第3話

文字数 4,060文字

 社交辞令だろうかと思うほど皆から褒められ、挙げ句の果てに華と夏也からは可愛いとお墨付きをもらった。嬉しくないわけではないが、男としてはやっぱり格好良いと言われたい。
 複雑な気持ちを抱え、洗面所の鏡を覗き込んだとたん一瞬で脱力したナチュラルマッシュとやらは、大河からしてみれば「お洒落に敏感な高校生」がする髪型だった。恐れ多いというか、自分には似合わないだろうと尻込みするレベルのものだ。幼い頃からずっと島で唯一の散髪屋のおじさんに切ってもらっていて、さらにこだわりのなさもありほぼ変えたことがない。それがいきなりこれだ。少々落ち着かないが、皆が似合うと言ってくれるのなら似合っているのだろう。ここは開き直るしかない。
 紫苑はともかく、柴もこんな気持ちなのかなぁ、と思いながらリビングの扉を開ける。
 髪を洗っている時に聞こえた足音は、やはり弘貴と春平だった。宗史と晴と柴と一緒に縁側に腰を下ろしている。夏美は道具を片しており、華と夏也と昴はシャワーに行っているらしい、いつの間にか下りていた美琴が昼食の下ごしらえをしていた。
 また縁側の前では、双子が箒とちりとりで髪を掻き集め、紫苑がゴミ袋を広げて待ち構えている。その側で、椅子を寝かせ、脚に付いた砂を丁寧に拭き取る茂を見て、大河は小走りで縁側に出た。言いだしっぺが片付けないでどうする。
「しげさん、すみません。俺も手伝います」
 振り向いた弘貴と春平がおっと声を上げた。
「あ、じゃあこの椅子を戻してくれるかな」
「はい」
「あとはもう終わってるから、宗史くんと晴くんから話しを聞いてね」
 椅子を起こしてダイニングテーブルへ運びながら、肩越しに振り向く。
「話し?」
「うん」
 茂はにっこり笑って、掃除が終わった紫苑たちに顔を向けた。お手伝いしてくれてありがとう、と礼を言って手を洗ってくるように促すと、ゴミ袋を抱えて玄関の方へ姿を消した。裏のゴミ置き場へ行ったのだろう。
 藍と蓮に手を引っ張られてリビングを出る柴と紫苑を見送り、大河は縁側に戻って宗史と晴の後ろに腰を下ろした。
「大河、垢抜けたって感じだなぁ。めっちゃ似合ってる。そっちの方がいいよ、お前」
「僕もそう思う。似合ってるよ」
「ありがと」
 同年代の褒め言葉はことさらに照れる。大河は首筋に手を当てて照れ臭そうに笑った。
「大河くん、ちょっと見せてね」
 縁側に上がった夏美が側で膝を付き、後ろを見てから両サイドの髪を摘まんで長さを確認する。
「うん、いいわね」
「夏美さん、ありがとうございました」
「いいのよ。私も楽しかったしね」
 うふふ、と肩を竦めて笑うと腰を上げ、ダイニングテーブルへと向かった。椅子に腰かけ、用意されてあったグラスを手に、カウンター越しに「お昼ご飯は何にするの?」と美琴に声をかけた。
 大河は体ごと振り向いた宗史と晴に顔を向ける。
「宗史さんたち、お昼一緒?」
「いや、うちに戻る。昼から父さんに仕事が入ってるから、その準備もあるし」
「俺はちょっと哨戒してから帰るわ。こっちも仕事入っててさ、朝のうちに準備はしたんだけど、チェックしねぇと」
「二人とも忙しいのに、ごめん。ありがとう」
「いいって、気にすんな。面白いもん見れたしな」
「確かに」
 喉を鳴らして笑う二人につられて、弘貴と春平も肩を震わせた。どうやら聞いたらしい。
「それで、話って?」
「ああ、それなんだけど」
 宗史は膝に乗せていた影正のノートを開いた。
「先日の件と同じようなことがないとも限らないだろう。また同じ量の悪鬼と対峙すると、初級の結界では防ぎ切れない。お前は飲み込みが早いし、できる限り強力な結界を会得させた方がいいんじゃないかって、しげさんに言われてな」
 宗史は結界の真言が並んだページで止め、大河に向けて床に置いた。
「それ、俺も考えてた。もう一段階くらい強いの覚えたいなって。鋭尖の術も完全に防げなかったし」
「そうか。ならちょうど良かった」
「大河の九字結界なら無敵だろうけど、あれ全方向をカバーできねぇからな」
「九字結界の弱点だな。そこでだ、美琴を見習って事前に真言を覚えてもらう」
「……まさか、今すぐこれ全部覚えるの?」
 大河は戦慄してノートに目を落とした。
「いや、さすがにそこまではな」
 苦笑した宗史に、大河はほっと胸を撫で下ろした。各級の結界は一つではない。複数あり、段階ごとに一つずつ会得しながら霊力を引き出して、限界を見極めるのが通例だ。
「とりあえず初級の結界はクリアとして、中級の上、中、下のレベルのものを一つずつ覚えてもらう。それがクリアできれば同じように上級だ。正直言ってこんなやり方は前例がないが、お前の霊力量と集中力なら問題ないだろう。それに、樹さんが言うように実戦で成長するタイプなら、覚えておいて損はない」
独鈷杵(どっこしょ)も扱えるし、霊力量だけなら上級の結界ガンガン張れるレベルだからな」
 ああ、と頷いた宗史に、大河は不安げに眉尻を下げた。
「できるかなぁ……」
 確かに、巨大結界を張れるほど霊力は引き出されている。しかし、だからといって飛び級みたいなことをして会得できるほど、自分を器用だとは思っていない。むしろ、何をするにも省吾より一歩も二歩も遅れる程度には不器用だ。強力な結界を覚えたいとは思ったが、まさかこんな方法を提示されるとは。
「できるかできないかなんて、やってみなきゃ分かんねぇだろ。やる前から悩んだってしょうがなくね?」
 さらりと告げた弘貴に、大河は渋面を浮かべた。他人事だと思って。
「お、いいこと言うじゃねぇか弘貴」
「でしょ? てかさ、大河。お前、頭使うより体で覚えるタイプだって自分でも言ってただろ。だったらごちゃごちゃ考えてねぇでやってみろよ。つーか」
 弘貴は真っ直ぐに大河を指差した。
「馬鹿みたいな量の霊力持っててできるかなぁとか、嫌味にしか聞こえねぇから。ムカつく!」
 突然のムカつく宣言に、大河は目を丸くして固まった。宗史と晴に春平、はたまたダイニングテーブルでまったりしていた夏美、そして手洗いから戻った柴たち、ゴミ捨てから戻った茂も庭で立ち止まって目をしばたいている。
「大体なぁ、段階すっ飛ばしていきなり独鈷杵使うとか有り得ねぇことやっといて、今さら自信なさそうにすんな! その無駄にある霊力有効活用しろ馬鹿!」
 弘貴は、すっきりしたように勢いよく鼻息を吐いた。一方大河は、きょとんとした顔で弘貴を見据えている。
 言われてみれば、確かにそうだ。小難しいことを考えるのは向いていない。そう自覚していたはずなのに。
 そうだ、シンプルに考えろ。
 もう、今さらあと戻りはできない。戻るつもりもない。なら進むしかない。
 (かい)と再び対峙した時に自分がどうなるか。いつか暴かれる自分の本心も、想像しただけで恐怖に押し潰されそうになる。
 でも、やってみなければ分からない。進んでみなければ、見えないことがある。
 今分からないことに怯えて、今やるべきことを見誤るな。大丈夫、一人じゃない。皆がいる。
 やがて大河は息をつき、口元に微かな笑みを浮かべた。
「そんなの弘貴に言われなくても分かってるよ。ていうか、弘貴に馬鹿とか言われたくないんだけど」
 挑発的な目付きに、弘貴がぴくりと頬を引き攣らせた。
「はあ? 言っとくけどな、定期テストの最高順位二百二十人中で九十番台だからな!」
「それを言うなら俺は二百三十人中で八十番台取ったことあるもんね」
「最高点数八十点!」
「俺は八十五点取った!」
「小テストなら九十点!」
「俺もある!」
 ぬう、と唸り声を漏らし睨み合う二人を眺めながら、宗史が顔を覆って溜め息をついた。
「何を競い合ってるんだ……」
「また微妙な順位だな」
「それ以前に、学校が違うんだから比べるだけ無駄だと思うんですけど……」
「言えてるねぇ。ああでも、九十点のテストは嬉しかったなぁ。僕、あれを見た時は泣きそうになったんだ」
 茂がくすくすと笑いながら庭から縁側に腰を下ろし、柴と紫苑が双子を膝に乗せて大河の隣に正座した。
「あれ、ヤマを張って当たっただけですよ?」
「えっ、そうなのかい?」
「春、お前余計なこと言うんじゃねぇ!」
 春平の暴露に弘貴が慌てふためき、大河がにやりと口角を歪めた。見事な悪人面だ。
「なんだ、たまたまじゃん。俺はちゃんと勉強したもんね」
「当たり前のことでドヤ顔するな。毎日きちんと予習と復讐をしていれば出来て当然だろう」
 涼しい顔で至極まともな指摘を放り込んだ宗史を、大河と弘貴が鋭い眼光で睨みつけた。春平と茂はうんうんと頷いている。
「それは頭が良い人の言い分で悪い奴には通用しないんだよ!」
「そうですよ! 予習と復讐で良い点が取れれば誰も苦労しませんよ!」
「これまでまともに予習復習をしたことのない君が言うことじゃないねぇ」
 弘貴に向けて言ったのだろうが、茂の尖りまくった指摘に大河も一緒に貫かれて撃沈した。二人揃って床に伏せ、うう、と唸り声を上げる。
「駄目だ、このメンツじゃ俺らに勝ち目はねぇ……」
「同感……」
 と、大河は閃いたようにがばっと体を起こした。
「晴さん! 晴さんはどうだった!?」
 以前、進路の相談をした時に勉強は好きではないと言っていた。弘貴も弾かれたように起き上がり、二人は前のめりに晴に迫った。
 仲間が欲しいと顔に書いた二人から期待の眼差しを向けられ、晴は目を据わらせた。
「お前ら、その質問することが失礼だって気付いてるか?」
「そんなのいいから! どうだったの!?」
 もう必死だ。晴は憐みを含んだ溜め息をついて言った。
「あのなぁ、確かに勉強は嫌いだったけどテスト前はしてたし、常に四十位までには入ってたぞ?」
 聞き間違いだろうか。大河と弘貴は呆然とした顔で晴を見据えた。
「……常に?」
「常に」
「裏切り者!!」
「何でだよッ!」
 間髪置かずに二人から裏切り呼ばわりされ、晴は噛み付くように突っ込んだ。こやつらは学問が苦手なのか、と紫苑が茂と春平に問い、うんそうだよと茂が即答した。
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