第4話

文字数 2,317文字

「でっけぇ家」
 まるで行く手を阻むように構える数寄屋門を見上げ、良親は携帯片手に一人ぼやいた。表札には桐生の文字が彫られている。冬馬の実家だ。
 板塀で囲まれた敷地は果たしてどれほどの坪数なのか、見当もつかない。華道の家元ってのはそんなに稼げるのか、ただ花を生けるだけで。日本芸能や芸術には疎く才もないが、もしこんな家柄に生まれていたらどんな理由があっても出て行こうとは思わない。一生楽して暮らせるのに、冬馬はそれを自ら放棄したというのか。
「贅沢な奴」
 ふんと蔑むように鼻を鳴らす。
 さて、実家に来たはいいが、特に目的があったわけではない。探偵やマスコミのように近所に聞いて回るつもりもなければ、もぐりこんで内情を探るつもりもない。では何故来たのかと問われれば、自分でもよく分からない。思い付きで行動を起こす性格であることは自覚していたが、さすがにここまで計画性がないと自分が怖くなる。
 良親は腰に手を当てて長い溜め息をついた。
「何やってんだ、俺……」
 思わぬところから思いもよらなかった冬馬の弱味であろう情報が入り、興奮していたのかもしれない。知ったからと言ってこれをネタに金を取ろうとかアヴァロンを辞めろと脅迫してやろうとか――思わなかったわけではない。
 だが相手は冬馬だ。録音や録画をされて警察に突き出されるのがオチだ。そこまで頭は悪くない。それに下平もいる。荒れていた頃に、少年課の刑事に目を付けられていたせいで苦手意識があり、アヴァロンでは避けまくっていた。向こうは顔も知らないだろう。店長という立場から懇意にしているだろうし、冬馬の噂をわざわざ調べていたと聞いた。冬馬が彼に相談すれば、必ず動く。前科が付くのはごめんだ。
 帰るか。自己嫌悪しつつ踵を返そうとした、その時。
「あの……」
 背後からか細い声が届いた。振り向くと、大事そうに花束を抱えた女が、窺うような面持ちで立っていた。高校生、いや大学生だろうか、なかなかの美人だ。
「何か、御用でしょうか……?」
 そう尋ねるということは、桐生の家の者か。育ちが良さそうな雰囲気や身なりからして家政婦ではない。身内。
「あ――、と」
 門前でぼうっと佇んでいれば不審者だと思われても仕方ないが、だからといって警察に通報されては洒落にならない。良親は営業スマイルを浮かべて言った。
「冬馬、くんの友達なんですけど。久々に会いたいなーって思ってちょっと寄ってみたんです。います?」
 自分で言って全身に鳥肌が立った。冬馬がいたら「友達じゃない」と間髪置かずに突っ込むだろう。そこは気が合う。
 どうせ、いませんと返ってくるのだから、そうですかと立ち去ればいい。そう思っていた良親の想像とは裏腹に、彼女は目を大きく見開いて足早に近寄ってきた。
「冬馬くんのお友達なんですか!?」
「えっ、は?」
 今にも泣きそうな面持ちで見上げてくる彼女を見下ろし、良親は目をしばたいた。抱えている花の香りが鼻腔をくすぐる。
「あのっ、冬馬くん今どこにいるかご存知ですか!?」
 頭が真っ白になった。つまりそれは、行方不明になっている、ということか。
 突然の展開に唖然とする良親に、彼女ははっと我に返って数歩下がった。
「す、すみません。見ず知らずの方に」
 真っ赤に染まった顔を、花束で隠すように俯いた。普段遊び慣れている女としか接しないせいか、その反応は実に新鮮だった。へぇ、と良親は口の中で呟いた。
「俺、ついこの前こっちに戻ってきたんですよ。だからどこにいるかは知らないですけど、冬馬くんどうしたんですか?」
 ここは笑顔よりも心配顔が正解だ。良親は眉尻を下げ、首を傾げて見せた。すると彼女はそろそろと顔を上げ、しかし視線は逸らしたまま、いえその、と口ごもった。先程の言葉に必死な様子といい、おそらく間違いない。冬馬は自分の居場所を隠している。
「あの、実は……」
 意を決したように視線を向けた時、門の脇にある狭い通用口がゆっくりと開いた。
「ああ、やっぱり(あおい)か。何してるんだ、声が響いてるぞ」
 覗いた顔には見覚えがあった。聖羅と一緒に映っていた青年、冬馬の弟だ。
「柊ちゃん……」
「そちらの方は?」
 柊斗は通用口からゆっくりと歩み寄り、葵と呼ばれた女性の隣に並んだ。やっぱり冬馬とは似ていない。どちらかと言えば葵の方がよほど似ているように見える。
「あ、あのね、冬馬くんのお友達。冬馬くんに会いにきてくれたのっ」
「兄さんの……?」
 まるで何かを訴えるような答えに、とたんに柊斗の眉根が寄った。眼鏡越しにじっと見つめてくるその目が品定めされているようで、良親も不快気に眉を寄せた。
「兄はおりません。お引き取り下さい」
 冷たく言い放ち、柊斗は葵の肩を抱いて通用口へ踵を返した。押されるように足を進める葵が、肩越しに振り向いた。
「あのっ、冬馬くんに会ったら伝えてください! 連絡してって、待ってるからって!」
「葵!」
 余計なことを言うな、と葵を叱咤し通用口に押し込むと、今度は柊斗が振り向いた。
「申し訳ありません、今のは忘れてください。失礼します」
 早口でそう言い置いて、柊斗は乱暴に扉を閉めた。ガタンと何度か扉が揺れたところを見ると、かんぬきでもかけられたようだ。
 良親は二人が消えた通用口をしばらく眺め、不意にくっと口角を歪めた。
「これはマジで泥沼かぁ?」
 葵の言葉で確定だ。冬馬は自分の居場所を知らせていない。その上、弟からは疎まれている。なかなか複雑な家庭事情をお持ちのようだ。
 良親は足取りも軽くその場を後にした。
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