第14話

文字数 6,499文字

「確か、剣道を習ってたよな」
「うん」
「じゃあやっぱり刀か……洋剣でもいいが、どっちがよりはっきり想像できる?」
「刀かな」
 即答に驚いた。ゲームをよくするようだったから剣の方かと思っていた。
「じいちゃんが刀好きでさ、部屋に模造刀とかあったから。子供の頃よくそれで省吾と遊んで怒られてたんだ」
「お前らしいな」
 宗史は小さく笑い、じゃあと言って距離を取った。
「初めは結界を張る時と同じだ。いくぞ――独鈷杵を握って、目を閉じて」
「うん」
 言われるがまま、大河はしっかりと独鈷杵を握って目を閉じる。自然と両足が肩幅に開いているあたり、体で覚えるタイプの大河ならではの飲み込みの早さだろうが、樹の指導力の賜物でもある。昨日の数時間でよほど叩き込まれたのだろう。
「力を抜いて、呼吸を整えて」
 ふっと肩から力が抜け、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
「霊力を手に集中させて」
 島で自主的に練習しただけで略式とは言え術を発動させ、昴の霊刀を防ぐほどの結界を張れるのなら、ここまでは問題ないだろう。
「霊力を独鈷杵に移動――」
 問題はここからだ。しばらくしても、独鈷杵はうんともすんとも反応を見せない。霊力が移動しているのなら、手の中から光を放つはずだ。
「独鈷杵に力を注ぐイメージで。ゆっくり、焦らないでいい」
 さすがに無理かなと思いはするが、術も結界も中途半端とは言え成長ぶりには目を見張るものがある。それに、何より目の前で必死になっている大河を見ると、こちらが諦めるわけにはいかないとも思う。額から流れる汗が、顎から滴となって滴っている。
 むむ、と大河の眉間に皺が寄った。すると、仄かな光が手の中から漏れた。縁側の方から、お、と小さく声が上がった。
「そのまま、集中を切らすな」
 結界と霊刀。最低でもこの二つが揃えば、後方支援として早々に仕事に参加させることも可能だ。飲み込みの早い大河なら、経験値も上がる。そうすればかなりの戦力アップにつながるのは間違いない。
「いい感じだ。もう少し」
 じわじわと光が強さを増していく。これなら。
「そのまま保って、刀をイメージして。できるだけはっきりと」
 はっ、と大河から苦しげな息が漏れたが、すぐに立て直した。普段は少々落ち着きがないが、樹の言う通り、この集中力は確かに凄まじいものがある。刀倉家では剣道を嗜ませる習わしがあると言っていたが、今まさに役立っている。
「粘土を形成する感覚で、少しずつ」
 そう助言すると、発芽した植物のように細い光が弱々しく伸びた。次第にミミズほどの太さになり、だが今にも倒れそうにふらつくと、さらに太さを増して自立した。このまま長さを伸ばしてから形を整えた方がいいか。
「形は気にしなくていい、伸ばして」
 すごいな。宗史は声もなくそう呟いた。まさかここまでできるとは思っていなかった。
「く……っ」
 不意に、大河の口から苦しげな声が漏れた。と思ったら、棒状にまで太かった光が突如としてホースのように長く伸びた。そこまで伸ばせとは言ってない。
「大河、落ち着いて。大丈夫、ちゃんとできてる」
 苦しさから少しパニックを起こしているのだと思って言ってはみたが、光のホースは縮むことなくにょろにょろと踊ったままだ。
 さすがにこれ以上は無理か。
 そう判断した、その時。
「あ」
 突然電気が消えたように、呆気なく消え去った。縁側から残念そうな声が重なり、
「残念。さすがにまだ無理だったかな。でも上出来だね」
 上からは樹の楽しげな声が降ってきた。
「っは――――――っ」
 ずいぶん息を詰めていたのか、大河が長い息を吐きながら膝から崩れ落ちた。体で大きく呼吸を繰り返している。
「大丈夫か?」
 宗史は大河の側に膝をつき、背中をさすってやる。四つん這いのまま大河は頭を振った。
「だ、大丈夫。でも……」
「うん?」
 大河はゆっくりと独鈷杵を握っていた手を広げた。
「……割れた……」
「えっ!?」
 耳を疑うような大河の言葉にぎょっとして食いつくように顔を近付けると、確かに独鈷杵が見事に真っ二つだ。
「嘘だろ……」
 小さいとは言え、見た限り材質は真鍮(しんちゅう)だ。それが割れるとは。大河の霊力に耐え切れなかったのか。
「おーい、大丈夫か?」
 晴たちが駆け寄ってくると同時に、大河が地面に座り込んで樹を見上げた。
「ごめん樹さん。割れたぁ」
 大河が独鈷杵を掲げるようにして白状すると、一瞬しんと静まり、
「えっ!?」
 全員が驚きの声を上げた。間を置かず、二階からは扉を乱暴に開く音がして、廊下、階段からリビングへと駆け下りてくる足音が庭へと続いた。
 裸足のまま庭へ出てきた樹が晴たちを掻き分け、大河の手首を掴んで独鈷杵を覗き込む。
「ほんとだ、割れてる……」
「ごめんなさい、せっかくもらったのに。これ、高いんじゃ……」
 眉尻を下げてしょぼくれた大河に、樹は独鈷杵に視線をやったまま言った。
「いや、安物だから気にしなくていいよ。それより、これ真鍮だよ? 割れるってすごいな」
「大河の霊力に耐え切れなかったんでしょうか」
 宗史が尋ねると、樹は多分ねと頷いた。
「大河くん、これ使ってる時、何か違和感なかった?」
「違和感?」
 香苗が気を使ってペットボトルのスポーツドリンクを持ってきた。ありがとうと受け取りながら、大河は逡巡する。
「そう言えば、何かこう……絶対入れないだろっていう箱の中に無理矢理押し込まれる感じがしましたけど」
「ああやっぱり」
「霊力量のせいですね」
「うん。まあ、安物だしねぇ。サイズも小さいし。もっとちゃんとした物なら、もしかして成功してたかもね」
「もし具現化の訓練をするなら、きちんとしたものが必要ですね」
「そうだね。感覚を忘れないうちに早めに新しいのが欲しいところだけど、さっきの、影綱の独鈷杵だっけ。それが見つかるまで予備とかないのかな」
「父に相談してみます」
「そうして。僕も報告しとくから」
「はい」
「それにしても……」
 樹は言葉を切り、皆に肩を担がれて縁側へ運ばれる大河を見やった。
「素晴らしい霊力だねぇ」
 まるで恍惚に浸るように綺麗に弧を描いた唇と声色に、宗史は眉をひそめた。
 樹の術に対する興味と知識欲は、前々から異常だった。しかし他の者に実害があるわけではないし、向上心を持つことも悪いことではない。術者として成長を続けてくれるのなら問題ないと思っていた。
 普段の訓練や筋トレはもちろん、寮へ来てしばらくの間、土御門家、賀茂家所有の文献や書物を、毎日のようにどちらかの家を訪ねては一日中書庫に籠って読み漁っていた。驚くほどの吸収力と才能ですぐに頭角を見せ、今では宗史に引けを取らない術者であることは皆が認めている。確かここへ来る前、かなり荒くはあったがすでに霊力を行使していたと聞いている。固執と言っても過言ではない術への興味、頭の良さや洞察力は、現状では嫌でも疑心につながる。霊力と知識。才能と努力。両方を兼ね備えた彼なら、新たに術を編み出すことも可能かもしれない。
 もし彼がクロだとしたら、一番敵に回したくない相手を敵に回すことになる。
「ねぇ樹さーん。これどうしたらいいー?」
「それ魔除けの法具でもあるから、捨てたら罰が当たるかもよ?」
「えっ、マジで!? 割っちゃったんだけど!」
「今夜にでも君の部屋に悪鬼がうようよと……」
「うわキモイ!」
 樹はいつも通りの軽口を叩きながら笑い声が上がる縁側へ向かう。ふと足を止め、宗史を振り向いた。
「宗史くん、どうしたの? 僕着替えてご飯食べてくるから、その間大河くんの訓練見てあげてくれる?」
「あ、はい。分かりました」
 よろしくね、と言って縁側に上がろうとした樹を、騒ぎを聞いてやっと下りてきたらしい怜司が止めた。
「お前、汚い足で入るな。洗ってこい」
「あ、裸足だった。じゃあお風呂場行くから怜司くん背中貸してよ」
「何でだ。男を背負っても何も楽しくない」
「むっつり発言いただきましたー。いいでしょ、ほらほら早くー」
「しょうがないな。暴れるなよ」
 怜司は溜め息交じりにぼやきながら樹に背を向けてしゃがんだ。のしかかるように乗った樹を抱え、怜司はよっこらせと弾みをつけて立ち上がり、風呂場へ向かう。一緒に香苗と夏也が二人の食事の準備をしにキッチンへ引っ込んだ。
 怜司くんジジ臭い、うるさい落とすぞ、と悪態をつく二人を見送り、宗史は縁側に腰を下ろした。
 皆、各々年数は異なるがこれまで共に過ごしてきた時間がある。信用してきた。疑いたくはないのに疑わなければならないという状況は、神経をすり減らす。けれど、いつも通りに振る舞わなければ。
 縁側に、藍を膝に乗せた茂、蓮を膝に乗せた昴、大河、晴、宗史が並んで座る。宗史は気を取り直し、大河の顔を覗き込んだ。
「ところで大河、真言はいくつか覚えたか?」
 昨日の今日でそう期待はしていなかった。案の定、大河はぐっと声を詰まらせて視線を逸らした。
「ま、まだこれから……」
 ふむ、と宗史は逡巡した。
 あれだけの集中力があるなら、手当たり次第に覚えるよりも、細かく段階に分けて集中的に覚えさせた方が効率がいいかもしれない。そう言えばと思い出す。
「後で樹さんと相談するけど、影正さんのノートに書いてある順に練習してみようか」
「それでもいいけど……でも、何でじいちゃんのノート?」
「コツが書いてあったって言っていただろう? それもあるし、前に見せてもらった限りではレベルごとに並んでいたような気がするんだ」
「ああ、そうだね。僕もさっき読ませてもらったけど、それは思ったよ」
 茂が側に置いていたノートを取って大河経由で宗史に渡した。隣から晴が覗き込む。
 ノートを受け取り、改めて開く。初めは陰陽術の基礎知識や心得から始まっており、それから結界のコツへと続く。現在大河が会得した基本的な九字の結界や、霊符を使った結界、二重結界、さらに最上級の国土結界まで揃っている。そして浄化と調伏の術へと移る。大河と省吾を助けた時に晴が行使した調伏の基本「破邪の法」から始まり、比較的短い真言から長い真言へと続けていくつか記されている。やはり、数は多くないが初歩から順に強力な術へと並んでいた。ただ気になるのは、攻撃系の術が一つとして書かれていないことだ。
 守人とは言え、もしもの時のために一つや二つあってもいいように思えるが。何か、意味でもあるのだろうか。
「やっぱり破邪からだろうな。基本中の基本だし、霊符使わねぇし」
「そうだな」
「僕もそれでいいよ。異議なし」
 いつの間にか戻ってきた樹がダイニングテーブルについたまま会話に割り込んできた。手にはテーブルロールが握られている。
「樹さんの許可も下りたし、決まったな」
「よし、頑張る」
 と、不意に割れた独鈷杵を興味津津に弄んでいた藍と蓮が同時に遠くの方へ視線を投げた。庭よりもさらに先、寮を囲む壁のずっと向こう側だ。
「どうしたの? 蓮くん」
 昴が問いかけると、蓮は首を傾げて藍を見た。藍も首を傾げて蓮を見やる。二人は首を傾げたまま顔を見合わせ、同時に首を振った。
「どうしたんでしょう?」
「さあ?」
 宗史は二人の視線を辿るように遠くへ視線をやった。特にこれと言って何も見えない。ただ綿あめのような雲が浮かんでいる青い空が見えるだけだ。
 藍と蓮は、さすがに術は行使できないが、資質ありと当主二人が判断している。もしや、感じ取ったか。
「ところで宗。お前、昨日の報告書読んだか?」
 晴に話題を振られ、宗史は視線を戻した。
「ああ、樹さんのだろ。弘貴と春の。どう思う?」
「そうだなぁ。今さらコンビ組み直しても、慣れるのに時間がかかるだろ。今そんな余裕ねぇしな。レベル上げる方が早くねぇ?」
「同感だ。樹さんは大河の指導に集中してもらいたいから、怜司さんか夏也さんに頼もうと思ってるんだけど」
「いいんじゃね? その二人なら甘やかすことねぇだろうし、何より段違いに強ぇしな」
「分かった」
 宗史は食事中の樹を振り向いた。
「樹さん、コンビのこと弘貴と春には言ってあるんですか?」
「言ったよ。包み隠さず。落ち込んでた」
 だろうな、と晴が溜め息をついた。
 日々の訓練を怠っていたわけではないことは知っている。それゆえに樹からの指摘はずいぶんと堪えただろう。しかも大河の成長ぶりを見ていたのならなおさらだ。あっという間に大河に追い越されるかもしれないという危機感は煽られたはずだ。
「怜司さん、夏也さん、弘貴と春の体術の指導を集中的にお願いしたいんですけど、構いませんか?」
「ああ、構わない」
「はい」
「じゃあ、よろしくお願いします」
 宗史はほっと安堵の溜め息をついた。これ以上、二人の仕事を増やすのは気が引けるが仕方ない。
 怜司は寮の掃除の担当を持たない代わりに、寮の毎日の支出の管理、報告をし、両家から回ってくる仕事をこなし、合間をぬって自主錬や指導、夜には哨戒をしている。夏也は寮の担当を持ち、華がいない時の藍と蓮の世話や食事の支度、仕事への同行、自主錬、体術の指導を行っている。
 今回二人に頼んだのは、弘貴と春平の体術を徹底的に指導してもらうためだ。そのあたりは二人も心得ているようで、さっそく何やら打ち合わせを始めた。
「俺、昨日の夕飯のあと夏也さんにテコンドーの足技教えてもらったんだけど、すっげぇ強かった。びっくりした」
「夏也さんに?」
 体勢を戻しながら尋ねる。
「うん。樹さんに言われて頼んだんだ。本格的に武道してる人ってすごいね。絶対敵わないって分かるんだけど、めっちゃ楽しかった」
 相当楽しかったのだろう。大河は満面の笑みを浮かべた。それにしても、夕飯の後も訓練をしていたとは驚きだ。
「飯食った後もやってたのか。どっから出てくんだよその体力」
「今日の午前中はどうしてたんだ?」
「今日? えーとね」
 宗史の疑問に、大河は指折り数えながら朝からのスケジュールを答えた。
「五時くらいに起きて、柔軟とか腹筋とかして、帰ってきた樹さんの訓練受けて、シャワー浴びて朝ごはん、それから宿題やって、寮の手伝い、弘貴と春とちょっと買い物行って、昼ごはん食べて、今」
 想像していなかった過密スケジュールに、宗史は神妙な顔で「見習うべきか」と呟き、晴が呆れた表情を浮かべた。
「五時ってお前、ジジイか。早起きすぎんだろ」
「すこぶる健康的だな」
「何で。島でもその時間に起きてたよ?」
「あーそっか、剣道習ってたんだったな」
「そう。朝帰ってくる樹さんの時間帯と合うんだよね。それこそ合理的じゃん」
 いっそ弘貴と春平も同じ時間に訓練を受けさせたいところだが、大河の場合は習慣だ。いきなりやれと言われても無理だろう。それにしても、
「大河、ちゃんと宿題やってるんだな」
 何だかんだごねてやらないのではと思っていたが、意外だった。若干の皮肉を込めて言うと、大河はふてくされたように口をへの字に曲げた。
「やってるよ。て言うか、しげさんと華さんが見回りに来るからさぁ……」
 大河が藍のおしゃべりの相手をしていた茂をちらりと盗み見ると、茂が気付いてにっこりと笑った。
「せっかく宿題を持って来てるのに、やらなきゃもったいないしね。それに、一日の内の数時間だよ。学校で授業受けてる時間より遥かに短いじゃないか。楽勝楽勝」
 それはそうだけど、と大河は納得がいかない様子でうなだれた。なるほど元教師らしい言い分だ。この様子だと宿題の方は問題なさそうだ。
 さて、と宗史は腰を上げた。
「大河、休憩は終わりだ。始めよう」
 そう言うと大河は嬉しそうに返事をして飛び跳ねるように立ち上がった。
 と、玄関のチャイムが鳴った。
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