第12話

文字数 4,217文字

「近藤、どうした。何か気になるか?」
 送られてきた写真を確認した下平が尋ねると、全員の視線が近藤に集中した。
「んー、まあ、ちょっとね」
 近藤の洞察力は侮れない。正誤は別として、聞いて損はない。
「何だ」
 紺野が促すと、全員が手を止めて近藤を注目する。
「先に言い忘れてたことがあるんだけど、北原くんの携帯のこと」
「あっ」
 しまった、といった顔をしたのは全員だ。北原の携帯には明たちの連絡先が登録してある。
「大丈夫。上着のポケットに入れてたみたいで、霊刀が貫通してた。押収されたから、多分こっちに回ってくるだろうけど、あれじゃ復元は無理。血痕まみれだったし」
 紺野たちが思わずほっと安堵の息を漏らすと、近藤は腕を組み、人差し指を立てた。
「まず一つ目。施設出身者はともかく、里見怜司(さとみれいじ)のことなんだけど、結局身元調査は中途半端なんだよね。彼をシロだと判断したのは、廃ホテルの事件の行動のみ。分からないでもないけど、経歴からして内通者である可能性は高いんじゃないの?」
「問題ない」
 断言した下平に近藤が顔を向けた。
「何で?」
「樹が信用してるからだ」
 即答に、近藤はぽかんと口を開けたまま閉口した。
「何それ……、そんな主観的な理由で納得するわけないでしょ。僕たちは彼を知らないんだよ? 下平さんが僕にそう言ったんだよ?」
「じゃあ紺野と北原を信じろ」
「な……」
 珍しく言葉を詰まらせた近藤に、紺野は目をしばたいた。いくら仲が良いと思っているとはいえ、ここで下平が何故こんなことを言ったのか、そして何故あれで近藤が言葉を詰まらせたのか分からない。だが、あの近藤を黙らせるなんて。熊田と佐々木も夢でも見ているような目をしている。
 近藤はしばらく下平に顔を向けたまま動かなくなり、やがて諦めたような息を吐いて、指を二本立てた。
「じゃあ二つ目。矛盾してる」
「矛盾?」
「そう、矛盾。霊感があっても霊力があるとは限らないってやつ」
 一様に困惑の表情を浮かべると、近藤はこてんと首を傾げた。
「だってさぁ、霊感があっても霊力があるとは限らない。だから陰陽師の数は少ないんでしょ? だったら、何でこの五年でこれだけの数の陰陽師が集まってるの?」
 声も出ないほど虚をつかれた顔をした紺野たちをよそに、近藤は指を三本立てた。
「三つ目。この中で一番長く寮にいるのは青山華(あおやまはな)って人だけど、それ以前はどうなってるの?」
 さらに付け加えられた疑問に、全員が一斉にホワイトボードを振り向いて凝視する。
 そう言われれば、と思った瞬間、思い出した。
「そうか、それだ……」
「何だ?」
 弾かれたように下平が尋ねると、紺野は唇に手を添えて逡巡した。これまで見聞きしてきたことが、一気に頭の中で再生される。そして弾き出された答えに、紺野は目を丸くした。
 どうして気付かなかったのか、と思う反面、知ったからどうなのだとも思う。彼らとて万能ではないし、彼らがいなければ、この世は終わるのだ。
「おい、紺野」
 下平の声に我に返り、紺野は重い口を開いた。
「寮の奴らの身元調査を終えた時、違和感を覚えたんです。何なのか分からなかったんですけど、やっと分かりました。近藤の言う通り、矛盾しています。間違っていません。それに、学生組の調査をした時、対応してくれた教員が言っていました。弘貴(ひろき)春平(しゅんぺい)を預かるために、引き取った親戚は大きな一軒家を新築したらしいと。四人全員賀茂家の親戚だとか、話のほとんどが辻褄合わせでしょうが、そこだけは本当だと思います。寮は、外観も内装もやけに綺麗でした。両家が抱えている陰陽師は、青山華以前にはいません」
 いくらきちんと手入れをしていても、築年数が経った物件は丸ごとリフォームをしない限り、必ずどこかに古さが目につく。けれど寮はそれが窺えず、特に離れの建具はほぼ傷んでいなかった。おそらく会合のみに使われるため、傷み具合が遅いのだろう。
「じゃあ、何……?」
 佐々木が呆然とした顔で呟いた。
「寮の人たちは、集まったんじゃなくて……集められた……?」
 佐々木の声が妙に重苦しく会議室に響いた。もしそうだとすると、式神は知っていたのだろうか。誰が誰を保護したのか分からないが、少なくとも香苗(かなえ)は右近が保護しているのだ。
 熊田が眉をひそめ、困惑した顔で言った。
「もしかして、この事件の目的を阻止するためか? でもそんなこと……」
 言いかけて気付いたらしい、目を丸くして言葉を飲み込んだ熊田に、紺野は頷いた。
「当主のどちらか、あるいは二人が、先見をしたと思われます」
 おもむろに、佐々木が机に肘をついて両手を組んだ。庇を作るように額に当てて、遠慮がちにぽつりと呟く。
「……事件が起こる前に、止められなかったのかしら……」
 それはこの世のすべての事件にも言えることで、誰も叶えることのできない夢だ。たとえ、陰陽師でも。
「刀倉影正がそうだったように、いつ、どこでどんな形で起こるのかまでは、分からなかったんだと思います。俺の推測ですが、この世が混沌に飲み込まれる――そんな光景だけが視えたのではないかと」
 一番初めに保護されたのは、五年前の華。つまり、それ以前に先見をしていたことになる。絶対的な確信がない出来事のために、五年の歳月をかけて陰陽師の資質がある者たちを集め育ててきた。もしかすると外れるかもしれない、もっと先、十年、二十年先のことかもしれない。加えて手段も不明だ。
 それでも、明たちのことだ。あらゆる可能性を考える中、千代(ちよ)の骨のことは候補としてあっただろう。けれど朝辻神社に文献が残されていることまでは、さすがに推理できなかった。両家の当主と矢崎徹しか知り得ない骨の在り処を、誰がどこから得たのか。それが分からない限り、千代の骨が利用されるのは考えにくいと思っただろう。しかし、的中率が高いとされる陰陽師の先見を、無視することはできなかった。
「陰陽師も、万能じゃねぇってことか……」
 熊田がしみじみと言った。佐々木の組んだ両手の指が、手の甲を引っ掻くように滑った。
 この事件は、陰陽師たちなしで解決は有り得ない。だが、人と違う力を持っているとはいえ、一般人や子供らであることに変わりはない。そんな葛藤はあっても、事件の本質を理解しているからこそ、誰も当主らを責められない。
 部屋に垂れ込める息苦しい沈黙を破ったのは近藤だ。
「でもさ、寮が建てられたのが四年前だとしたら、青山華って人はそれまでどうしてたんだろうね」
 ああ、確かに、と言いながら熊田と佐々木が顔を上げた。
「両家のどっちかで暮らしてたんだと思うぞ。華は、保護されたきっかけと思われる事件以降に連絡を絶ってる。心配した友達が直接自宅へ行った時には、もう引き払われていたらしい。陰陽師候補を集めてたのなら寮の建設も頭にあっただろうし、新しく部屋を借りさせたりしねぇだろ。あれだけの屋敷なら部屋は空いてるだろうしな」
「なるほどね。え、もしそうだったとしたら、双子って、青山華と土御門兄弟の上の二人か、あるいは賀茂宗史の子だったりしないの?」
 突飛な見解に、紺野たちは苦笑した。
「何言ってんだ、それはねぇだろ。明はともかく、当時晴は高校生だし宗史は中学生だぞ」
「そうだぞ、大体年がおかしいだろうが」
「五歳よね、どう考えてもおかしいわよ」
「どうした近藤、お前がそんなこと分からねぇなんて」
 紺野、下平、佐々木、熊田の指摘に、近藤は小首を傾げた。
「ほんとに五歳なの?」
「お前なぁ、さすがに疑いすぎだろ」
 あっはっは、と紺野ら四人は笑い声を上げると、示し合わせたようにぴたりと止まって一斉に神妙な面持ちで考え込んだ。
 言われてみれば、五歳だという証拠がないし、昴が五歳の頃と比べて小さい気がする。いやしかし、もし明との子だとしても、彼のことだ。きちんと籍を入れて一緒に暮らしているはずだ。見た目で判断して悪いが、チャラそうな晴の子だとしても、明と(はる)がいるのだからしっかり責任は取らせるだろう。ましてやシスコンで生真面目そうな宗史に至っては有り得ない。そもそも年や出生を隠す理由がどこにある。いや、隠し事が多い奴らのことだ、何か理由が。
「ちょっと、人がせっかく重い空気に気を使って冗談言ってあげたのに、本気にしないでよ」
「デリカシーのない冗談言うんじゃねぇよッ!」
 間髪置かずに噛み付いた紺野に、近藤が心底呆れた息をついた。
「紺野さん、ほんとにあの人たちのこと信用してるの?」
「それとこれとは別問題だろうが!」
 えーどこが、と唇を尖らせた近藤を今すぐ殴りたいが、刑事が警察署の中で暴力行為は洒落にならない。熊田は半分顔を覆い、佐々木は両手で顔を覆って自己嫌悪しているではないか。どうしてくれる。ぎりぎりと歯噛みする紺野を下平が苦笑いでまあまあと諌めた。
 と、机に置いていた携帯が鳴った。反射的に視線を向けて、思わず息が詰まった。液晶には、登録されていない番号。
 北原の家族だ。
 緊張の面持ちで携帯を持ち上げた紺野を、察した下平たちが固唾を飲んで見守る。紺野は深呼吸をして、通話ボタンを押した。
「はい、紺野です」
 らしくない、緊張した声。手にじわりと汗が滲む。電話の向こうから聞こえてきたのは、父親の声だった。その第一声に、紺野は俯いておもむろに前髪を鷲掴みにした。
「そうですか……はい……、分かりました。ご連絡ありがとうございます。……はい、では失礼します」
 下平たちが待ちきれない様子で心持ち身を乗り出した。紺野は携帯をゆっくり耳から離し、わずかに震えた声で告げた。
「……無事、終わったそうです……」
 とたん、言葉にならない安堵の声が上がった。熊田と佐々木は満面の笑みで顔を見合わせ、近藤は脱力して椅子の背にもたれ、下平は相好を崩して乱暴に紺野の髪を掻き回した。
「良かったな」
 ええ、という一言さえ、喉に詰まって出てこなかった。自覚している以上に、気を張っていたらしい。気を抜けばらしくない涙が溢れてきそうで、紺野は携帯を強く握りしめた。
「おっと、捜査本部に報告しねぇと」
 そう言って熊田は慌ただしく携帯を手にし、腰を上げる。俺だ、と言いながら廊下へ出る熊田のあとを追うように紺野も立ち上がった。
「俺も、明に報告をしてきます」
「おう」
 表情がぎこちないせいか、俯いたまま早足で会議室を出る紺野の背中を、下平たちが微笑ましく笑って見送った。
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