第12話

文字数 5,448文字

「あたし、あの人苦手」
 刀倉家を出た帰り道、坂を下りながら風子がぼそりと言った。
「あの人?」
 省吾が問い返すと、風子は前を見据えたまま唇を尖らせた。
「宗史って人。なんか、冷たい感じ」
 ああ、と省吾は思い当たった。先ほどの、大河と口論になりかけた時の台詞だろう。
「何でそう思う?」
 冷静に尋ねる。ここで反論すると、風子は意固地になって人の言うことを聞かない傾向がある。長年の経験だ。
 だって、と膨れ面のまま言った。
「日記に書いてあったのに。柴って鬼が穏やかな性格だって。確かにたーちゃんたち襲われたし、それはムカつくけど、でもちゃんと理由あったのに。牙って式神が言ってたじゃん。それなのに、鬼と人の間に友情は成立しないとかさ。そんなの分かんないじゃん。てか実際成立してたんでしょ。冷た過ぎ。ああいう人、苦手」
 一気に言うと、風子はむっつりと口を閉じた。
 大河が眠っている間、牙から多少の情報が得られた。
 柴という鬼は、日記に記されていた通りの穏やかな性格だったらしい。人肉と精気を主食とするにも関わらず、彼は人を殺すことがなかったという。主に山に生息する野生動物を食し、とはいえそれだけでは衰える。時折、山賊や人を襲う罪人の精気を少しずつ吸い、山で生き倒れ、すでに息絶えた人の肉を食らっていた。しかし、食い散らかすことはせず、きちんと埋葬し手を合わせていたそうだ。
 そんな、まるで人間のような鬼が何故今回に限って大河を食らおうとしたのか。そう尋ねると、牙は当然のように言った。
 千年も封印され、何も口にできず極限まで腹が減っていたせいだ、と。人とて腹が減れば食べ物を奪い合い殺し合うだろう、と。
 妙に納得した。牙の例えは歴史が証明している。そうして、人は繰り返し飽くことなく争ってきた。生きるために。
 しかし、宗史の言うことも理解できる。所詮、鬼は鬼だ。あれが本性だと言われれば納得せざるを得ない。実際、大河は深手を負った。そもそも、風子が宗史に対して苦手意識を持とうが好意を持とうが、それは風子の問題で、説得してまで宗史への意識を変える必要はない。だから、
「そうか」
 としか返しようがない。
 そっけない省吾の答えに不満だったのか、風子は足を止めた。
「ほんとは、たーちゃんが京都に行くの反対だったんだからっ」
 拳を握って俯いたまま言い放った風子に、省吾とヒナキが足を止めて振り返った。
「怪我もまだ治ってないし、鬼とか陰陽師とかっ。あんな冷たい人と一緒で、もしまた襲われて見捨てられたらどうすんのっ。たーちゃんが納得してたから言わなかったけどっ」
 大河の意思を尊重したのは上出来だ。だが、さすがに見捨てることはないだろう。
「俺と大河も、初めはあの二人怪しいって思ってたんだ。けどまぁ、色々話してみて、大丈夫だって判断した。宗史さん、冷静だから冷たく見えてるだけじゃないのか?」
 冷静沈着を絵に描いたような人だと思った。けれど、晴に対する態度はまるで芸人のツッコミ役だし、大河が怪我を負って帰ってきた時は、どこか申し訳なさそうな、落ち込んだ雰囲気だった。本人は努めて冷静を装っていたようだが。
「同じ冷静でも省ちゃんは冷たく見えないよっ!」
 勢いよく顔を上げて言い放つと、風子は駆け出した。
「おい、風子!」
「ふ、風子ちゃんっ」
 ヒナキが驚いて風子の後を追おうとした時、風子が足を止めて振り向いた。
「省ちゃん、ヒナのこと送ってあげて! あたし先に帰るっ!」
 有無を言わさない勢いでそう言い置くと、風子は脱兎のごとく走り去った。
 風子の足にヒナキが追いつくはずがない。呆然と風子の背中を見つめるヒナキの背中を、省吾は軽く叩いた。
「しょうがないな、あいつは。行くぞ、ヒナ」
「あ、うん……」
 無言でゆっくり坂を下る。
 そうか、俺は冷静に見えてるのか。
 風子に言われた言葉を思い出しながら、省吾はほっとする。こうなるまで、自分でも努力してきたと思う。冷静に判断し、決断する。そんな人間にならなければと思ったのは、小学生の頃だ。
「あのね」
ふとヒナキが口を開いた。
「え、うん?」
 慌てて思考を戻し、ヒナキを見下ろした。身長差が二十センチ近くあるヒナキが俯くと、省吾の視線から表情は窺えない。そよ風になびくヒナキの色素の薄い髪を見ながら、省吾は次の言葉を待った。
「風子ちゃん、大河お兄ちゃんのこと、心配だったんだよ」
「うん」
「今日ね、夏期講習の説明会行く前に、昨日の夜にお兄ちゃんたちが襲われたって聞いたの。風子ちゃん、すごく動揺してあたしに電話してきて、説明会行かないって。大河お兄ちゃんのとこ行くって言って聞かなくて。結局、風子ちゃんのお母さんが大河お兄ちゃんちに連絡して、何ともない大丈夫だって分かって説明会行ったんだけど、風子ちゃん、ずっと上の空で。しかも、また怪我したでしょ。鬼とか陰陽師とか、漫画みたいなことに巻き込まれて。風子ちゃんじゃなくても、心配すると思う」
「そうだな」
「でもね……」
 不意に口をつぐんだヒナキに、省吾はそれでも黙って言葉を待った。次の言葉を慎重に考えている時や、言うべきかどうか迷っている時のヒナキの癖だ。しばらくすると、ヒナキは意を決したように言った。
「あたしは、宗史さんの意見、間違ってないと思う」
 意表を突かれて、省吾は目をしばたいた。幼い頃からずっと風子と一緒で、同級生から金魚のフンなどと言ってからかわれていたこともある。だからなのか、もともと感性が似ているのか、ヒナキが風子に反論したところを見たことがない。
「それは、なんでだ?」
 珍しく自分の意見を述べるヒナキに、省吾は少しの嬉しさを覚えながら尋ねた。
「あの……今回、大河お兄ちゃんたち皆が怪我したのは、鬼のせいでしょ? もし本当に穏やかな性格だったとしても、影綱さんの友達だったとしても、それが、あたしたちに向けられるものとは限らないと思う。それに……次に会った時、正気なのに襲われたら……」
 尻すぼみに言い淀んだヒナキの言葉は、省吾も懸念していた部分だ。
「だからね、もし宗史さんが同じように考えてたとしたら、風子ちゃんが言うような冷たい人じゃないんだと思う。宗史さんも、大河お兄ちゃんのこと心配したんじゃないかな」
 性格の違いだろうか。
 大河と風子は日記の内容を信じ、襲うだけの理由があったのだから次は違うと言う。片や宗史とヒナキは、日記の内容や牙からの情報を鵜呑みにすることなく、自分の目を信じ最悪の事態を想定した。
 大河と風子は純粋と言えば聞こえはいいが、単純で安易だ。宗史とヒナキは慎重と言えば聞こえはいいが、臆病だ。もしもの時、傷付かないように保険をかけた。
 てことは俺も臆病か、と省吾は苦笑いをこぼした。
 あの時宗史が言わなければ自分が言っていた。多分、宗史は自ら嫌われ役を買って出たのだ。大河はさすがにあの程度で嫌いにはならないだろうが。
「で、でもねっ、風子ちゃんの気持ちも分かるんだよっ」
「うん?」
 突然、勢いよく見上げてきたヒナキに、省吾は首を傾げた。
「今まで架空の存在だと思ってた人たちがほんとにいて、しかも仲良くなれるかもしれないって思ったら、素敵だなって……思うし……子供っぽい、かな?」
 我に返ったらしいヒナキはもごもごと口ごもりながら俯いた。
 鬼を「人」と言い切るのはヒナキらしい。鬼を動物だと捉えているのなら「匹」と数えるだろう。どうやら鬼と人を区別していないらしい。
 ああもう大河のことからかえねぇな、と省吾はまたも嬉しさを覚えた。幼い頃から見てきたとはいえ、中学三年生はまだまだ子供だと思っていた。特にヒナキは消極的過ぎて心配だった。けれど、いつの間にかきちんと自分の意見を言えるようになっていて、安心した。
 省吾はヒナキの髪を軽くかきまわした。
「いいんじゃないか? そういう気持ちって、俺は大切だと思うよ」
 うん、と照れたように頷いたヒナキを見て、
「つーかさ」
 とわざとらしく溜め息を吐いた。
「お前ら、俺のことは心配じゃなかったわけ? 一応俺も襲われたんだけど」
 昨夜はむしろ省吾が標的だったのだ。初めは知らなかったにしろ、心配されて然るべきだと思うのだが。
 悲しげに訴えた省吾にヒナキが慌てて袖を掴んだ。
「し、心配だったよちゃんとっ。でも省吾お兄ちゃん大河お兄ちゃんよりしっかりしてるしっ。って、大河お兄ちゃんがしっかりしてないって意味じゃないんだけどっ。あの、だから……っ」
 どう言うべきか困った顔で見上げてくるヒナキに、省吾は噴き出した。良い子に育ってんなぁ、と思わず父親心が生まれる。
「ありがとな、ヒナ」
 くつくつと笑う省吾に、ヒナキがうんと頷いた。
「危ないこと、ないよね」
「平気だろ。じいさんも一緒だしな」
「うん」
 ただ気になるのは、鬼たちの方だ。
 柴という鬼が、長年封印され極度の空腹のせいで正気を失っていたのなら、同じく封印されていた紫苑も正気を失っていた可能性が高い。空腹が原因ならば、食事を与えて正気を取り戻させるしか方法がない。つまり紫苑は、人を食らって正気を取り戻したことになる。おそらく柴もそうするのだろう。
 ならばその生贄とも言える人々は、どこで調達したのか。滋賀県の山中に封印されていたのだから、下山して街の人々を食らったのか。正気を取り戻すのにどのくらいの人間が必要なのかは分からないが、人より確実に屈強な肉体を維持するのなら一人二人ではすまないだろう。食い散らかされた人の遺体が発見されれば当然大騒ぎになる。しかし、そんなニュースは報道されていない。何かしらの方法で隠蔽されているか、まだ見つかっていないのか。
 疑問はまだある。
 紫苑は柴の封印場所をどこから知り、どうやってこの島に来た。
 鬼の封印場所はおろか、大戦のことは史実として残されてはいない。一般には知り得ない情報だ。それなのに、紫苑はここへ来た。どこから情報を得たのか。
 さらに、この島へ上陸した方法だ。いくら身体能力が優れているからと言っても、船を使わずに渡る方法はない。しかし、平安時代の鬼が現代の船を操縦できるはずがない。体力があるのなら自力で泳いで来たとも考えられるが、話を聞く限り着物が濡れていたようでもない。
『何者かがどこからか情報を入手したということになる』
 宗史たちが睨んでいる通り、情報を入手した「何者か」が協力していると考えた方が自然だ。
 しかも「何者か」は人であり、かつ陰陽師かもしれない。
 宗史さんたちの携帯番号、聞いとくべきだったな。
 わざわざ言うまでもなく、彼らなら気付いているだろう。数々の疑問と、影正と大河を連れていく危険性を。
 自分に何かできるわけではないことは承知の上だ。だが、せめて大河へと繋がる関係者全員と連絡手段を確立しておきたい。
「あいつ、無茶するからなぁ……」
 頭より先に体が動き、理性より本能を優先するタイプだ。これまで何度大河を制止したことか。走馬灯のように駆け巡る幼い頃からの苦労に、省吾は深い溜め息をついた。
「省吾お兄ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
 つい長考してしまった。遠慮がちにシャツの裾を引っ張って顔を覗き込んだヒナキの心配げな顔に、我に返った。
「あ、ああ悪い。ちょっと考え事」
「……なんか、気になることあるの?」
 臆病で内気なだけに、人のことをよく見ている。だがさすがに心配を煽りたくない。省吾は心の中で大河に謝りながら、色々思い出してたんだ、と幼い頃の苦労話を語って聞かせた。
 まずは、省吾が止めるのも聞かずに好きな女子のスカートをめくって泣かせた話。
「大河お兄ちゃん、サイテー……」
 次は、男子の間でカンチョーが横行した時、対策として尻にノートや下敷を入れた奴にかまして突き指をした話。
「男子ってほんと何してるの……?」
 漁港の消火器をいじっていて派手にぶちまけ、漁師のおっちゃんたちからコブができるほど拳骨を食らった話。
「お掃除、大変だっただろうね……」
 大河の家から坂道を自転車ノーブレーキで下り、カーブを曲がり切れず畑に突っ込んで植えたばかりの苗を駄目にした話。
「おじさんたちの苦労が……」
 遊びに来た風子とヒナキにカルピスと偽って小麦粉を水で薄めた液体を飲ませた話。
「あれ以来、カルピス飲む時ちょっとためらうの……」
 神妙な顔でぼそりと言ったヒナキに、ごめんと苦笑いで謝る。すべて止めたのに大河は強行し、しかも省吾はとばっちりを食っている。
「なんか、色々やらかしたなぁ」
 後は……、と思い出したのは、島の裏の洞窟だ。まだ誰にも話していない、二人だけの秘密基地。
 省吾はふっと笑みを浮かべた。あの洞窟は、まだあるだろうか。
「楽しかったんだね」
 微笑ましげに笑うヒナキに、省吾は逡巡して頷いた。
「今思えば、俺も本気で止める気なかったのかもなぁ」
 いたずらをしている最中、うきうきしていたのは本当だ。
「まあ、可愛らしいいたずらだったよな」
「……カルピスは可愛くないよ」
 珍しく恨めしそうに上目遣いで見上げてきた。だからごめんって、と謝りながらヒナキの自宅へと向かった。

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