究のことか遊びのお誘いだろうかと思いながら確認すると、珍しい文面だった。ちょっと相談があるんだけど、電話して大丈夫か?
「相談?」
 豪は活発でさっぱりした性格だ。常に前向きなので悩むとしたら成績のことくらいで、細かいことを気にしない。そんな彼が改まって相談なんて、何があったのだろう。
 陽はメッセージを返すことなく、豪へ電話を繋いだ。
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