第14話

文字数 2,642文字

 なんで俺ってこんななのかな。大河はいつか思ったことと同じ反省をし、柴と紫苑の部屋を開けた。以前、影正と泊まった二人部屋だ。
 どうせ見るなら女の子の方がいい、なんてあの二人の前で口が裂けても言うべきではない。完全に失言だ、もう一生ネタにされる間違いない。二十二世紀の便利ロボットにタイムマシンを借りて自分をぶっ飛ばしたい。
 あの後、散々二人にからかわれ、明日この世が悪鬼で埋め尽くされようと地球が爆発すると断言されようと、絶対に女性陣には聞かれたくないボーイズトークで盛り上がった。結果樹が出した答えは、
「大河くんって、純粋培養に見えるけどちゃんと男の子だったんだねぇ」
 だ。何だ純粋培養とかちゃんと男の子とか。十七にもなれば男なら誰でも興味を持って当然だろう。完全に子供扱いされている。確かに付き合ったことはないし、キスはおろか手を繋いだことさえない。風子とヒナキは別として。
 しかし最後には、
「でも、ここ寮だから」
「少しでも不審なことをしたら即叩き出す」
 とにっこり笑顔でしっかり脅された。何だ不審なことって。風呂でも覗くとでも思われているのか。そんなことをすれば袋叩きどころかいっそ全力で調伏される。そもそもそんなことしようと思ったことがない。そして眠気のせいでおかしなテンションになった下ネタ全開の男三人を、柴と紫苑はどう思ったのだろう。
 何にせよ、自らあの二人にネタを提供してしまったのだ。これが落ち込まずにいられるか。
 暗雲を背中に背負い、襲う眠気と共に重い溜め息を長く吐き出した大河は、扉横のスイッチを押して明かりを点けた。灯った明かりに、柴と紫苑が眩しそうに目を細める。適度に冷えた部屋に驚かないのは、すでにリビングでそれを体感しているからだ。
 スイッチとエアコンの使い方を説明して、大河は風呂上がりに夏也から渡された小ぶりの紙袋と一緒にベッドの端に腰を下ろした。華が運んだ風呂敷が二つ置いてある。
「他に何か分かんないことある?」
 先程、部屋に入る前に洗面所に寄り、トイレと歯磨きを教えた。話を聞くと、歯を磨く習慣は平安時代にもあったらしく、今で言う爪楊枝のようなものを使っていたそうだ。しかしさすがに歯磨き粉はなくミント味に驚いていたが、怜司が薄荷だと言ってやると納得して素直に受け入れてくれた。ただ、発泡する様には終始怪訝な顔を浮かべていた。
 二人に説明をする横で、樹と怜司は目を半開きにして歯を磨き、終わると早々に大河に丸投げしてふらふらと部屋に引っ込んだ。ゆえに、今の状態だ。
 スプリングで跳ねるベッドが不思議らしい。手で押して何度も感触を確かめる柴が、いやと首を振った。大河と対面の位置に、ゆっくりと腰を下ろす。側に紫苑が控えた。
「ない」
 そっか、と大河は力なく笑みを浮かべた。今にも瞼が落ちそうな大河を見て、柴が言った。
「もう十分だ。休め」
「んー……」
 疲労もあり、風呂に入ったことで完全に副交感神経が優位に働いていて、今にも倒れそうだ。
本当は、すぐあの日のことを謝りたい。助けてもらったこともお礼を言いたいのに、さすがに限界だ。このまま虚ろな意識で話をして記憶が曖昧になるより、きちんと意識がある時に話した方がいいだろう。というか、もう動きたくない。このままここで寝たい。
 しかしベッドを取るわけにはいかず、大河は紙袋を持って重い腰を上げた。目が開いていない。
「色々話したかったんだけど、明日にする。ごめん。俺の部屋、向かいだから……」
 口が上手く回らず、自分の声さえ遠くに聞こえる。と、ぷっつり意識が途切れた。ぐらりと体が傾いで持っていた紙袋が手から滑り落ち、中に入っていた物が散らばった。
 力強い腕に支えられた感覚と、すぐにふわりと浮いた感覚が心地良くて、大河は吸い込まれるように眠りに落ちた。


 大河の体が傾いで、咄嗟に二人同時に手が伸びた。立ち上がった柴は腕を、紫苑は背中を支える。足に力が入っていないため安定が良くない。一旦ベッドの上に横たえた。心地良さそうに寝息を立てはじめた大河を見下ろし、紫苑が問うた。
「いかが致しましょう」
 無防備な寝顔を見つめていた柴が、おもむろに腰をかがめ、背中と膝裏に腕を差し入れて軽々と持ち上げた。
「向かいの部屋だな」
「そのようです。柴主、私が」
「いや、いい。その袋と扉を」
「承知致しました」
 言われるがまま、紫苑は散らばった物を拾い集めて紙袋に入れ、扉を開ける。
 廊下の突き当たりにある天井までの窓からは、月明かりが差し込んでいる。すでに照明は落とされているが、月明かりと夜目が利くため十分だ。
 しんと静まり返った廊下を、二人は足音もなく向かいの部屋まで行く。他の部屋の扉に下がっているプレートは、大河の部屋にはまだない。
 ゆっくりと扉を押し開けると、冷えた空気がじわりと流れ出てきた。紫苑は部屋を見渡し、他に人がいないことを確認してから足を踏み入れた。扉を押さえたまま、柴を招き入れる。
 教科書やノート、問題集やプリントの束が雑多に積み上げられている机に紙袋を置きながら、紫苑は呆れ気味に短く息をついた。どうやらなかなかの粗雑な性格のようだ。
 目に止まったのは、唯一きちんと揃えられている霊符だ。まだ練習中らしく、非常に拙い。紫苑は少々不安気に眉を寄せて、主を振り向いた。
 ベッドに大河を横たえ、ゆっくりとタオルケットを掛けてやっている。首元まで掛けたあと、不意に大河がもぞもぞと動いた。どうやら顔にかかる前髪がくすぐったいらしい。タオルケットから手を出して甲でごしごしと顔を擦ると、ぱたりと横に落とした。
 擦ったせいで髪が顔に張り付いてしまっている。柴が一瞬躊躇った様子を見せ、しかしゆっくりと、遠慮がちに手を伸ばした。鋭い爪が肌に当たらないようにと、慎重に指先で髪を左右に分ける。
 そんな主の背中を、紫苑は黙って見守った。
 千年前には見たことのない、茶色がかった髪。長い時を経て幾人もの血が混じり、姿形を変えた、影綱の子孫。容姿や性格は全くの別人でありながら、身の内に宿す霊気は影綱と同じものだ。
 主の心境は、如何なるものか。
 規則正しい寝息を立てる大河を見つめていた柴が、踵を返した。その表情はいつもと変わりないが、纏う雰囲気が、どこか違っていた。
 無言のまま部屋を後にした柴に続き、紫苑は静かに扉を閉めた。
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