第6話

文字数 2,776文字

「あの、私からも少しよろしいでしょうか」
「はい。何か」
「華さん、成人式の時もこちらに戻ってきていないんです。式の後に行われた同窓会に出席したんですが、その時に仲の良かった子たちに聞いたら、連絡がつかないと」
 成人式なら、ちょうど五年前。資料にあった年だ。
「突然、携帯の番号やメールアドレス、あと、メッセージも全て通じなくなったらしくて」
「すみません。五年前に、突然ですか?」
 紺野は悦子の言葉を遮った。
「え? ええ、そうです。間違いありません。それまでは時々連絡を取り合っていたらしいので、驚いたそうです。華さんが当時住んでいた住所にも直接訪ねたそうですが、もう引き払った後だったらしく、心配していました」
 成人式という大きなイベントの時の出来事なら、さすがに記憶違いはないだろう。
 華は五年前に突然、連絡を絶った。身の周りを整理し嘘をついてまで行方を隠した茂と、似たようなパターンだ。それを踏まえるならば、寮に入ったのは五年前、きっかけはあの件である可能性が高い。
 ただ、客観的に見るのなら動機として十分だろうが、悦子の話を加味すると少々弱い気もする。
「卒業して連絡が途絶える生徒は、そう珍しくありません。ですが華さんの場合、先ほどお話したとおり色々ありましたから、心配で」
 ああ、と紺野は口の中で呟いた。だから突然の申し出にも関わらず反応が早かったのか。警察に世話になったらしいと知り、居ても立ってもいられなかったのだろう。
「あの、これだけ教えてください。華さん、大怪我をしたとか、まさか逮捕されたというわけではないですよね」
 そう尋ねる悦子の顔からは、初めに見た凛とした面持ちが消えていた。眉尻は下がり、こちらを見据える目には心配と不安の色が滲んでいる。
 こうしてただ話を聞くだけでも、当時の華の心境は相当辛かっただろうと察することができる。担任として彼女と関わった悦子は、一体どれほど心を痛めただろう。教師が生徒にしてやれることは、どうしても限られる。
「いいえ、そういうことではありません。元気にしていましたよ」
 そう言ってやると、悦子はほっとしたように表情を緩めた。そうですか、良かった、と独り言のように呟いて、冷めたコーヒーに口を付けた。
 良い先生だと思う。下平や茂と話が合いそうだ。
 下平も悦子も、多くの子供たちと接する職業だ。そんな二人の印象に残りやすい人生を、樹も華も歩んでいた。ただ、それが良い意味でなら良かったのだが。
 紺野はすっかり冷めてしまったコーヒーに口を付けた。
「あの、もう一つよろしいですか?」
「はい」
「相葉さんは舞鶴ご出身で?」
「え? いえ。私は綾部の出身なんです。夫が舞鶴なので、結婚してからこちらへ」
「そうですか。あの、玖賀(くが)さんというお宅をご存知ないでしょうか」
「玖賀さん? もしかして、お山の玖賀さんのことでしょうか?」
「お山?」
 どんな異名だそれは。紺野と北原が困惑した表情を浮かべると、悦子は小さく笑った。
「山の中のお屋敷なので、そう呼ばれているんです。確か、明治時代から続く旧家だとか」
 当たりだ。近藤からの報告にも旧家だと書かれてあった。
「山、と言うと……」
真倉(まぐら)の方のお山と聞いていますが、私も詳しくは。それと華さんと、何か関係が?」
「ああ、いえ。別件です、お気になさらず」
 もし華と同じ学校か、華から何か聞いていたら反応があると思ったのだが、心当たりはなさそうだ。だとしたらプライベートか。そうなると、調べる手段がない。やはり家族に話を聞けないのは痛い。
 そうですか、とコーヒーを飲み干した悦子を見て、紺野は腕時計を確認した。ちょうど昼時で、気付けば入店した時よりも客が増えている。
「相葉さん、今日は本当にありがとうございました」
「いいえ。連絡をいただいた時は驚きましたけど、とにかく無事だと分かったので少し安心しました。こちらこそ、ありがとうございました」
 丁寧に頭を下げる悦子に、紺野と北原も頭を下げた。
 北原と悦子を先に出させ、紺野が支払いを済ませて店を出ると、何やら二人で盛り上がっていた。
「ご馳走様です」
「いえ。ところで、何をそんなに盛り上がってたんです?」
「お昼ご飯のことで」
 悦子は初めの時よりもずいぶんと緊張感が解けたような、楽しげな笑みを浮かべた。
「紺野さん、ちょうどお昼ですし、そこの道の駅で昼飯にしましょう。海鮮丼食べたいです!」
 興奮気味に訴える北原に、紺野は溜め息をついた。何を盛り上がっているのかと思えば、また飯か。
「お前なぁ」
「いいじゃないですか。男の一人暮らしで魚ってほとんど食べませんし」
「あら、それならぜひ。その場で調理もしてくれますから、新鮮で美味しいですよ」
 それは確かに魅力的だ。そう言えば、最近魚を食べたのはいつだったか。食べなければとは思うが、どうしても肉に手が伸びる。
「しょうがねぇな、せっかくだ。そうするか」
 やった、と満面の笑みで喜ぶ北原を、悦子が微笑ましげに見つめた。
「では、私はこれで」
「はい。本当にありがとうございました。お気を付けて」
 悦子が入口近くに停めていた車に乗り込み、敷地を出るまで見送ると、さてと紺野と北原も車へと足を向けた。と、ちょうど店の扉が違和感のある声と共に開かれ、つい振り向いてしまった。
「いいでしょ、別に。こっちはずっと働いてるのよ、このくらいのご褒美は当然でしょ。はいはい、分かってるわよ、やってるわよちゃんと。で? そっちはどうなの?」
 携帯で通話しながら出てきた客が、何やら揉めた様子で紺野たちとは逆の方へ歩いて行く。仕事の話だろうか。と言うか、だ。
「ニューハーフさんですね」
「だな」
 トーンを上げているのだろうが、どう聞いても男としか思えない声と口調がちぐはぐだ。サングラスに黒のパンツとTシャツ。シンプルだが均整の取れたスタイルのため、やけに様になっている。背中の真ん中あたりまで伸びた髪は一つにまとめられ、艶があって綺麗ではあるが、男のものだと思うと綺麗さは半減する。
「今時珍しくもねぇな。行くぞ、海鮮丼。どうせなら寿司でもいいな」
「なんだ、紺野さんも楽しみなんじゃないですか」
「どうせ自腹で食うんだ。味わわなきゃ損だろうが」
「あれ、奢ってくれないんですか?」
「何でだよ! 割り勘に決まってんだろうが」
「えー」
「嫌なら食うな。俺だけ行ってくるからここで待ってろ」
「冗談じゃないですかぁ。俺も行きますよぉ」
 この時期ならアジやトビウオ、スズキにサザエといったところだろうか。確か岩ガキやトリ貝も美味いと聞いたことがある。想像しただけでも腹が減ってきた。
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